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私たちの星で

 梨木香歩,師岡カリーマ・エルサムニー(2017).私たちの星で.岩波書店

 〈でもその一方で、人は今も異質を嫌い、同化を謳い、他者を排斥せずにはいられない〉p.81

 なぜ異質を嫌うのか、不思議。むしろそれは魅力的な何かとして歓迎されるはずなのに。

 〈そうはせずに、自らの領域に侵入してきた文明を受け入れ一体化する自然の、意志とセンスに圧倒されながら最初に浮かんだ言葉は「寛大」でした。さらに言えば、完璧な美意識と自信に裏打ちされた、たくましい寛大〉p.84

 擬人化。擬人化するのではなく、人のありさまが擬物化されるほうが自然なのでは。

 〈私は、けれどよくわからないのです。こういうことを強固な信仰心、と呼んでいいのかどうか、わからない。信仰、という名前のつけ方で呼んでいいのか。宗教的組織の「教え」に従い、ブルキニを着る少女のそれも〉p.92

 〈信仰は、神でなく人のためにあると思うのです。神は人を必要としませんから。人と神との関係を司る精神の領域である信仰が、人と世界との対峙を司る自我の領域と重なったとき、信仰はイデオロギーとなり、自己定義のアイデンティティとなり、どんな責め苦にあっても譲れないプライドとなるのかもしれない。周囲を見ているとそう思えるけど、それではナショナリズムと違いません。

 結局私にも、わからない。命を捨てるほどの信仰心もまた、一部の人が持って生まれた素質だから。私には測り知れないけれど、私に与えられた使命はきっと別の次元にあるのでしょう〉p.99-100

 〈信仰も本来、そういうものなのでしょう。それは神と、自分しかいないと措定された場の話であり、――もしかしたらそこには自分しかいないのかもしれないけれど――少なくともそこは他者との関係性が入ってくる余地のない場として、人間が自らの切実な必要のために辿りつく場所……〉p.103

 信仰とは問いである。神への、存在への。

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