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鳥と砂漠と湖と

テリー・テンペスト・ウイリアムス(1991)/石井倫代(1995).鳥と砂漠と湖と.宝島社

〈私は魂の世界を信じるように育てられた。生命はこの世に現れるより前から存在しこの世の後にも存続するということ、人間一人ひとり、そして鳥もカヤツリグサも、ほかのいかなる生命のかたちもこの世に物理的に存在するようになる前に魂としての生命をもっていたということを信じるように育てられた。それぞれが割り当てられた勢力の範囲を持ち、それぞれが一つの場所と一つの目的を持っている〉p.20-21

〈渓谷で過ごした日々は瞑想であり回復なの。その孤独が私を強くしてくれる。私は今それを持っているの〉p.39

〈太陽がアンテロープ島の向こうに沈んだ。グレートソルト湖は盆地の床の上に置かれた鏡だった。光の質が変わり、山裾の丘に強く光沢がかかる今、このあたりにいると、人は水の感触を感じた〉p.45

 〈葉緑素の小さな緑色の輪が太陽光線を糖分に変えていた。私はひざまずいて手でひとすくいした。微細な動物や無数の幼虫が私の手からこぼれた。数秒以内に、小宇宙の湿原は私の指の間から抜けていった。それに続いた淋しさに私は不意を突かれた〉p.53-54

〈がんのプロセスは作品創造のプロセスに似ていなくはない。アイディアはゆっくりと静かに、はじめは目立たないかたちで現れる。多くの場合、それは異常な思考、つまり日常的なものや慣れ親しんだものを粉砕するような思考である。それは細胞分裂し、繁殖し、侵入者となる。時が経つにつれ、それは凝結し、合併し、意識的になる。一つのアイディアが浮上して全面的な注意を促す。私はそれを私のからだからとり出し、引き渡す〉p.57

 〈突然、群れは一瞬びくっと閉じる目のように固まりそれから羽毛の爆発のように開く。一羽のハヤブサが締め出されるが、戦利品がないわけではない。折り畳んだ翼で彼は一羽のムクドリを打ち、中空からそのからだを引ったくる。群れはもういちどまばたきして、ムクドリたちは離散する。一羽また一羽と埋立地に戻る〉p.72

 〈アンテロープ島はもはや私にとって容易に近づける場所ではない。それは不確かさの中に浮かんでいる私の母のからだである……私たちはみんな気が気でない。そうでないのは母だけだ。何が見つかっても関係ないと彼女は言う。今という時があるだけだ、と〉p.8182

 〈ヒナが早熟なのは多くの水鳥に共通していて、つまりそれは地面に棲む鳥を捕食する動物に対抗するための適応なのだ〉p.93

 〈私は自分自身が癒されたいという欲望によって母を傷つけたのだ〉p.95

 私の中に降りてくる想念を大切に保持する――私という場所でかたちを成すものたち。

 〈エミリー・ディキンソンが「希望とは、羽毛をまとい魂のなかで止まり木に止まっているもののことだ」と書く時、鳥がそうするように彼女も、信じることの解放感と実用性を私たちに思い起こさせる〉p.113

 〈自分自身の経験を頼りにしないように私たちは教えられている。グレートソルト湖は経験こそが財産なのだと私に教える〉p.115

 〈風が私のからだの上で回転する。砂の粒子が私の皮膚の上をかすめて飛んでいき、私の耳や鼻をいっぱいにする。呼吸していることだけを私は意識している。肺の働きが拡大される。風が勢いを増す。私は息を止める。風が私をマッサージする。カラスが数インチのところに舞い降りる。私は息を吐き出す。カラスが飛び立つ。砂漠では物事が迅速に起こる〉p.136

 すぐれた自然観察者による、グレートソルト湖の変容とそこに棲む鳥たちの描写、そしてがんを受容する家族のお話。

 表現が美しい――テリーの感性が深くて素直なのだろう。

 その感性は、ユタに生きてきた祖先から受け継いだものか、ソルトレイクの自然から分与されたものか。

 〈女である私たちはおなかの中に月を持っている。満月のエネルギーで一年三百六十五日動こうとするのは無理というものである。今私は三日月の時期にいるのだ。そして私たちが情緒的に使うエネルギーは月の見えない側に属している〉p.167

