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晩禱 リルケを読む

 志村ふくみ(2012).晩禱 リルケを読む.人文書院

 リルケ『時禱詩集』、『マルテの手記』、『ドゥイノの悲歌』を読み、生と死、詩について、作者の考えが綴られている。

 私が最も気になったのは、『時禱詩集』第八編からの次の引用文である。

 〈われわれが死を熟させぬから それだからこそ最後にその死がわれわれを引き取ってゆくのです〉

 死を見つめ、育む。そのことを多くの人は成さない。リルケはそれを成そうとする。あらゆるものにある永遠(生にある死)を感受し、それを言葉にしようとする。

 そのために、苦しみは必定だろう。耐えること、その時に真実を見つめていること、ようするに、心を込めて生きること。

 それが死を熟させること。

 容易ではない。だからこそこの生を賭けるに値する。死とは、この生に充溢する、生への渇望である。懇願である。そのことを知ること。死を熟させたとき、死はどこにもないことに気づくだろう(あるのは生ばかりだ)。

 苦悩がある。それはまた歓喜でもある。そこに生は満ちていて、死も豊かに溢れている。そこにある人は限りない喜びを浴び続けている。それを感じるかどうかは、その人の存在の仕方による。

 リルケはその豊饒を画こうとした。その態度に、言葉(世界)に人は惹かれる。

003
(よろこびにみちて)

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