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緋の舟

志村ふくみ・若松英輔(2016).緋の舟 往復書簡.求龍堂

〈ここでの「吹雪」は、容易に先を見通すことのできない、人生の試練です。試練はしばしば困難を伴う。だが、先が見えないという困難こそが、絶対的に待望しているものの到来を告げ知らせているように感じられる……私を守護する何かが、来るべきものの接近を語ってくれているように感じられることがある。リルケにならって、そうした存在を天使と呼ぶなら、天使の声は試練のとき、もっとも鮮明に、また確かに、胸に響きわたるように思います〉p.32 (若松)

 

〈私も同様の経験があります。そのとき私は、死者が私に付いてきているのではない、私が彼らに導かれて来ているのだ、と思いました〉p.35 (若松)

 

〈自分にとって、書くとは内心の思いを表明することであるよりも、どこからともなく自らを訪れる言葉の通路となることだと、石牟礼さんは穏やかにですが確信に裏打ちされた面持ちで、語ってくれました〉p.43 (若松)

 

〈同じ人間として目を覆い、直視することのできないこの暗黒の中に、その暗闇が底なしに深い故に、石牟礼さんの言葉が浮かんでくるのです〉p.51 (志村)

 

〈先生にお目に掛るとき、私だけでなく、私の死者もまた、喜びを感じるのが分かります〉p.56 (若松)

〈ここに宇宙がある、そうほとんど直観的に感じたのです。

 そう認識したのは私だったのか、むしろ、見よ、ここに宇宙があると、何ものかに示されたようにすら思われました〉p.76 (若松)

 

〈「人間が知らなくてはならないことはすべてその魂に宿っている」というプラトンの「想起」、「内なる叡知の存在に気がつきさえすれば、人は必ず変わる」という池田晶子の思想〉p.82 (志村)

 

〈イスラームの神秘哲学者にとって「哲学」とは、人間による単独の思惟ではなく、超越者からの呼びかけに対する応答でした〉p.104 (若松)

 

〈その矢先、「宣長はいう。「意ト事ト言ハミナ相カナヘルモノニシテ」と。つまり精神と行為と言葉とは同じものだというのだ。この三位一体が彼の認識論の基本的方法である」と『吉田健一』(長谷川郁夫著)の中に書かれていて〉p.112 (志村)

 

〈ここでの霊とは、先生も幾度も書かれているように存在の根源であり、人間が超越と交わる場でもあります……美は、いつも霊に語りかける。私たちは美にふれることで内なる霊があることを知る……〉p.122 (若松)

 

〈少し奇妙な感じがするのですが、この大聖堂は、見る者を大宇宙にではなくむしろ、小宇宙へと導きます。自分のほか、誰も顧みることのない思い、祈り、あるいは願い、そうしたことが絶対的な意味をもって存在していることはっきりわかるのです。

 誰の胸にもかけがえのない宝珠のような、自分でも気が付かない悲願があって、それが人間と人間を深くつなぎ止めていることを思い出させてくれる、そう思われました〉p.130 (若松)

 

〈ゲーテアヌムを訪れてのち、この黒板絵がどんな役割を持って私に迫ってくるか、これも今回の数々の共時性のふしぎの中に入っているのです。人はある時、目に見えない紗幕ヴェールをとおって何かが見えてくるようです〉p.144 (志村)

 

〈とくにクレーの墓碑銘「わたしの存在はこの世ではとてもとらえきれない」にはじまる詩と、「芸術とは目に見えるものを再現することではなく、目に見えるようにする」という一句、この言葉を考え考え、今日に至っています〉p.158 (志村)

 

〈この像は年を重ねるごとに存在の重みを深めていくであろうことが感じられ、今日に生きる私たちは、像が掘り出された当時の人々が見ることのできなかった光にふれているのではないかとすら感じられました。言葉が読まれることによって結実するように、像は、その前で人々が捧げる祈りによって育ってゆくのではないでしょうか〉p.181 (若松)

 

〈貧において豊かであること、これが芸術の源泉のように思われます。ここでの貧は金銭における、あるいは状況における貧しさと必ずしも同じではありません。むしろ、それは魂において空であることと書くことができるかもしれません〉p.183-184 (若松)

 

〈芸術とは、畢竟、光の業なのではないか……芸術家とは光の通路となることを志願し、その実現を祈る者の呼び名なのではないでしょうか……文学者とは言葉の光、あるいは光である言葉の眷属になることです。そうでなければ言葉が、歴史の住人たちに届くはずはありません〉p.185 (若松)

 

〈どんな時も現実を越えた思念の世界に私達はこの足のつま先でも届いていなければならない〉p.191 (志村)

 

          *          *          *

 

 死者とは何か? 言葉の通路であるこの私を形づくっているもの、私の思いを過ぎるたしかな存在、いつでも傍にいて、私の生を促しているもの。お二人の書簡を読み、死者とともに在ることの大切さを思う。また、リルケとクレーの対話、原民喜と石牟礼道子の共通性。語り、表現しようとしているのは、ほんとうは誰なのか? 言葉をもたないもの、死者でも、天使でもなく、なにものでもないもの。

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