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私の中にある死が私の生を欲望している

 私の生の連続性(生起)は、私の中にある死(他者)の欲望によると、感じられる。

 私の死とは、私ではない何かである。それを私は感知し得ない。だから他者と呼ぶしかない。生を欲しているのは、生ではないもの、つまり死である。

 例えば虚無に近い状態に至ったときに感じられるのは、生きようとする、何かの促し(力)である。

 この力は強い。生命そのもののような、論理のようなもの、否応なく生じようとするものである。

 この世のものではないかもしれない。ある人々はそれを霊と呼ぶのかもしれない。そのような何か。それに触れたいと思っているのだが、うまく感じ得ない。

 高山辰雄は「アミーバの心」と呼んでいた。清宮質文は「オバケ」と言っていた。かれらはそれを絵画に表現しようとしていた。

 音楽家ならば、それを音で表現しようとするだろう。

 そのためには労苦が必定だ。技巧と、「他者」を感じとること。つまり未知へと、不可能へと開かれてあること。

 それが生きること。

 私の中にある死は、一切の自己中心性を捨て去り、生とは何かの問いのうちに、あらゆる事象を感受しようと、全位相に開かれて在る。

 いまここの死がすべてである。

 始原の力である。その力が、全世界を掴もうと瞬時(無時間)に拡がる。

 だからこそ、私は無時間に生きる。

013

(名はミケランジェロ。小首を傾げた彫刻のよう)

 

 

 

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