音楽

パブロ・カザルス 鳥の歌

 ジュリアン・ロイド・ウェッパー編/池田香代子訳(1989).パブロ・カザルス 鳥の歌.ちくま学芸文庫

《だれもカザルスがチェロを演奏しているとは思わなかった。彼は音楽を奏でているのだ》p.61 ポール・トルトゥリエ

《体はよく動くが、それはかくれた思想の動きを反映して、的確でいきいきとしている。魂の底の底まで感情がみちあふれている……》p.65 ウジェーヌ・イザイ

《私はカザルスがどんな楽器を演奏しているのかを忘れることすらあった。私たちと作曲家じしんの声のあいだにはなにもないように思われたからだ》p.66 アイヴァ・ニュートン

《バッハはこういう人だったのではないかと私は思う。人生と芸術が完璧をなしている、そういう完全無欠の人物だ》p.71-72 ポール・トルトゥリエ

《音楽に奥深いものをかんじとり、自分のもっとも深い思想や、心の奥の奥に秘められた感情を形にしたいとねがうものにとって、オーケストラは最高の手段です。そしてこれとおなじくらい魅力的なのは、共同ということです。たくさんの人があつまって音楽を作りあげるという体験に、私は夢中になっています》p.74

《カザルスのただひとつの関心は音楽に、そして作曲家の意図の解釈に向けられています。カザルスは歌います……霊感をあたえてくれます》p.79 パウ・カザルス管弦楽団の演奏者の一人

〈カザルスは、組曲第三番のクーラントをスタッカートで弾いたことについて、こういった。

「純正主義者たちは、私の奏法に憤慨している。なぜならバッハの時代にはスタッカートは存在しなかったらしい――そうらしいからっていうんだね」〉p.94

《組曲はアカデミックな作品と考えられてきた。テクニック一辺倒の、機械的で温かみのないものだと。考えてごらんよ! 広がりと詩情が一点の曇りもなく輝きあふれるあの曲が冷たいだなんて、だれがいえるだろう! あの作品はバッハの本質そのもので、バッハは音楽の本質そのものなのに》p.95

《音楽は目的のために役に立たなければならない。人間性という、音楽自体よりも大きなものの一部でなければならない。そして、現代音楽について私がいちばんいいたいのは、それが人間性を欠いているということだ》p.110

《……むつかしいのは、理解できることばを使って自分じしんの個性を作品に刻み込むことだ》p.111

《……私は芸術家です。私が私の芸術で求めているのは、人と人との平和と調和だけです》p.136

《彼の芸術は激しい。にもかかわらずそれは悪との、道義にもとるあらゆることや正義を侮辱するあらゆるものとの妥協にたいする断固とした拒否と結びついている――そしてこのことはこの堕落した時代にあって、誇り高い、堕落しようもない高潔さの手本を掲げて、芸術家とはこれほどに高尚で幅広いものかと私たちが理解するよすがとなる》p.143 トーマス・マン

《カザルスとおなじ部屋にいて、まったく変わらずに出てくるのは不可能です》p.147 ある弟子

《どんなに重要な人物の企てや活動も、高潔さと優しさが核心になければならない》p.148

《魅力的と思われることはそんなに重要ではない。いい演奏をすることの方がよっぽど重要だ》p.150

《私はあらゆるところに、音楽に、海に、葉に、優しい行為に神聖な源を見る。こうしたすべてのものに、私は人びとが神と呼ぶものの存在を見る。そして私はこの神聖な血筋を自分じしんのうちにもっている。それがより高いなにか、あまりにも高いのでその存在は信じるよりほかないなにかの存在を教えてくれるのだ。そしてほかのなににもまして、私は音楽の奇跡のなかに神性を見る。バッハやモーツァルトによって生みだされた音は、無際限に善であるなにか、神聖ななにかを想定せずには説明できない奇跡だ》p.154