 〈彼は塩の結晶で光っている広大な水の広がりに目をやった。「むろん、この湖にも心がある。だがそいつは我われの心のことなんかおかまいなしさ」p.171

 〈月の暗さの中に成長がある。植物は昼の太陽の中でよく育つわけではなく、むしろひっそりと人目につかない新月のもとで育つのだ〉p.180

 〈悲しむことをたぶんいちども許してもらってこなかったんだと思うわ。悲しむことをたぶんいちども自分に許してこなかったのね〉p.190

 〈心に思い浮かべてみるように私は彼女を説得する。痛みはどんなふうに見えるのか、何色なのか想像し、抵抗するよりもむしろその感覚に寄りかかって入りこんでいくように彼女を誘う。私たちはいっしょに息をして瞑想する。

 光が深くなり始める。日没である〉p.193

 〈私たちは待つ。私は川に渡されたクモの糸にかかって過去と未来の間に宙吊りになっている。

「テリー、手放そうとしている最中の命を望み続けるのは、私が今いる瞬間を私から取り上げることなのよ」〉p.199

〈それから、まるで麻薬のように、希望が悲しみの中にしみいってきた〉p.202

〈「断念することって学ぶものね」と私が彼女の背中をさすっている時、母が言った。

「空っぽの静脈になって、そこを命が流れていくままに任せることを学ぶの」私には理解できない。

「あきらめているんじゃないの」と彼女が言った。「ただそれに任せようと思って。何もかも入ってくるままにさせて、何か別の命の道筋に沿って動いていっているみたいな感じなのよ。突然、闘うことはもう何もないの」〉p.203

〈ゆっくり、骨折りながら、私は自分の保護区が母の中にあるのでも祖母の中にあるのでもなく、ベア川の野鳥たちの中にあるのでさえないことを発見しつつある。私の保護区は私の愛の能力の中にあるのだ。死を愛することを学べるなら、変わりゆくことの中に保護区を見出すことができるようになるだろう〉p.219

 〈それは一千年のかなたから手を振っているのだ。工芸品は生きている。一つ一つが声(意見)を持っている。人間であるとはどういうことか――生き抜いて、美しい作品を作り、創意工夫をこらし、自分が生きている世界に対し深い注意を払うことが私たちの本性なのだということを思い出させてくれる〉p.231

〈トマス・マートンは書いている。「沈黙は私たちの精神生活の強さである……もし人生を沈黙で満たすことができるなら、私たちは希望とともに生きるだろう」p.235

 〈その木曜日、弟たちと私は学校から帰って祈った。家族みんなで私たちは居間にひざまづいた。誰も一言もしゃべらなかった。しかしその部屋の静けさの中に天使がいるのを私は感じた〉p.240

 〈魂はね。でも頭がついていけないの〉p.256

 〈何年間も、母の死の瞬間には自分が彼女のかたわらにいるものと私は思ってきた。私はその思いこみを捨てなければならない。死の瞬間などというものはないことを彼女に教えられた。それはプロセスなのだ。それに、彼女は――〉p.278

 〈私は喜びを感じる。愛を感じる。彼女の私への愛、私たちみんなへの愛、彼女の人生と誕生への愛、彼女の魂の再生を感じる〉p.282

 〈エーリッヒ・フロムがこう書いている。「個人の全生涯は、自分自身を誕生させるプロセスにほかならない。まったく、私たちは死を迎えて初めて完全に誕生するはずなのだ」〉p.283

 〈子どものころ私が耳を傾けるように教えられた「静かな小さな声」は「精霊の贈り物」だった。今では私はこの存在を聖なる直感、母性に備わる才能、として認識することを選ぶ〉p.293

 静かな小さな声を聞く、それが生きること。

 〈グノーシス派の教えはこうだ。

 というのもあなたの内部にあるものこそあなたの外部にあるものであり、あなたの外部を形作るものがあなたの内なる世界をかたちづくるものだからである。そしてあなたの外に見えるものはあなたの中に見え、それは明白なものであってあなたの衣である〉p.322-323

 〈過ぎ去った七年間が私とともにある。母とミミがいる。関係は続くのだ――予期していなかったことだけれど〉p.332

 関係は続く、そう、終わりはない。

 

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