マラソン

第30回別府湯けむり健康マラソン大会

 2017年10月8日、第30回別府湯けむり健康マラソン大会。

 久しぶりにマラソン大会に参加する。

 2011年1月左膝半月板損傷――それ以来走っていなかった。

 今年2月、とつぜん激しい眩暈におそわれた。世界がぐるぐるまわる、吐き気がする。救急搬送で脳神経外科病棟へ。しかし、脳波等身体に異常はなく、翌日退院した。原因不明。自律神経の問題? それで、ランニングを再開してみることにした。

 以前使っていたシューズ、ウエア、アクセサリーを引っ張り出し、はじめは、ごくゆっくりと30分走った。それから2日に1回、起床後に繰り返した。しかし、6月初め、筋トレをはじめてみたら肉離れを起こし、余儀なく中断。2週間安静の後再開、それから毎朝走る。

 走る感覚がだいぶ戻ってきた。最大18㎞まで走れるようになった。そして、10月のこの大会である。高低差100mの坂道8㎞を2周する。以前参加した第21回では1時間13分10秒、第22回では1時間14分01秒で走った。どこまで走力が戻っているだろうか。

 天気予想では晴れだったが、8時過ぎに会場の志高湖畔に着くと、湖面は霧で見えない。空は曇っている。走路には所どころ苔が生えている。

 受付、開会式、全体準備体操(エアロビクス)、そしてようやく11時にスタート。走りはじめると予想以上に身体がしんどい。1周目、最初の2㎞はずっと下り、やがて徐々に上りはじめると、身体はさらに重くなり、もっとも急な上りでは、なんとか歩かずに走っている感じだった。1周通過は38分ちょっと。

 2周目、はじめの下りで息を整える。上りは1周目より脚が動かない。だが残り3㎞からなぜかリズムが出てくる。そして最後1㎞はギアを上げおもいきり走る。するとなぜか楽に走れた。それまでの苦しみはなんだったのだろう。記録は1時間17分04秒。8年前より3分遅い、加齢による筋力低下も感じられた。

 体調を整えるために再開したランニングである。眩暈は2月以来ないが、最近立ち眩みが多い。貧血? 11月にはフルマラソンに参加する。自らの内外の声をよく聞くようにしよう。

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(夏の朝)

 

痛みや苦しさの乗り越え方を心身に刻み込んでいく

 タイトルは日々の練習についての68歳のマラソンランナーの言葉(「ランナーズ」2017.6)

 乗り越えとは生である(ランナーは生を反芻する)

 つねに全力である(終わることのない自己否定である)

 先の安寧のために今があるのではなく、既成概念を壊しつづける今があるばかりだ。

 夢見ているのは「記録」ではなく、今の痛みや苦しさの在りようと変質である。

 変わること、自らが再構成されること、新しく生まれるものに身を委ねること、開かれている窓を潜ること、羽搏いてみること、見知らぬ場所に降り立つこと。

 今ある自分を信じないからこそ、無限の可能性に気づくことができる。

 一歩の間には限りない物語が展開されている。

 その物語と共に在ること。

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(霧の道)

緑の中へ

 半月板損傷で、1月半ばから(マラソンが)走れなくなった。膝の状態から推し量ると、まだ当分は走れないようだ。

 5月の連休は、2007年から4年続けて「萩往還マラニック」に参加していたので、5年ぶりにゆっくり休むことになる。

 さて、この大会の楽しみの一つは、色とりどりの緑の中を走ることにある。

 スタート前は山口市内の公園で白詰草や木々の緑に囲まれ、笹の葉音、蜜蜂たちの羽音を聴きながら横になって目を瞑る。仮眠がとれればいいのだが、未だ眠りに落ちたことがない。

 そして、午後5時を過ぎてスタート地点の新緑の瑠璃光寺に集まる。ここも若い葉の匂いがする。何より風景が目に鮮やかだ。躑躅も咲きほこっている。

 スタートして上郷駅(13.2km地点)までは川沿いを走る。夕暮れ時なので次第に暗くなっていくが、川からの風が心地良い。

 そこからは暗い中を、蛙の声、星や月の明かりの中を走る。明るくなるのは海湧食堂(87.2km地点)手前から。

 そこから俵島を折り返し、川尻岬の沖田食堂(107.8km地点)までが、私には最高に気持ちの良い眺めである。海の青が水平線まで微妙に模様を変えながら続く。そして何度も新緑の中をくぐる。この季節独特の甘酸っぱい、むせるような匂いの中、色のない位のうすい緑から、粘っこいつややかな黄緑色、それから赤っぽい緑まで、色々な緑が繰り返し目の前に現われる。八重桜の花びらも舞っている。

 さらに千畳敷(125.4km地点)までの道も、ずっと緑に囲まれている。とくに立石観音を過ぎてからの上りは、あの緑の辺りを曲がり、向こうの緑へ、といった具合に、視線を斜め上の目印地点に向けながら、遠くに先行するランナーを目で追う。それで、暑さも疲れも少し忘れることができる。