〈……しかしグリーンハウスはカザルスがおなじ音楽作品を再創造するさまを、畏怖の念をもって見守った。弓遣い、運指、解釈――なにからなにまでちがっていた。しかもじつに見事だった。解放された、とグリーンハウスはかんじた。カザルスは彼に、作品が第二の天性になるまで作品の様式と構造に同化するように強制し、ついでこの野心的なチェリストに、決定的な解釈などないということを、つまり作品が演奏されるたびごとに、その再創造には無限の可能性があるのだということを示したのだった〉p.162-163

《芸術家は自分が演奏する音楽に全面的な責任を負っている》p.168

《音楽は人生そのもののように、絶え間ない動き、つぎからつぎへと湧き出る自発性であって、あらゆる束縛から自由なのに、書かれた楽譜というのは拘禁衣のようだ》p.176

《私は生きています! ほんとうに生きている人はごくわずかです》p.216

《もちろん演奏し、練習しているよ。あともう百年生きたとしても、つづけるだろうね。チェロは私のいちばん古い友達だ。見捨てられるわけがないだろう?》p.219

《……仕事をして、それに嫌気がささない人はけっして歳をとらない。仕事と価値あることにたいする興味は、不老長寿のいちばんの薬だ。毎日私は新しく生まれる。毎日私はゼロから始める》p.230

《……いとも簡単に見える演奏は最大の努力からしか生まれない》p.232

空はここにある

 川嶋あいというシンガーソングライターを、最近知った。

 はじめに 『旅立ちの日に…』 を聞いた。旋律と声が良い。

 それで、youtubeで何曲か聞いてみた。『…ありがとう...』、『T』、他も心に残った。どれを聞いてもいい曲だと感じる。もっと聞いていたい。

 人が他者を思う、その時の純粋な「思いそのもの」に促されて曲が生まれているように感じる。

 たとえば。

 「少しのはずみでぼやけてゆくんだ信じ続けた愛と夢が 夜空に光ったつぶやくような星の影 涙でにじんだ だけど僕はここにいる 迷いながら生きているんだ」

 寄り添おうとする思いが、どこからか不意に訪れるのは、「思い」の中で生きて(生かされて)いるからだろう。

 11月に参加する「下関海響マラソン」で、「走っている時聞きたい曲」が募集されていたので、川嶋あい 『空はここにある』 をリクエストした。当日会場で流されることを期待しよう。

https://www.youtube.com/watch?v=eAzojmFlr84

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(「天空の道」にて)


プレゼント SEKAI NO OWARI

 Nコン2015 中学校の部課題曲

 ‘プレゼント’ 作詞 Saori 作曲 Nakajin (SEKAI NO OWARI) 編曲 大田桜子

 旋律がきれいで、シンプル。

 出だしの、「知らない」という言葉の意味 間違えていたんだ~ を初めて聞いた時、カーペンターズ「青春の輝き(I need to be in love)」を思い出した。

 The hardest thing I've ever done is keep believing ...

 歌詞もわかりやすい。

 自分自身にその言葉を贈るよ~は、アンジェラ・アキ「手紙」が意識されているのかもしれない。

 いま君のいる世界が 辛くて泣きそうでも それさえもプレゼント~ がとても良い。

 水俣病の語り部、杉本栄子さんのお父さんの言葉を思い出す。

 「病気に罹ってきつか、死んでも死にきれんほどきつか

 いいか、水俣病は〈のさり〉と思え 人のいじめは海の時化と思え」(藤崎童士著『のさり――水俣漁師、杉本家の記憶より』

 「のさり」とは、天から授かった恵みを言う。嬉しいことも、辛いことも。そのようにとらえることが、見方を変えてくれ、また人に優しくなれる。

 くり返し聴いていると、一つ一つの言葉が訴えかけてくるのを感じる。純粋な何かを大切にしようとして、曲が紡がれているのだろう。

 この曲は、「平和」へのメッセージとして、とても良いと思う。

 今年のコンクールが楽しみ♪

https://www.youtube.com/watch?v=TTd3BWkAimM

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(アントルメ)

青い童話

 作詞・作曲・うた 千秋

 NHK「みんなのうた」で2001年10-11月に放映されていた。

 千秋自身のことを歌っているよう、また、絵本を見ているよう。

 人は幼い頃の自分をいつまでも抱え持っている。

 小さく、弱く、頼りない自分を。

 自分の核の近くにあり、成長の過程においても無くならずにじっとしている。

 時々忘れたりするのだけれど、山道のお地蔵さんのように、ひそかに息づいている。

          *          *          *

 幼い頃に見た世界の色彩は鮮やかだ。

 なぜあの鮮やかさは年を重ねる毎に褪せてゆくのだろう?

