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人間の建設

 小林秀雄/岡潔.人間の建設.新潮文庫

 〈矛盾がないということを説明するためには、感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです。ところがいまの数学でできることは知性を説得することだけなんです。説得しましても、その数学が成立するためには、感情の満足がそれと別個にいるのです〉(p.40 岡)

 〈いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。内容が生存競争である間は、人類時代とはいえない、獣類時代である。しかも獣類時代のうちで最も生存競争の熾烈な時代だと思います。ここでみずからを滅ぼさずにすんだら、人類時代の第一ページが始まると思います。たいていは滅んでしまうと思うのですけれども、もしできるならば、人間とはどういうものか、したがって文化とはどういうものであるべきかということから、もう一度考え直すのが良いだろう、そう思っています〉(p.48 岡)

 〈言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいというときには、人は熱心になる、それは情熱なのです。そして、ある情緒が起るについて、それはこういうものだという。それを直観といっておるのです。そして直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ見向きもしない。そういう人を私は詩人といい、それ以外の人を俗世間の人とも言っておるのです〉(p.72 岡)

 〈仏教で、本当の記憶は頭の記憶などよりはるかに大きく外に広がっているといっていますあg、そういうことだと思います。与謝野鉄幹の「秋の日悲し王城や昔にかわる土の色」という意味も本当にそこでその土の色を見ただけで、昔はこうだったろうかということがまざまざと感じられるのでしょう。それが記憶の本質ですね〉(p.132 岡)

 〈芭蕉に「不易流行」という有名な言葉がありますね。俳諧には不易と流行とが両方必要だという。 これは歴史哲学ではありません。詩人の直観なのですが、不易というのは、ある動かない観念ではない。あなたのおっしゃる記憶の力に関して発言されているのではないかと思うのですね。幼時を思い出さない詩人というものはいないのです。一人もいないのです。そうしないと詩的言語というものが成立しないのです〉(p.132 小林)

 〈記憶というオーケストラは鳴っているんですが、タクトは細胞が振るのです。脳がつかさどるものはただ運動です。いままでの失語症の臨床では記憶自体がそこなわれると考えたのですが、ベルグソンの証明で、タクトの運動が不可能になるのです。記憶は健全にあるのです。失語症とは記憶を運動にする機構の障害、それは物質的障害であって精神的障害ではないのです〉(p.136 小林)

 私を超える「記憶」があり、私は「感情」、「直観」によりそれとふれ合う(「情熱」が生じる)。ふれ合うことが生きることである。

 「人間の建設」とは、そのふれ合いを大切にしましょう、ということである。

Imgp3797

(静物の記憶)

 

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