 千畳敷を下りてからは比較的車の通りの多い道を走るので、緑の印象は少ないが、遠くに見える青海島(おおみじま)や海の透けるような青緑が鮮やかである。

 青海島の鯨墓(153.8km地点)を折り返し、仙崎公園(163.9km地点)から宗頭(むねとう)文化センター(175.7km地点)までは道の両側に咲く躑躅の赤や白が鮮やかだ。山に入るにつれ次第に暗くなり、2日目の夜に入る。

 宗頭から萩の東光寺(215.2km地点)までは暗い中を走るので緑は見えない。柔らかく湿度を感じる風の感触、海の匂いといっしょに走る。

 東光寺を過ぎて、再び朝の山を走る。木々の緑、道端の雑草の緑、田んぼの緑と日の反射、そしてすれ違う人々の明るい声の中を、ゴールを目指す。板堂峠では木漏れ日の中を走り続ける。石畳には緑の苔がついている。そして緑成す瑠璃光寺(250km)に帰リ着く。

 その「萩往還マラニック」の季節が近づいてきた。自宅から見える近くの山にも、いろんな緑が表れるようになってきた。

 走れない分、少し山を歩いてみようか。そんに風に誘われるこの頃である。

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 (緑の風)

 

第22回萩往還マラニック(250㎞の部)完踏記

 5月2日(日)。午後3時からの選手説明会に間に合うように山口市に入る。スタートは午後6時。山口は今日は暑かったらしい。

 朝刊のお天気欄によると、2日の最高は22℃、3日は最低13℃最高23℃、4日は最低15℃最高23℃らしい。「明日(3日)は暑くなりそうですね」。目を合わせたスタッフが心配そうに空を見上げる。

 スタート前。ランナーのシャツを見渡すと、長袖の上から半袖、という人が一番多い。私はそれだと暑いので、半袖のみ。リュックにウィンドブレーカー、175㎞の宗頭文化センターに届ける手荷物袋に、代えの靴、靴下、長袖シャツ、蜂蜜を入れる。

 250㎞の部の制限時間は48時間なので、4日の午後6時までに帰ってきたらよい。昨年は後半に足を引きずって歩いて、47時間28分13秒かかった。今年は、そのリベンジをする。

 ① CP(チェックポイント)1豊田湖畔公園(58.7㎞)まで

 「エイ、エイ、オー!」 かけ声とともに、緑鮮やかな瑠璃光寺の、五重の塔の前を第2ウェーヴでスタート。ほどよい風、空気感。ゆっくり走り始める。上郷駅(13.2㎞)で初めてのエイドがあり、パン、バナナ、水を頂く。そこから山間部へと向かう。風が涼しくなって来る。釜ヶ淵辺り、「13℃」の電光板が見える。

 2つ目のエイド、湯ノ口(21.8㎞)辺りから、身体全体、とりわけ下肢の筋肉に疲労を覚え始める。明日以降のことを考え、極力無理をしない。時々立ち止まっては、屈伸運動を繰り返す(このストレッチはゴールまで続けた。走り込み不足を痛感するが、後悔しても始まらない)。

 美祢高校前エイド(32㎞)の手前で道に迷いかけた時、北海道のOさんらに合流し、しばらくいっしょに走る。少しペースが上がった。西寺のエイド(44km)に午後10時45分に到着する。温かいコーヒー、梅干し、バナナを頂く。ここからが初日夜の正念場である。

 痛み、疲労感が下肢に拡がるが、走ることはできる。間もなく日がかわる。ペースが急に落ちてくるが、仕方ない、そのまま走り続ける。豊田湖畔ではうどんを頂けるので、少し体力が回復するだろう。

 ② CP2俵島(98.5㎞)まで

 豊田湖畔を0時45に出発する。しばらく歩き、やがてゆっくり走り始める。確かに体力は回復したみたいで、身体が幾分軽い。調子に乗ってスピードを上げた。次のエイドの俵山温泉(67.1㎞)についたのが1時35だったので、この間の8.4㎞を50分で走っている。

 俵山温泉のエイドは「優しい」というイメージがある。毎年、数名の高校生が待機していて、ジュースを注いでくれるのだが、とても丁寧で優しい。コーラ、オレンジジュース、饅頭を頂く。ここから、砂利ヶ峠(じゃりがたお)を越え、新大坊エイド(80.1㎞)に向かう。その峠の下りから、先刻からの痛み、疲労感が増してきた。残り3kmほどは歩く。

 エイドに3時40分に到着。味噌汁、バナナ、アクエリアスを頂く。それでも身体は重く、歩き続ける。そこへ睡魔が襲ってくる。余りの眠たさにどうしようもなくなって、82㎞辺りで、ウインドブレーカーを羽織り、広場に寝転ぶ。だが寒さですぐに目が覚める。まだ眠い。油谷(ゆや)大橋を渡って、海湧(うみわき)食堂(87.2㎞)に着くまで、更に2度寝転ぶが、何れも風の強さと寒さですぐに目が覚める。仕方ない、食堂まで歩く。夜が明ける。

