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2015年2月

デート~恋とはどんなものかしら~第6話

 〈お父さんに教えてあげる。量子力学によると、万物はすべて粒子によってできているのよ。つまり、死とはその人を形作っていた粒子が気体という姿に変形することにすぎないの。お母さんの粒子は存在し続けるわ。お母さんは、ここやそこに居続ける〉 by 藪下依子

 スタインベック『怒りの葡萄』のトム・ジョードの言葉に似ている。

 〈そうなりゃァ、そんなこたァなんでもなくなるのさ。そうなりゃァ、おれァ暗やみのなかのどこ にでもいることになるのさ。おれァいたるところにいることになるんだ――おっかあが見るどんなところにでもな。飢えた人間がめしが食えるようにって喧嘩が起るところにゃァ、どこにでもおれはいるんだ。おまわりのやろうが人をぶったたいているところにゃァ、どこにでもおれァちゃんといるんだよ。もしケイシーのいうことがほんとなら、なァに、おれァ、人間がはらをたててわめいているそのわめき声のなかにいるし、それから――ひもじい思いをしたがきどもが、晩飯のできたことを知って笑っているその笑い声のなかにもいるのさ。それからまた、うちのもんが、自分で作りだしたものを食って、自分で建てた家に住むようになったときにゃァ――なァに、おれもそこにいるんだぜ。わかったかい?〉 岩波文庫より

 死んでも存在し続ける。量子力学によっても、よらなくても。

 「ありがとう」という父に、依子は「量子力学を教えただけ」と答える。彼女がつねに見ているのは、それが論理的に正しいかどうかである。そして、論理的に正しいことは、人の感性にうまく届くのだと、おそらく無意識に確信している。「世界平和」とはそういうことである。

2761
(ここやそこに居続ける)

どこでもない場所の梯子

 万物の思いは不可能にあこがれる

 見られたことのない

 あたらしい何かとの出合いを求めている

 生の一瞬にすべてをかけて

 

 あなたという手の感触をたよりに

 前方へと歩を進める

 梯子のようなものが見える

 別世界への?

 

 永遠のようなその場所に

 よく見れば幾つもの梯子か架っている

 鉱物の耀きとなり

 柔らかな木洩れ日となり

 

 時は静止している

 いまここ

 どこでもない場所に

 また一つの喜びが生まれる

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(2015 元旦の光り)

 

 

 

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

 藤原新也(2012).コスモスの影にはいつも誰かが隠れている.河出文庫

 繊細である。カメラマンだから、ではなく繊細だから人や風景をカメラに収めることができるのだと思う。

 大学生の頃『全東洋街道』(1981)を買って読んだことがある。イスタンブールから高野山までの旅の写真集である。それぞれの写真に言葉が添えられていた。写真にも言葉にも惹かれた。それで、直後にヨーロッパを旅した時、彼に倣って紀行文を書いたりもした。

 藤原さんの作品の良さは、自身や他者の心の襞がそのまま写真(風景)や言葉(物語)に置き換えられている点にある(少なくとも私にはそう感じられる)。

 見つめられているのは真実である。しかし同時に、相手の幸福を願っているので、真実は推測にとどめられるか、問われないままになることもある。

 墓参りに来なくなった別れた妻の思い、画家の奥さんの思い、などなど。

 読んでいて心あたたまるものがある。それは著者がいつも話者の心に寄り添っているからだろう。先入見なく、心に寄り添う。そのやさしさ、繊細さが読者の心に伝わる。

 文章を読んでいると、風景写真を見ているような錯覚にとらわれる。

022

(ひなたぼっこ)

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