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のさり

 藤崎童士(2013).のさり――水俣漁師、杉本家の記憶より.新日本出版社

 のさりとは?

 

 〈――雄(たけし)と栄子が生死の崖っぷちから見いだした、救いの境地がある。

 それを〈のさり〉という。

 自分が求めなくても天の恵みを授かった、という熊本の漁師言葉であるが、現在でも、杉本家では大漁不漁という言葉は滅多矢鱈に使わない。

 海に行き、運よく大漁に恵まれれば「のさった」と言う。不漁のときには「のさらんかった」と言う。そして「明日はもっとのさろう」と己の心を奮い立たせる〉 「はじめに」より

 

 私の妻は大分県中津市の魚屋の子だったが、母親から「おまえはのさっちょん」(恵まれている)とよく言われていたらしい。

 さて、この物語は壮絶である。一家が罹った水俣病により、村の人々、同業者からいじめられ、身体的に、精神的に追い詰められていく。それでも、訴訟を続けていく。けっして諦めない。その生き方は尊い。

 村人から傷つけられ、業を煮やした栄子が父親に諭される場面がある。

 

 〈「……もう、たいがい堪えきらんとぞ。おっちゃん。あん人を殺したかッ」

 目を真っ赤にした栄子には殺気が漲っている。

 「ならん」

 「ここまでされて黙っとるとは、そこまでもうろくしてしまわれたかッ。人がよかにも限りがある。情けなか!」

 進は栄子の肩をわしづかみにし、大きな呼吸をしながら言った。

 「……その人がどげんした魂胆で言わすか、心の中まで見通せ! 見通すくらいの人に栄子がなれ! 目ば離すな! そげんすれば生き残らるっぞ! 人が言うたことは全部そん人に持って帰ってもらえ!」〉 p.132

 

 また、栄子の父親進は、こんなことも言っていた。

 

 〈病気に罹ってきつか、死んでも死にきれんほどきつか

 いいか、水俣病は〈のさり〉と思え 人のいじめは海の時化と思え

 こん時化は長かねえ だけど人は恨むなぞ 時代ば恨め わらは網元になるとじゃっで人を好きになれ そして漁師は木と水を大事にせんばんぞ

 ばってん、人にはしてはならんこつのあっと それは、こげんしたこつぞ 病んで身を絞るほど辛かこつば知っとるからこそ、こげんこつはしてはならんとぞ 母ちゃんより早よ死んじゃならんとぞ

 だっどん(誰)が悪かか、裁判が白黒つけちくる くたばらずにやれ 人をのろうてん、会社の悪口いうてん、なんもならん

 十年経ちゃ本当こつはわかる それまで家族の気持ちがばらばらにならんごつ、人に騙されてん、人を騙さんごつ……〉 p.142

 

 水俣病を〈のさり〉と思えとは、なんという思考か。しかし真理でもある。堪えて、自らの生き方をまっとうする。そうとしか生きられないし、そう生きなくてはならない。

 栄子の婿になった雄も栄子に諭される。

 

 〈「人間ばニワトリ扱いすんなッ、ならば一粒でん米ばおらたちに持って来え!」

 と怒鳴ったが、栄子が懸命にそれを制した。

 「堪えろ、父ちゃん」

 「こげんまでいわれて、なして堪えんばならんとか!」

 「いじめる人は変われないから、自分が変わっていくしかなかっぞ、堪えていこうわい。それしかなかっぞ、父ちゃん」〉 p.179

 

 いじめる人は、チッソに刃向かう者を攻撃したとアピールすることで、自分の立場を守ろうとする。そういう考え方(生き方)を、当時の雄は想像することもできなかった。

 愈々生きることに疲れてしまい、雄と栄子は、海に出て死のことを考えているとき、魚たちに救われる。

 

