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ほんとうの自分

 〈自分だとは気づかないほんとの自分は、誰のところに行って生まれ替るのか。自分の生まれ替りのどこかの誰かとは、一生のうちにどのように相逢うことが出来るのか。それは今までに逢ったうちの誰なんだろう。もどかしいようななつかしいような、せつなくなって躰を起し、あたりを見渡せば、木立の裾を燃えたたせながらあかあかと彼岸花の群生が、山畑(こば)の拓きの縁を経めぐり林の奥に綴れ入っている。いのちの精が燃え立っているようで、わたしはあのひとたちの気配とまじわりながら、草の穂などを嚙んでいるのだが、山童の姿などはやはり見えないのであった。秋のつばなは、しるしばかりの味がしたが、野葡萄やサセッポの実は、渋い酸味を舌の上に浮かしていると、のどの奥がちりっとするような甘味が湧いてくる。笹の葉や松葉を嚙むと鼻先がきゅんとして、兎や猿の仔になったような気がしていた〉 (石牟礼道子『椿の海の記』より)

 かつて山中で鹿と目が合ったとき、目の前の枝にとまった蝉と目が合ったとき、初めて合う木に懐かしさを感じたとき、あるいはまた人と話していたとき…、それらの物にある気配を、私は自分だと感じた。

 不意に出合う、そこに自分がいる。ほんとうの自分は、そのように、私の意を超え、私を裏切りながら存在し続けている。

 うねりのように、見しらぬ深淵からの問いのように訪れる、あるいは居つづける。他者とも呼べぬ、親密なるもの。

 あそらくいっさいは私なのだ。生まれかわりとはそのことへの気づきである。

 この世にあるとは、生きるとは、見しらぬ私に出合い続けることである。それを大切にすることである。

001
(みんな仲よし)

 

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思考」カテゴリの記事

コメント

塚田さま
今日はとても寒い風が吹いています。
まあ冬らしいともいえますが、やはり寒いのはきついですね。
ところで、先日は寒中見舞いをありがとうございました。
塚田さんのところもお父さんが急に亡くなられたようで、びっくりされたことでしょう。心の整理を付けるのが大変だったでしょうね。
お悔やみ申し上げます。
私の母は次第に悪くなりましたので、覚悟はできていました。
それでも、やはり時折いないという事を実感してさびしくなります。

熊本生活はいかがですか?
だいぶ慣れて知り合いも多くなってきたことでしょう。
奥さんはお元気でしょうか?
別府での自宅にお邪魔したのが懐かしいです。

ふと を読んでいただいたのですね。
ありがとうございます。
芽が出て変化していく不思議なことが人生にはありますね。

こちらは、2月7日のニューイヤーコンサートに向けて
準備に追われているところです。頑張ります。

ではまた。どうぞお元気で。

竹内さま
ありがとうございます。

これからまた寒くなりそうですね。
別府のあたたかい温泉が懐かしいです。

私の方は、突然のことで、まだなにか実感がない感じです。
熊本に戻ってから1年半の間に父に何度も会うことができたので、その点はよかったかなと思っています。

妻も私も元気で、平穏な日々を送っています。
私たちも、ふと おとずれるなにかを大切にして、生活していきたいと思っています。

ニューイヤーコンサートがあるんですね。ご準備たいへんだと思いますががんばってください。

ではまた。

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