 情感と重なり合っているせいかもしれない。

 幼い自分の中には、怒りや悲しみなどというように名づけることのできない、どこまでも広がっている情感があり、それが色彩と重なり合っている。

 だから、色は鮮烈で、深みを帯びている。それは世界そのものなのだから。

 「青い童話」もまた、小さな女の子に宿った未分化の情感に彩られている。

          *          *          *

 人は無意識に幼い頃の情感との対話を繰り返しているのかもしれない。

 それは克服されたり無くなったりするものではなく。いつまでも物語を生きている気がする。

 かたちなき、生(なま)の記憶として。

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(ひらくかな?)

 

 

心に響く「何か」

 人と人との関係においては、ノン‐バーバル・コミュニケーションが大切である。2人の間にながれはじめる「何か」、それを感じ、いっしょに育てる。

 音楽を聴くときも、旋律、ハーモニー、音色だけではなく、感じられる「何か」が大切である。

 指揮者と演奏家の間、演奏家同士の間に生まれる呼吸、信頼のようなもの。

 一方が言わんとしていることを、他方が汲みとり、合わせようとすること、あるいは意想外の「何か」を生むこと。

 さらに言えば、演奏家たちの心、である。それが素直であると感じられるまでに洗練されていること。

 日々の音楽経験を通して、柔らかく、洗練されていること。

 それが響いて来る。

 それは、その場で響き合うだけでなく、どこか遠い、無限の場所へといざなってくれる。その場所は、いままで出合ったことのない場所のようで、どこか懐かしい感じのする場所でもある。

 出合ったことがないからこそ、懐かしいと感じられるのかもしれない。

 私たちはそれと触れ合うために存在している。

 いわゆる音楽だけでなく、何をしていても、どこにいても。

  https://www.youtube.com/watch?v=FrjfZSfvMrQ

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(藤色が咲きはじめました)

第35回 ルベック定期演奏会

 今日、毎年恒例となっているビーコンプラザでのギター演奏会を聞きにいった。

 プログラムの表紙左上に小さく、「響き合う心 深まる絆」と書いてある。その通りの演奏会だった。もう35年も続いていて、私は第32回から聞いている。

 第1部では、指導されている方々、演奏者のみなさんの熱意が伝わってくるようだった。丁寧に、柔らかく音を出し、ときにユーモラスなアレンジも加わる。楽しいひと時だった。

 第2部、山口修さんのギターリサイタルは、もっともっと聞いていたいと感じた。演奏の合間の語りでは「私はギターに癒された」と仰っていたが、聞いている側も、癒された。心地よいメロディーは、何かを追究しているようで、その演奏は私たちをどこかへ運んでくれているようだった。

 運ばれた先はスペインだったかもしれない。もっと別の場所かもしれない。

 見知らぬ場所、だが懐かしい場所。この宇宙に、場所は無限にあり、そのどこかに、私たちは不意に降り立つ。そしてその度に何かしらの感慨を覚える。何度も聞いているはずの曲なのに、聞く毎に新しい場所に立つ。

 演奏家たちは、その旅を誘ってくれる。

 座席の3列前では、盲導犬が stay をして、時折り両耳を小さく動かしていた。何を聞いているのだろう? どの場所にいるのだろう?