 食堂に5時30分頃到着し、おかゆを頂く。少し回復した。眠気はあるが、なんとか走れそう。しばらく歩いてから、ゆっくり走り始める。しばらく走っていると、リズムが生まれてくる。そうなると、ゆっくりではあるが長く走ることができる。その調子で、俵島のCP2まで走る。

 漁港付近の人たちと挨拶を交わす。交わすたびに、少しずつ元気が出てくる感じがする。日が昇り始める。明け方の強風は止み、雲が一掃され、青空が拡がる。「暑くなりそうですね」。ランナーとすれ違うたびに、そういうことを挨拶に挟み入れる。

 午前7時過ぎ、ようやくCP2に到着。水と飴を頂く。「水を少しください」と言うと、「少しだけやのうて、なんぼでもどうぞ」と、おばあさん。お言葉に甘え、500mlのペットボトルを満タンにする。

 ③ CP5千畳敷(125.4㎞)まで

 俵島を後にして、川尻岬に向かって走る。昨年までの2回は、この辺りは上りも下りもずっと走っていた。でも今年は上りと急な下りは歩き、それ以外を走ることにする。下肢の疲労を軽減したいためである。おそらく最後の30㎞が違う。

 CP3川尻岬・沖田食堂(107.8㎞)に午前8時20分に到着し、カレーを頂く。自動販売機でジュースを買い、出発。これまで同様、しばらく歩いてからゆっくりと走り始める。日が照り、暑くなってきたので、木陰を探しながら走る。川尻の棚田の風景が奇麗である。八重桜が散り初め、花びらを飛ばしている。新緑のトンネルを走る。丘の上の日吉神社の鳥居をくぐり、海岸へと降りてゆく。

 左手に海を見ながら、アップダウンの1本道を走る、先の方法で。木陰に時々湧水が流れていて、それを掬い頭から被る。CP4立石観音(117.7㎞)を10時に通過、ここから千畳敷(標高330m)まで上る。暑いけれど、風があるので熱は通り過ぎる。ゆるやかな上り坂なら走り、ランナーを少しずつ追い越す。急な上り坂では、なるべく走るのとは違う筋肉を使う気持で歩く、ストレッチ感覚で。

 11時15分にCP5千畳敷に到着。上り坂を駆け上がったせいか、みなさんに拍手で迎えられたのにはちょっと驚いた。風が心地良い。入念に屈伸運動をし、スポーツ飲料を買い、出発する。

 ④ 宗頭(むねとう)文化センター(175.7km)まで

 千畳敷を下り始めると、左手に青海島(おうみじま)が見える。海が青く、とても奇麗な風景である。これからあの島の東端にある鯨墓を目指す。この下り坂は急なので歩く。

 道が平坦になってしばらく走り、中学校の生徒たちが応援してくれる黄波戸口エイド(131.1㎞)に、正午過ぎに着く。そこでパン、塩、氷砂糖、コーラを頂き、生徒の声援とハイタッチに送られ、青海島へ向かう。

 仙崎公園(143.3㎞)に午後2時15分に到着。余裕があったら「金子みすず記念館」に寄ろうと思っていたのだが、今回はパスしよう。走ることに集中し、体内にリズムを刻む。CP6鯨墓(153.8km)に午後4時ちょうどに着く。

 この、アップダウンの続く島の往復路で、静岡のYさんと何度もすれ違う。その度に、「暑いですね」「今年は我慢大会になりましたね」「いよいよ宗頭ですね、がんばりましょう」と話しかけてくれる。2日の選手説明会で10回完走の表彰を受けていた、若いけれどベテランランナーである。

 鯨墓を折り返してすぐに、兵庫のKさんと3たび会った。Kさんの笑顔には人を元気づける力がある。

 午後5時半過ぎに仙崎公園に戻る(163.9㎞)。さあ、もうすぐ休息のできる宗頭文化センターだ。宗頭までの道を明るいうちに走るのは初めて。赤、白、桃色の立派なツツジが、あちこちの庭先で咲きほこっている。

 ⑤ 東光寺(215.2km)まで

 少し暗くなった午後7時半過ぎに、宗頭文化センターに到着。応援に来てくれた妻、ヘルパーのMちゃん、知り合いのMさんに合う。嬉しい。センターでは、味噌汁とおにぎり1個を、それに熊本のK君からロキソニンと胃薬を頂く。10分ほど横になり、預けておいた靴と靴下とシャツに着替え、蜂蜜を口に含む。

 手荷物袋を再び預け、8時20分に出発。ここから、仙崎から宗頭に来る途中で出会った千葉のAさんといっしょに走ることになる(ゴール手前まで)。

 同行というのは難しいと思う。互いのペースが違うからだ。でも、Aさんは人に合わせるコツを知っておられる感じがした。私はずいぶん楽をさせてもらった感じがする。Aさんの人当たりの良さのせいかもしれない。