 〈チッチッ

 鈴のように微かな響きを奏でているのは舟魂だ。"海の神" が発する声に誘われるように雄は舵をゆるゆると切る。

 チッチッ

 二人はじっと耳を海に傾けていた。

 これほどまでに大きい舟魂が聞こえたことはかつて一度もない。それほど、今の自分たちは死に向かって進んでいるのかもしれない、とも思う。

 雄は栄子の決心が定まるのを待っていた。栄子が海に向かって身を翻したとき、同時に自分も飛び込むつもりであった。

 そのとき、船腹がコツコツと鳴る音がした。

 「――父ちゃん、音がすっと」

 「そう言う栄子に雄は大きくかぶりを振って言った。

 「――聞こえん」

 向こうの海の一部に波立っている場所がある。それは幻影ではなかった。魚影である。栄子がまた言った。

 「……飛び込めん」

 みるみるうちにそれは大きく膨らんでいく。波間をうねり、一直線に船に押し寄せている。すべて銀鱗である。

 「わー、父ちゃん、イリコぞ。見えるか?」

 この年初めて目にするイリコの大群だった。やがてそれは渦になって船を取り巻いた。

 「見えん! 気にせんでよかが!」

 雄は頭を何度も横に振った。……このまま生き延びて何の意味があろう。たとえこのまま陸にも戻ったとしても、どうせまた無間地獄の娑婆生活が待っているのだ。

 「父ちゃんにはこん魚どんが見えんとか? こっでもわからんとか?」

 「見えんッ、魚なんかおらんとやっで、余計なこと考えるなとやっで!」

 「うんにゃ、魚どんたちが迎えに来らっとじゃ。私に獲ってくれろち言うとらすもん!」

 「もうよかッ、死に神に連れて行かれるのももう時間の問題じゃッ」

 「父ちゃん、イリコば獲るぞッ、獲らんとじゃ!」

 海の上で二人の意見が会わないのは初めてだ。だが、なにかに憑かれたように栄子は身を乗り出し、大手を広げて船べりをバンバンと叩いている。

 あれよあれよと海はひしめきあっていく。

 ついには沸騰するように大きく船が旋回しながら盛り上がったとき、栄子は体勢を崩し、ゴロンと倒れた。その身体を抱き起したとき、雄はぞくっとした。栄子の瞳に燃えるような生命力が宿っていたからだった。

 「……死んじゃならんとじゃ。おっどんたちは漁師たい。イリコば獲るんじゃ」

 それは落ち着いた声であった。

 「……よし、獲ろう」

 雄は小さく頷いた。これは運命(さだめ)なのだ、と思った〉 p.184-186

 

 2人は海に生かされて来た。このときもまた、海に生かされた。それも〈のさり〉である。

 身体の自由が利かなくなってから、栄子は語り部となる。

 〈茂道弁丸出しの語り口調、漁師ならではの気っ風のよさと飾らないユーモア、壮絶ないじめ体験、そこからいかにして這い上がってきたかを切々と語る栄子の言葉の迫力は、その場にいた聴衆の心を大きく揺さぶった。

 この頃から、栄子は、「お金があるのものさり、ないのものさり、病気ものさり、のさりとは自分が求めずして与えられたもの」と、ことあるごとに〈のさり〉という、哲学にも似た心境を語り出したと、雄は記憶している〉 p.257

 

 「自分が求めずして与えられたもの」。生きて今ここにあることも、のさりである。それを自覚して生きていけるのは、強い。体験からそれをつかんだ人の言葉には、優しい力がある。

 栄子が語っているとき、語っているのは栄子ではなく、魚であり、海である。恵みを受けた尊い生がここにある。

 

 〈今生きとる者ば大切にする そは一番たい

 じゃばってん 昔生きとった者んも思い出してくれんな!/

 人は人 魚は魚ち思うとらす者もいっぱいおらすばってん そるがほんなこつじゃろか?/

 みんな目にみえん小まんかもんから とてつもなか太かもんまで

 お互いに 生かし生かされながら みんな繋がっとっとばい〉 p.260

044

(太陽と溶け合った海!)

 

 

 

 

 

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コメント

塚田さんの中から湧き出た
熱い思いを読ませていただきました。
人の世の不条理、悲しみの根源を
作品にするのは、真実の強さがなければ、
伝わりません。
渾身の思いを込めた作品のようですね。
いつか読んでみたいと思います。

ありがとうございます。のさり、という言葉の良さを感じました。
これを読んでいて、杉本栄子さんにお会いしてみたいと思ったのですが……記録集があれば読んでみたいと思います。
私は2007年に水俣の資料館に行ったことがあるのですが、また今度行ってみようと思いました。

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