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狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ

梯久美子(2016).狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ.新潮社

〈異常な時間と空間の中で死と向き合った人間の心の動きを執念ともいえる精密さで再現したこの二作の中で、島尾は自分が死んだ後の恋人の運命に対する主人公の無頓着さをそのまま描き出している〉p.204

 〈眞鍋は、島尾はミホが日記を見るであろうことがわかっていて、彼女にとって衝撃的なことをあえて書いた可能性があると言った〉p.233-234

 〈島尾が漠然と期待していた女性像をミホは演じ、そのことに陶酔していた。それがこの夜、最高潮に達したということなのではないだろうか〉p.249

 〈二人の恋愛は、言葉、それも会話より書き言葉によって構築されたものだった。二人とも言葉の力で恋愛に昂揚と陶酔をもたらすことに長けていたが、それは同時に、言葉に囚われていたことでもある〉p.250

〈それは、ミホの中に、夫ではなく自分自身の言葉で事実を語りたい欲求があったからではないだろうか……このときすでに、ミホは「書かれる女」から一歩踏み出しかけていたのかもしれない〉p.309-310

 〈けもののように咆哮して畳を這い回るほど衝撃を受けたのは、浮気の事実によってではなく、日記に合った言葉――半世紀たってもありありと眼前に浮かぶとミホが言った十七文字――によってだったのだ〉p.311

 〈清書しながらしばしば狂乱しつつも,島尾に『死の棘』を書き続けることをうながしたミホ。それはミホ自身が,あの十七文字を帳消しにする膨大な量の言葉を島尾からささげられることを求めていたからに違いない〉p.315

 〈破綻の中で初めて見えてくるものがあるはずだという期待が作家としての島尾の中にあり、この時期、それを見たいという強い欲望を持っていたのは確かだろう。

 ミホはミホで、自分が存分に狂ってみせることが、よどんで閉塞した状況に風穴をあけることになると、無意識のうちに気づいていたかもしれない〉p.325

  書く(創造する)ことで、島尾は癒されただろうか? 癒すとは、自分の膿を見つけ出し、捨て去ることではないだろうか。

 〈自分の外出中に留守宅で何かが起ることを、おそれつつ待ち望んでいた島尾。ミホの審きを待っていたということは、すなわち、加計呂麻島による審きを待っていたということである。

 もしも島尾が、ミホが日記を見るよう仕向けたのだとすれば、それは一方では小説のためであり、もう一方では、意識下にあった「自分は審かれるべき存在だ」という考えを現実化するためだったろう〉p.349

 〈長男の伸三が「どんな試練がきても、それに耐えることで、彼は自分の魂を浄化する方法に換えることができた」(『魚は泳ぐ』)と書いているが、審かれる痛みは島尾にとって生きていることの確かめであり、その痛みに耐えることによって、ある種の安定を得ることができたのかもしれない〉p.349

  創造の過程で、自己は見つめられ、問い直される。見つめ、問うているのは絶対他者である。絶対他者が「私」を癒している。

 〈繰り返された発作は、文学仲間との浮気を知るという形でようやくミホに訪れた「戦後」に対する拒否反応でもあった。ミホが日記を見て狂乱に陥ったのは昭和二十九年だが、その前年に奄美群島は日本に返還されている。本土より遅れて奄美にやっと戦後が訪れたとき、ミホもまた、彼女にとっては陶酔そのものであった戦時下という時間に決別しなければならなかった〉p.389

 〈南島を体現したような人物だった文一郎の娘ミホ(養女ではあるが実の娘以上の存在だった)の狂気によってすでに審かれていた島尾だが、奄美に居を定めたことで、今度は直接、島とそこに住む人々から審きを受けることになった。それがあくまで島尾の主観だったとしても、奄美は彼にとって審きの場だった。だからこそ、『死の棘』は、東京ではなくこの地で書かれなければならなかったのだ〉p.449

 〈島尾の没後、ミホは島尾を聖人のように語り、自分たちの夫婦愛を神話化するのだが、その背景には、最大の負い目である「父を捨てたこと」を正当化したい気持ちがあったのではないだろうか〉p.455

 〈「妻への祈り・補遺」には「妻は私にとって神のこころみであった。私には神が見えず、妻だけが見えていたと言ってもいい」という一節がある〉p.461

 〈人間の罪を、観察可能な「物」として目の前に提示してみせること。それはまさに、『死の棘』という小説によって島尾が行おうとしたことではなかったか。全能の作者としてミホの内面に入りこんで描くことをせず、理解の及ばぬ他者として描き続けた姿勢、そして現実生活においては何があってもミホの傍を離れようとしなかった生き方の底には、自分の罪をひたすら見つめ続けることが償いにつながるというこの感覚があったのかもしれない〉p.463

 〈大平家の屋敷跡と墓は、ミホの悲しみと悔恨、憤りの象徴であり、そこに誰かが足を踏み入れることは、ミホにとって、いわば"負の聖域"を侵されることだったのではないだろうか〉p.470

 〈ミホは押角で、もはや拒み得ない「戦後」に直面させられた。それを受け入れざるを得ないことに気づいたとき、発作を起こすエネルギーも失われたのだろう。島で一晩を過ごし、港から船に乗ったときのことを、ミホは「「死の棘」から脱れて」の中で、「父が真珠の養殖をしていたクバマの沖を通った時、私ははっきりと過去に決別を告げることができました」と書いている。このときようやく、ミホの戦後が始まったのである〉p.472

 〈横たわって動かない鼠を「妻だけに属したもののように見えた」と書く島尾は、見るものと見られるものとの間に成立するひそやかで親密な関係を鋭敏に察知している。その間に自分は入り込めないことも〉p.484

 〈こうした外向きの意識だけではなく、ミホ自身の中にも、書くことへの欲求を抑圧するものが存在したように思う。自分の名前で世に出て評価されるよりも、地位ある夫に愛され、献身する妻のほうが好ましいという価値観である〉p.499

 〈さまよい出たイキマブリがたどる道筋の風景に、作者のミホは南島の習俗や信仰のあり方を示すもの――カムダハサントゥロ、サトヌミャー、マブリイシ、ナハダヌミャー――を点在させ、生き霊の存在が信じられている世界へと読み手を巧みに誘いこむ〉p.515-516

 〈ミホ自身、狂うことが起死回生の道であることを、どこかでわかっていたのではないだろうか〉p.534

 〈絶対的な夫婦愛は、ミホが作り上げようとした神話だった。それは世間に対してだけではない。島尾のために養父を捨てたという負い目を抱えたミホは、島尾がそれに値する男であったこと、自分たちが至上の愛で結ばれた幸福な夫婦だったことを、誰よりもまず、死んだ養父母に対して示さなければならなかった〉p.601

          *          *          *

 一方では、破綻の中ではじめて見えてくる何かへの期待が島尾敏雄にあり、他方では、自ら狂うことが救いとなるとの予感がミホにあったかもしれないこと、そして、かれらがその期待や予感を生きたことが、私には興味深い。誠実なのだ、生きることについて、出会いの瞬間から。大切な部分は事実を曲げることなく表現しようとしたことも。敏雄が自分の罪を見つめ続け、それを表現すること自体が償いであったということも。ミホが、夫の没後二十年間喪に服しながら生きたのはなぜだろう。感謝と、償いか。また、養父への思いもあったのかもしれない。

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