 玉江駅(195km)までは、もうひとり広島の方ともいっしょだった。宗頭を出て鎖峠(182.2㎞)までは歩き、そこから少しずつ走りを入れた。足が痛いのに無理して付いて来られたかもしれない。日が変わり、玉江駅に着いて、「ここからは走れるところまで走りますね」、と言うと、Aさんは「付いて走ります」とおっしゃったが、広島の方は、「後から追いかけます」。K君のロキソニンをここで服用する。

 ここからCP9虎ヶ崎・椿館(206.9㎞)手前まで走った。7kmほど走ってからAさんの足音が後方から消えたが、最後に盛り返された。「スピードがありますねー」と冗談で言うと、「しんどいですよー」。椿館からは岡山の方も同行されたが、下肢の痛みゆえ、佐々並エイド(235.7㎞)の手前でその方とは別れた。椿館のある陸繋島を出て、再び走り出す。しばらくして、B140kmの先頭ランナーに出合う。Aさんが声援を送る。

 歩いたり走ったりしているが、兎に角眠い。土の道に落ちている枯葉が綺麗な絨毯の模様に見えた(ヨーロッパ中世のタピストリーのよう)。周りの木々やガードレールの影が人の姿に見える。幻覚を見る人もいるらしいが、それに近い。それでも歩を進められたのは2人の同行者がいたせいかもしれない。

 ⑥ ゴールの瑠璃光寺まで

 午前4時40分に、CP10東光寺を通過。Aさんを先頭に走り続ける。空が明け初める。風が冷たく、強い。夏みかんの木々が揺れる。219.5㎞から萩往還道に入る。この辺りから、140kmの部のランナーと次々とすれ違う。すれ違う度に挨拶(エール)を交わす。舗装道ではなく、土の上を走ると、足に優しい感じがする。山肌の湿った所からは蛙のくぐもった声がする。晴れたり曇ったりの模様、木漏れ日が心地良い。

 明木市(あきらぎいち)のエイド(225.9km)で名物の蕎麦饅頭を頂く。一升谷は歩いて上る。お2人が辛そうだったので、休憩を挟む。国道に出て、Aさんが再び走り始める。70㎞の部、35㎞の部、歩け歩けの部の参加者たちとも、次々と挨拶を交わす。その挨拶が途切れない。佐々並のエイド(235.7㎞)を過ぎて、ようやく列が途切れる。途切れて、出会った方から、梅干しと羊羹を頂いた。何れも、ピクニックには必需品である。

 残り7㎞、夏木原キャンプ場辺りで、Aさんが「第何ウェーブ?」と聞かれる。「第2ウェーブです」と言うと、「じゃあ、先に行ってください」。彼は私より7分ほど後にスタートしているので、どうぞお先に、ということらしい。「背中を見ながら走りますから。私も11時までにはゴールしたいので」とのこと。それでは、ということで、先行させてもらう。時刻は午前10時15分。

 板堂峠を3年ぶりに全力で走る。下りもスピードを保つ。ただし石畳に足を取られないように気をつける。葛篭折れの道の石畳はところどころ苔が生えている。峠を下り、舗装道に入ってからは、更に速度を上げる。1年前に杖を突き、足を引きずって歩いた道を、ストライドで飛ばす。10時50分になろうとしている。最後の200mの坂を全力で駆け上がる。妻とヘルパーさんの顔が見える。帰って来たよ。

 私が妻の車いすを押し始めると、ヘルパーさんが代わりに押し始める。

 「3人いっしょにゴールしよう」。3人で、ゴールのテープを切る。

          *      *      *

 そしてAさんがやって来る、7分後に。結果として、私のタイムは40時間48分11秒。Aさんのは40時間48分4秒。

 僅か7秒の差に、Aさんも驚いていた。

 「またお会いしましょう」。

 

 by  A‐23

 

花吹雪

 4月16日(金)午後6時半。少し晴れ。

 桜が咲き始めて一カ月が過ぎた。別府一番の桜の名所と言われる境川沿いのパストラル(結婚式場)辺りを走る。散りはじめているが、なお淡い色を木々に広げている。微風に揺られ、小鳥の囀りに、チラチラと緑の上に舞い降りる。

 それから実相寺へと足をのばす。夕闇が迫っている。下りの坂道で、急に強い風が吹くと、オレンジ色の街灯に照らさた花びらが舞う。降りしきる感じ。

 吹雪のよう。

 路の角の吹き溜まりに、花びらが集っている。今度は車のライトに照らされ、大粒の雪が舞い上がる。

 4月の半ばなのに寒い。春物の上から冬物を羽織る日が続く。時が幾度も反芻している感じがする。

 今見た光の花を記憶せよと、私の中の何かが命令する。

 今この時、私に現存している映像は、いつまでも消えずに残る物たちの願いかもしれない。

 永遠になりたがっているものたちの姿。夢見るトランク(安房直子作)の思いを想起する。

 今日の海の色は明るかった。

 明日は、もう少し暖かくなるといい。

第21回山口100萩往還マラニック(250km)完踏記

 5月2日(土)午後6時。うろこ雲、南南東高度80度辺りにうすく白い半月が見える。幾分風が冷たくなってきた。最終ウェーブでスタート。

 もう少し早くスタートしようと思っていたのだが、皆さんの整列のほうが早かった。午前11時47分別府駅発、瑠璃光寺横の受付に着いたのが午後4時半。それから準備をして5時20分にスタート地点に着いたら、もう雰囲気が盛り上がっていた。

