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人は生きているときに生きていないのはなぜか

 「人は生きているときに生きていないのはなぜか」

 この言葉を聞いたのはどこでだろう。

 ラジオか、夢の中か。

 この言葉を解釈すれば、人は忘我の状態においてこそ生きている、ということだろう。何かに純粋に没頭している状態、そこに「私」の意思が介在しているのではない状態、である。

 たとえば絵を画いているとき、対象そのものになっているとき。それは「私」が画いているのではない。絵が「私」を通して自己表現している。同じことは音楽でもスポーツでも仕事でも、要するにあらゆる活動において言える。

 そのとき、「私」はどこにも存在しない。

 あるのは表現されようとするものたちの意思だ。それはそれらの意思としてあるのではなく、存在すること自体のとる叫びだ。

 宇宙の表出されようとする表情だ。

 その表情を「私」たちは何とかしてとらえようとする。表情の裡にあるよろこびに惹かれて。

 そこに触れ得るのであれば死を厭わない。あるいは、そこに触れ得ることを死と言う。

 生きているとき、人は死んでいる。

 死とはそのような生を言うのではないか。

 そのような場所を、人は切望しているのではないか。

 だからこそのこの世の意味である。

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(おおきなおつきさま)

 

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