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篠田桃紅

 NHK ETV特集「墨に導かれ 墨に惑わされ~美術家・篠田桃紅」を観た。

 その方の作品を初めて見たのだが、強く惹かれるものがあった。墨の線の質、構図に意思が宿っている。

 画いた人と表現されたものが一体となっている感じ。その人そのもの。

 その人とは何か? それは個人を超えている。墨という表現に導かれて、感じられたままが画かれている。意思とは、彼女を通して画かれようとする物の側にあるように感じられる。

 画家としては、「私が画いているのではないのですよ」としか言えないだろう。

 ご自分のことは、「現実ではない」、「わがまま」と表現される。どちらも正しいと思うが、客観的には、「現実ではない」、「わがまま」とは、墨という表現と生とが一体になっていることを意味している。過不足がない。

 「孤独」について、「そんなあたりまえのこと」と笑われる。一人で生まれて一人で死んでいく、孤独なんて、そんなのあたりまえですよ、と。その通りである。

 「出会い」が大切だとも。人と人との出会い、自然との出会い、境遇との出会い、その僥倖を語っておられた。創作もまた、新しい何かとの出会いである。その「出会い」に導かれ、更なる表現を許され、画いて(生きて)ゆかれる。

 表現されたものと同じく、強く、やさしく、生きておられる。

 102歳にして、なお新しい何かを模索しておられる、その姿が美しい。

048

(白い桜)

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