 スタートをしてずっと、人の波を掻き分け、抜いて行く。だんだん薄暗くなっていく、人が疎らになってくる、月が色づいてくる、蛙の声が聞こえはじめる。夜へ、田んぼへ、山へ・・・

 私の前を、ずっとA-7 番さんが走っている。この人はたぶんベテラン。走りに無駄がない。42kmの西寺エイドステーションまで着いていく。

 そのエイド手前から、調子が悪くなってきた。下肢も身体全体もしんどい。疲労が溜まっていたのだろうか? 靴が底の薄いもので、しかも踵に靴下式のソールを当てていて、その靴下のせいで足の甲が痛くなってもいた。

 そこでその靴下式を外してみる。少し楽になった。

 さらに、テーピングサポーター(膝用)を装着する。思えば、これが良くなかった。別府からの電車の中、試みにこれを装着していたのだが、山口で降りるとき違和感を感じていた。おそらく、膝裏のリンパを圧迫していたのでは。そのサポーターを巻いて走ると、やっぱり膝裏が痛くなる。それで、しばらく走ってから外す。

 靴下式も、サポーターも、初めて使用した。慣れないことは、やはりしないほうがいい。

 コースを外れて寝転ぶこと 5,6回。この場でリタイアしても交通機関は今は動いていないので、油谷(ゆや:80km地点)までは辿り着こうと考える。

 3日午前1時半。60km手前の豊田湖畔エイドステーションでうどんを頂き、歩きながら出発。身体が回復してきたので、再び走り始める。

 俵山温泉、砂利ヶ峠(じゃりがたお)を通過。川の音、小動物のくぐもった声など、夜の音が心地よい。

 80kmを過ぎても走れたので、ここでのリタイアは無しにする。海湧(うみわき)食堂手前から空が明るくなる(5時)。俵島を1周(100km)する頃から新緑の香りが強くなってくる。幾重にも目の前に姿を見せる山襞の表面の、淡い新緑がそこここを彩る。暑くはないが、眩しい。立石観音、千畳敷(125km)を過ぎ、日置(へき)中学校の生徒らの応援エイドステーションに辿り着く(12時)。

 この日置の女の子たちのエイドが楽しい。ランナーひとりひとりにコスモスの種とお菓子を手渡し、目の前で、名前を呼びながら、歌うように応援してくれる。これは力になった。

 仙崎へ。向かう途中、相前後して走っていたカップルからリポビタンDを頂く。有難い。潮の匂いが強い。青海島(おおみじま)が左に鮮やかに見える。これからあの島に向かう。

 午後2時に金子みすず縁の仙崎(142km)に到着。青海島の鯨墓(152km)までを往復した頃から痛みが増強する。午後8時に宗頭(むねとう:175km)文化センターに到着、軽食と仮眠を取り、9時に出発。あと75kmを21時間で歩けばゴールできる、と計算する。

 ここからが正念場だった。

 1時間休憩したからか、なかなか走れない。鎖峠を越え、三見駅を越えても歩き続ける。踏み切りを6度渡る曲がりくねった細い道を、ヘッドランプの明りだけを頼りに進む。そして、4日午前1時、玉江駅(195km)手前で、左膝裏と両足裏の痛みのため、完全に脚が止まった。これでは歩き続けることもできない。玉江駅に着いたらリタイアし、朝になったら交通機関を使って山口まで帰ろうと決める。

 と、ここで2人のベテランランナーに声をかけられる。

 1人目は、「何か食べるものはある?」 と訊きながら、痛み止め(ロキソニン)をくれた。「左膝の裏? たぶんこれである程度痛みがひくと思うから、そこからがんばって!」

 痛み止めを携帯して走る人はどれほどいるのだろう? 連れのランナーも、痛みは回復することもあるからと、元気付けてくれた。

 そしてもう1人。「玉江駅に着いたら、スタッフの人がいて、仮眠を取れる場所があるから、そこで一眠りしてから、再スタートしたら良い」。さらに、「よく1人で走っているね」とも。

 これで、リタイアできなくなった。

 実際、玉江駅で仮眠を取ってからは、ロキソニンも利いてきたのか、痛みも和らいだので、ゆっくりだが走れるようになった。ただ、この玉江駅で、左膝が少ししか曲がらなくなっていることに気づいた。後でわかったことだが、膝を含め左下肢が腫上がっていた。

