科学は人間の幸福のため?
先日TVの対談番組で、1人の方が「科学は人間に幸福を提供するはずだった。科学はいったいどうなってしまうのか」と仰った。
もう1人の方は、それに対し科学研究者の倫理に言及されていた。
お2人の仰りたいことはよくわかるのだが、そもそも科学は人間の幸福のために生まれ、発達したのだろうか?
おそらく科学は、自然(宇宙)が自らを知ろうとして、人の手を借りて生まれた。人は理論、技術の担い手に過ぎないのであって、主体は自然の側にある。そのことを自覚している人が少ないのではなかろうか?
自然と共に生きる人々に共通しているのは自然への畏敬である。だから節度を守る。
「自然に帰れ」とは、自然が自らを知ることを妨げないよう(傾聴)、共にあれ、ということである。人間社会はそのように発達してきたか?
対象に寄り添い、その意思を感じとる、そこに人の存在理由はある。
科学者に限らず、それはあらゆる人に言える。
対象への畏敬に生きる、それは幸福である。
(朝の光)
« 7回目の記念日 | トップページ | 痛みや苦しさの乗り越え方を心身に刻み込んでいく »
「思考」カテゴリの記事
- 人間ではないものの意思に生きる(2018.01.26)
- 論理とは何か(2017.09.01)
- 本当に存在するのは(2007.04.15)
- 科学は人間の幸福のため?(2017.04.29)
- 救い(2013.07.15)
コメント
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391404/70378141
この記事へのトラックバック一覧です: 科学は人間の幸福のため?:
ご無沙汰ばかりですみません。
久しぶりに覗いてみたら、
7周年のことを知りました。
おめでとうございます。
いろいろ大変なご苦労を乗り越えた後の
思い出の場所でのお食事、
心温まる記事でした。
いろいろお疲れさまでしたね。
波乱の日々を、もう、少しはゆとりをもって
振り返れる時期になったのでしょうか?
まだまだ乗り越えなければならないことも多いのかもしれませんね。
お二人で力を合わせて暮らしていく事で
これからも周りの私たちに、勇気と希望を与えてください。
人のやさしさと強さが信じられることを教えてください。
投稿: 竹内幸一 | 2017年5月 4日 (木) 08時57分
竹内さま
ありがとうございます。
もう7年になります。
先生のお孫さんも大きくなられましたね。
日々が乗り越えであり、生まれ変わりであると感じます。
(日常の小さな気づき、人からの支えを大切にしたいと思います)
ところで、余情残心、良い言葉ですね。心を残す、あるいは心を感じとる、そのような生き方ができたら、と思います。
投稿: vase jaune | 2017年5月 4日 (木) 22時48分