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逝かない身体

 川口有美子(2009).逝かない身体――ALS的日常を生きる.医学書院

 ALSの方のヘルパーをすることになったので、勉強のために読んだ。とても考えさせられた。

 私にできるのだろうか。不安が先に立つのだが、それでも全力を傾注してやってみようと思っている。なるべく早く習熟しなくては!

 瞬きのみで意思表示をされる方についても、日々のケアをする中で、どれだけ意思を汲み取れるか。意思だけでなく、身体からの情報を感じとる必要がある。

 顔色、皮膚の状態、表情、発汗の質の違い、など。

 川口さんは、お母さんがTLS(トータル・ロックトイン)の状態になられ、自身の気持ちの揺れを率直に、詳しく語られている。

 生死に対する考え方も、患者の心理についても、社会(法制度)の問題点についても、感じられるままを綴られている。心に記憶するようして読んだ。

 どの箇所も、言葉がすっと入ってきた。例えば、

 〈重病患者のなかには、家族が望むのならどのような苦境にも耐えようと思う者、必ず治るからと誓う者、大事にしてもらっているからこそ幸せだという者が大勢いる。体温だけでもできるだけ長く幼い子どもに与えつづけようとする者もいる。身勝手には死ねないと、むしろ自分があなたたちのそばにいてあなたたちを見守るのだと誓う者もいる〉p.181-182

 〈自分が伝えたいことの内容も意味も、他者の受け取り方に委ねてしまう――。このようなコミュニケーションの延長線上に、まったく意思伝達ができなくなるといわれるTLSの世界が広がっている。コミュニケーションができるときと、できなくなったときとの状況が地続きに見えているからこそ、橋本さんは「TLSなんか怖くない」と言えるのだ。軽度の患者が重度の患者を哀れんだり怖がったりするのは、同病者間の「差別だ」ともいう〉p.211

 〈平凡な健常者の私には、彼らのイチかバチかの生き様がすごいと思われるばかりだ。どんどん悪化していくのに、「いつでも今が最善」といえる感覚がよくわからない。それに、「現在は最善と最悪の接点」というが、現在を「点」に見立てて生きる厳しさも、時間をそのように意識したことのない私には、とうてい想像できない。椿先生でさえ「健康なものにはわからない」とおっしゃっていたのだから、重病人の心理はわからないし、日々遷り変わるものなのだろう。

 だから、わざわざ確実に死なせるための準備などしない、そしてどのような生き方や死に方がよいかなどと健常の者が教えたりしないというのが、たぶん正しい接し方なのである〉p.223

 〈まるで乾いた土に落ちた種が降雨を待ち望んでいるように、ALSという過酷な環境にも耐えていられるのは、幸せな夢を見ているからだ。身体は湿った綿のように重たくても、そんな彼らの心は羽のように軽やかなのである。

 患者の豊かな空想の力を知ってしまうと、「病人に気にかけてもらっているのは家族のほうだ」というのも、橋本さんの強がりではなく、正しいと思えるようになる。実際のところ、私以外の患者の子どもたちも、病身の親の気配をいつでもどこでも感じることができるという〉p.224

 それら、様々な状況での感じとり方も、これからの介護において助けになると思う。

 まずは、精一杯感じとること。

008

(熊本に来て初めて咲いたうちの薔薇、香りがやさしい)

 

 

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