 原因は、おそらくサポーターによるリンパか何かの圧迫によって、体液の還流が左下腿で滞ったことによる。

 午前2時40分、玉江駅をスタート(ゴールまで55km、15時間半)。

 笠山の暗く曲がりくねった道を走る。椿館(205地点の食堂)で、スタッフに「なかなか辿り着けない道ですね~」と話すと、「女の子は怖いと言いますね」と。この大会にはこんな道が多い。同じ風景が繰り返すような、あれ、さっきも通ったんじゃない? と感じるような道ばかり。疲れているせいもあるのだろう。ここで生卵入りカレーを食べて、歩きながら出発。

 最後のチェックポイント東光寺(215km)を午前6時ちょうどに通過。

 私の歩いている姿を見て、萩市民の方が、犬(ミニチュアダックスフンド)の散歩の途中、念を込め、私の膝をさすってくれた。よくなりますようにと。感謝。

 明木市(あきらぎいち:225km)を通過。しかし、ここからはもう全く走れない。相前後して走って(歩いて)いた女の子は「ぼろぼろです」。一升谷で一休みしていると、歩け歩けの部の方から自家製のお茶のペットボトルを頂く。

 午後12時半、佐々並(235km)に到着。残り15kmを5時間半で歩けるか? 普通に歩けば問題のない残り時間と考えられる。「ゆっくり歩いてもゴールできますよ」と声をかけくれた人もいた。

 しかし、次第に歩けなくなる。でもここまできたらゴールするしかないので、ひたすら歩く。歩くランナーにも次々に追い越される。板堂峠で、私のために木の棒を探し、杖にしてくださいと差出してくれた人がいた。ありがたい! なんという人だろう。

 「頑張って!」 と声を掛けてくれる人もある。「ゆっくりでいいですよ、マイペースで!」とアドバイスしてくれる人もある。後者の言い方が、どれほど有難いことか。

 4時をまわり、雨がパラパラと降りはじめる。木の葉の間を縫って、水の粒がきらきらと零れて来て、つづら折れの石畳を濡らしてゆく。癒しの雨かも。

 午後5時半をまわり、ようやくゴール。多くの人に助けられた大会だった。

 次回は、最善の準備をしよう。

藤の花と蓮華草とおばあさん

 4月22日(水)、山を走ってみた。

 別府公園近くの自宅を出て、浜脇温泉を通り、高崎山西側の斜面を上がる。そこから南へ、東へ、由布市狭間を巡る。

 石城小学校を過ぎ、「由布川渓谷」という道路案内が目に留まった。

 行ってみよう。

 1時間ほど走り、新猿渡橋の近くの渓谷に辿り着く。涼しい。川の両側に巨大な岩の壁。きれいな冷たい水。飛沫のせいか空気の層が違う。幻想的で、別世界に居るよう。

 藤の花びらが散っている。よく見るとそこここに。

 走ってくる間も、木々に絡まって咲く花をよく見かけた。藤の色は新緑によく映える。

 藤は藤色とばかり思っていたが、白い花も美しい。そういえば「白藤」という名があった。

 再び走る。

 志高湖を目指し、標高の上へ上へ。上がる途中、ずいぶん蓮華草を見かけた。棚田も多い。

 翌日の新聞で、「別府市内成」の棚田と蓮華畑が紹介されていた。私の走った辺りかもしれない。蓮華は田んぼの肥料になるそうだが、咲き終わる前に土を耕すと、翌年は咲かないのだとか。物事には順序があるということ。

 志高湖を出て、別府に戻る。途中から「鶴見岳一気登山道」を下りる。10日前は桜が散っていた道だったのに、その面影はなく、新緑がびっしり。別の道のよう。楓等の若い葉を避けながら走る。

 麓で1人のおばあさんに出合う。日に焼けた顔、満面の笑み。私が近づくと、

 お菓子あげる。

 掌を広げて。

 今開けたばっかりだから。

 ありがとう。

 掌に山盛り。

 おいしく頂いた。

 6時間ほど、たぶん50km位走った。

 10日後の5月2日~4日は、萩往還マラニック250kmに参加する。また、新たな風景や人に出合いたい。 

 

佐伯番匠健康マラソン

 今日4月27日(日)、大分県佐伯市の番匠川(ばんじょうがわ)沿いを走る「第20回佐伯番匠健康マラソン大会」の15.7kmの部に参加してきた。

 晴天(気温24℃、湿度58%)、前半は風を感じなかったが、折り返してからの後半は向かい風との戦いになった。私の場合、向かい風はキライではない。

 案内(パンフレット)に、ふれあい賞〔リボンをかけられた人はゴール後引換〕というのを見つけた。へぇ、どんな感じで「かけられる」のだろう?

