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2019年3月

愛なき世界

 三浦しをん(2018).愛なき世界.中央公論新社

 〈「植物には、脳も神経もありません。つまり、思考も感情もない。人間が言うところの、『愛』という概念がないのです。それでも旺盛に繁殖し、多様な形態を持ち、環境に適応して、地球のあちこちで生きている。不思議だと思いませんか? ……だから私は、植物を選びました。愛のない世界を生きる植物の研究に、すべてを捧げると決めています。だれともつきあうことはできないし、しないのです」〉p.92

 無私なる思考。

 〈楽しい時間ってなんだろう。……でも私は、ご飯はちゃっちゃと一人で食べて、あいた時間でシロイヌナズナの種を一粒でも多く採りたいし、遊園地の乗り物に振りまわされたり落下させられたりする暇があったら、シロイヌナズナの細胞を顕微鏡で静かに眺めていたい。そのほうが楽しい〉p.116

 突き動かされている時間。

 〈一瞬かもしれなくても、なにかがたしかに結びあったのだと感じられ、うれしかった。

 ……

 それがあるから、研究をやめられない。

 それがあるから、ひととして生きるのをやめられない〉p.184

 ひととして、は必要だろうか?

 〈そうすると不思議なのは、やはり植物だ。脳も神経もない植物は、愛を必要としない。それでも光と水を糧に,、順調に成長し生きていくことができる。食べ物があるだけでは決して満たされない人間とは、「生きる」という意味がまるで違うみたいだ〉p.220

 生きるとは、光や水とともにあること。

 〈「…脳が、つまり心が紡ぎだした物語が、心を救うことがあるのでしょう…」〉.284

 心は自らを救おうとうする。

 〈翻って人間は、脳と言語に捕らわれすぎているのかもしれない。苦悩も喜びもすべて脳が生みだすもので、それに振りまわされるのも人間だからこその醍醐味だろうけれど、見かたを変えれば脳の虜囚とも言える。鉢植えの植物よりも、実は狭い範囲でしか世界を認識できない、不自由な存在〉p.341

 脳、だろうか? 心は、あるだろうか?

 〈「たまに、思うんです。植物は光合成をして生き、その植物を食べて動物は生き、その動物を食べて生きる動物もいて……。結局、地球上の生物はみんな、光を食べて生きているんだなと」〉p.444

 かがやくもの。光を孕む芒、水面を走り続ける光の粒。

 記憶を不意によぎるもの。

 

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