 タクシーを呼んでいた時間が演奏のちょうど終わった時間だったので、急いで会場を後にした。余韻がまだ残っている。

048

(水平の彼方へ)

 

 

 

心をこめて 郡山第五中学校

 先日、Nコン全国大会中学校の部を聞いた。

 印象に残ったのは、郡山第五中学校の演奏。美しいハーモニーでもあるのだけれど、他の学校の演奏と違うのは、優しい歌声であること。

 なぜだろう。

 演奏前の学校紹介のVTRでは、練習のモットーは「誠実に努力し、限界を決めずにがんばること」と説明されていた。誠実に努力する、その通りなのだろう。

 最後に、生徒全員で「心をこめて歌います。どうぞ、お聞きください!」と締めくくっていた。誠実に努力することが、心をこめることに結びついている。イコール、である。

 何度聞いても、飽きるどころか、ますます優しい気持ちを感じるようになる。

 心がこめられているから。

 その努力をすることが、生きること。

 https://www.youtube.com/watch?v=ZF-1qO-Ygcw

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(ハートをこめて)

 

ツル ノリヒロ

 妻が勉強している心理の先生の甥御さん。ヴァイオリン奏者。

 ピアノ、チェロ、ギター、ドラムスと共演されている。

 代表曲は Last Carnival。キム・ヨナさんも舞っていた。

 ジブリの曲も多く編曲されている。

 今度の秋に、中津市でコンサートを開かれるらしい。

 きれいな、優しい音色のなかに、秘められた情熱が感じられる。

 あるいは、遥かな大地と空の思念か。

 生の演奏を聴いてみたい。

 秋が、たのしみ!

 https://www.youtube.com/watch?v=zc7fdYSSvqQ&list=PL7805A93235575834&index=2

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(a peafowl on the monkeypod 2013.6.2)

  

Ron Artis Family Band

 2013.6.3 in Haleiwa

 10人位で音楽活動、絵描きをやっているハワイ・ハレイワの家族を訪れ、演奏を聴かせてもらった。

 声も、音も、踊りも素晴らしい。何より笑顔がいい、みんなの性格がいい。

 ずっと聴いていたいと感じた。声が心に沁み込んできた。

 なんていい家族なんだろう!

 プロとしての音楽活動はしないのだと言う。

 もったいない気もするが、それで良いのだろう。

 演奏中、下の男の子(緑のジーンズの子)が踊っている傍から2匹の雛がピイピイと加わってきた。雛たちもメンバー?

 お姉さんの絵も、感性豊かで素晴らしい。対象を瞬時に絵で理解する才能を感じた。

 http://www.youtube.com/watch?v=JIcEAftYkfY

015

(みんな笑顔で)

 

桜吹雪

 3月31日(日)、久しぶりにコンサートを聴きに行った。

 演奏は竹内幸一さん、鉄輪のライブハウス「竹の里」にて。

 沖縄の音楽と、ディズニーの音楽、そしてギター二重奏。

 童神~天の子守唄、安里屋ユンタ、黄金の花、涙そうそう、島人ぬ宝、ハイ・ホー、愛を感じて、ララルー、美女と野獣、ベベディ・バビディ・ブー、対話風小二重奏曲第2番作品34-2、アンクラージュマン作品34。

 2年前の5月にも、同じ場所で、同じ演奏家の音楽を聴いた。

 優しい演奏だと感じる。一つ一つの音が心に届いてくる。強風の舞う外の世界とは違い、和やかな雰囲気の中で、時が穏やかに過ぎていく。

 演奏会が終わり、外に出た。満開の桜がそこここを明るく染めている。舞う花びらたちに惹かれて、木の下へ。観光客らに交じって、写真を撮る。

 今日、演奏会を開いてくれたから、いまここの風花に出会えた、その偶然、邂逅に不思議な縁を感じる。

 synchronicity 共時性の贈り物。

 constellation 星のような、花びらの運行。

 いまここの僥倖。

 日が翳り、風は冷たさを運んでくるけれど、あたたかな感覚がいつまでも内外にに浮遊する。

 この記憶はいつまでも残るだろう。

 いくつもの時を超えて。

https://www.youtube.com/watch?v=cD0R2w1GU9o

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(鉄輪の空の下で) 

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