 後半、10kmの距離表示の辺りだったろうか。給水所があり、水を頂いた。その紙コップを、拾い集めていた男の子の前にそっと置く感じで捨てた。その2,3秒後、突然、沿道の年配の男性から白のリボン(首に掛けられる様輪にしてある)を手渡された。強風に千切れそうになるそれを首に掛けて、残りの6kmを走った。

 ゴール後引換に行くと、アルミでできた「いりこ」のキーホルダーを頂いた。私が引換所に寄った時、「ふれあい賞」はあまり置いてなかった(7個位)ので、リボンは少数の人にしか渡してないのだとわかった。

 さて、ゴール後、弁当引換券により、椎茸弁当、佐伯名物浦部汁を頂いた、のはよかったが、食べる前に浦部汁をひっくり返してしまった。すぐ近くいた年配のランナーが、「この入れ物はよくひっくり返すんだよ。訳を言ってもう一度もらってくればいい」と言ってくれた。こぼした具をかき集めていると、もう一度同じ言葉を繰り返されるので、お言葉に甘え、「ひっくり返したんですけど~」と言いに行くと、こぼした具と器を引き取ってくれた上に、(今度はこぼさないようにとの配慮か)ビニール袋に入れて渡してくれた。3人の主婦らしき人たちが、笑顔で。

 小さな出来事なのだけれど、私はこういう何気なく優しい人たちに出合う時に、幸福を感じる。出来事自体にではなく、偶然の出来事を通じての、何かを感じる人との出合いに、である。

 ふっと、過ぎってくれる。過ぎる瞬間、私の(という言い方をするほど「私」は特別ではないが)奥底の何かに触れてくる、その何かの気配、感触が心地よい。

 敷衍すれば、人以外の、様々な出合いにも感じられるのではあるが。

 そうぼんやりと考えながら、おいしく浦部汁を頂いた。波打ち際で、両足をアイシングしながら、波の音に揺蕩い、遠くの大きな船を見ながら、真上に鳶を仰ぎながら。

第21回青島太平洋マラソン完走記

①経過

 10月上旬に肉離れを起こした。スピード練習をしていて、左脚の付根(臀筋)に痛みがはしった。それから走れない日が続いた。歩くと違和感があり、走ろうとすると痛い。痛みが治まらないので、10月24日に整形外科を受診した。「3週間は走らないと約束できますか」と言われ、「はい」と答えた。その4日後の28日、参加賞のTシャツを貰うつもりで行った大会(別府湯けむりマラソン・ウォーク)で、つい走ってしまった。それで、再発。以後、2週間は絶対に走らないと決める。

 11月11日、「仏の里くにさき・とみくじマラソン」30kmの部に参加、久しぶりに走る。再発を恐れ、歩くように、すり足ピッチで。幸い、無事に完走するが、故障部位の違和感は残っている。翌日から jog を開始し、続けて11月18日、25日、12月2日と、10kmの大会に出た。違和感がなくなったのは、12月2日の大会からである。アップダウンの連続にも耐えられ、不安が消えた。ただ、走りこみの時期に走れなかったことで、フルはどこまで走れるか、予想がつかなかった。

 

②前日(12月8日土曜日)

 宮崎県総合運動公園に、受付を済ませに行った。その公園の一隅に小さなバラ園があった。強風で園の周りの木々は揺れているのに、バラ園は静かで、黄色、赤、白のバラがゆるやかに揺れていた。咲き誇るのではなく、穏やかに、少し寒そうに咲いている。綺麗だったので、携帯に収め、友人に送った。

 

③当日(12月9日日曜日)

 ステージでの知事のトーク(挨拶)を聞いた後、スタート地点に移動。曇っていて少し寒い、だが昨日のような強風はない。9時30分にスタート。

 スタート位置は、ゼッケン番号の若い順、になっていた。参加申込書に「予想タイム」を書き込む欄があり、「3時間10分」と書いたのだが、私の番号は781(エントリーは5900人)で、スタート時の混雑はなかった。

 折り返し-中間点までは淡々と走った。30km近くになってくると、脚がもたつき始めた。練習不足のせい? それまではピッチ走法だったが、徐々に歩幅を広げ、爪先接地に切り替える。それで脚が少し楽になった。30kmを2時間18分で通過、ペースを維持する。

 だが、30kmを超えるとさすがにしんどい。沿道の高校生たちに励まされながら、どうにかこうにか走り続ける。しばらくして、阿蘇カルデラのゴール後に言葉をちょっと交わした女性の姿が見えてきた。でも同じようなスピードらしく、なかなか縮まらない。35kmを過ぎ、少しペースを上げてみる。それでも縮まらない。37kmを過ぎ、さらに上げ、ようやく追いつき、追い越す。すると、しばらくして追い越された。凄い! でも、私もスピードに乗ってきたので、40kmを過ぎてまた追い越してしまった。と同時に、すごい勢いで別の男性に追い越された。ここで競争心に火がついた。さらに加速して、抜きつ抜かれつ、競技場に入ってからはまるで短距離走、同時にゴール。

 ストライドを伸ばすと、なぜか楽に走れる。もうすぐゴールという、精神からの作用もあるのかもしれない。初めての宮崎市、途中からは晴天で、久しぶりに気持ちよく走れた。

 (記録:3時間12分25秒)

 

第8回国東半島100kmマラソン完走記

①2日前(9月21日金曜日)

 「お忙しいところすいません、お願いなんですが。明後日の大会の申し込みを過ぎていることは承知しています。参加費はお支払いします。記録はとっていただかなくて結構ですから、参加者たちと一緒に走らせて頂けないでしょうか」

 大会本部宛に、そのように電話したところ、参加を快く承諾してくださった。明日の受付でゼッケン等を渡し、記録もとります、とのこと。ただし、このことは参加者には言わないでください、とも。主催者のご厚意に、ただただ感謝。

 思い立ったのはこの日の朝。理由は、5日前の丹後100kmで途中棄権して、このままだとこれから走れない気がしたから。途中棄権したのは、気持ちの問題だった。7月になってから、まったく走る気がしなくなっていた。とりあえず申し込み、義務的に参加した、前日になっても、当日になっても、走る気が起きない。スタートしても。それで、46kmでやめた。沿道からの「がんばって~」の声援にも応えられなかった。

 参加させてもらえる、そのことだけで胸がいっぱいになった。

 

②前日(9月22日土曜日)

 受付を済ませるため、住吉浜リゾートパークへ向かった。向かっている途中、知人から電話があった。丹後で買って送った「丹後ちりめん折り紙」のお礼だった。以前勤めていた施設の利用者、パーキンソン病で身体の動きのままならないTさん、77歳女性。おしゃれな方で、綺麗な和紙を使ってご自身で作られた名刺入れを幾つか下さったことがある。こういうのはお好きだろうと思って送ったのだが、受話器からは涙声が聞こえてきた。「ありがとう。でも最近は手がいうことを利かなくてね、身体も…」声はよく聞き取れた。施設でお世話していたころは、耳元で聞かないと聞き取れないことがよくあった。パーキンソンは、声も出にくくなる。だから、施設内で折を見てカラオケに誘ったりもしていた。そういえば携帯はお好きだった。あぁ、そうか。携帯が声を拾ってくれて、相手に聞き取られやすいからなんだと、このとき初めて了解した。「ありがとう」を繰り返される。またいつか。こちらも心で念じた。

 

③当日(9月23日日曜日)

 前夜は、蒸し暑くて眠れなかった。走れるのか? だが、無理を言って参加させてもらった以上、途中棄権はできない。走るしかない。午前5時、暗い中をスタート。10km辺り、大分空港を過ぎたころ赤い陽が上ってきた。今日も暑くなりそうだ。

 10kmを過ぎて、見覚えのある男性と出合った。腰のポーチに萩往還のワッペン。サロマの85km付近で声を掛け合った人だ。熊本の方。Mさん、51歳。萩往還では250kmを走られたらしい。私は140kmでした、と言うと、「時間は?」「19時間30分でした」「速いですね~来年は250kmですね」またお遭いしましょうと、5kmほど併走して、別れた。

 30kmから(はやくも)身体がしんどくなってくる。不眠の影響? 40km辺りの山越えを終えたところで、ついに歩く。5kmほど歩いた。50kmの折り返しまでもうすぐのところで、同部屋だった福岡のHさんに出合う。「がんばりましょう」とエールを交換。直後に、スタートしたばかりの50kmの部の参加者たちとすれ違う。私の名を呼ばれた気がした。

 50kmの折り返し地点ではおにぎり2個と豚汁が頂けるのだが、しんどくて食べ物を受け付けない。しばらく横になり、バナナ1本と豚汁を半分、口に入れて、スタート。5時間25分経過。

 53km辺りで、昨夜の前夜祭で知り合った熊本のTさんと合った。60km辺りでは、萩往還で知り合った宮崎のTさんに、さらに前夜同部屋だった兵庫のOさんに出合い、声を掛け合った。

 また山を越えて、62km辺りのエイドで、大会案内を見ながら、おじいさんが「あんたの番号(146番)と名前載っとらんよ~」と言われる。「はい、すいませ~ん」と言うと、「さては遅く申し込んだんじゃなぁ~(笑)」隣りのおばさんは私のTシャツ(萩往還の参加賞)を見て、「あんた山口の人?」「いえ、これは山口の大会でもらったんです」大会案内には参加者の名前、ゼッケン番号、都道府県名まで書いてあり、番号が書いてないせいで、エイドのボランティアの人たちには私の情報が無い。それで、エイド毎に「どこから来たの?」と聞かれる。大分に来て間もないので、そのたびに「熊本です」と答えた。

 70kmを過ぎて、疲労はピーク。炎天下で、脱水症、熱中症も心配される。走りながら、「横になって休めるところ」を探した。幸い、小さな川にかかっている橋の下を見つけ、40分ほど横になった。ようやく立ち上がり、しばらく歩き、沿道のコンビニに入り、コーラとゼリーを口に入れる。ここでようやく回復。80km辺りのエイドでは、おじさんから「あんた、寝ちょったなぁ~、背中が汚れてるよ(笑)」またしばらく行って川を見つけ、Tシャツを洗い、走り始める。残り18km、10時間20分経過。

 回復してからは、気持ちよく走った。相変わらず暑かったが、陽も傾いてきた。この10時間の苦しみは、何を意味したのだろう? と、ふと思った。これから、明日からまた走れる、そんな気持ちでゴールテープを切った。

 (記録:12時間04分28秒)

 

 

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