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2014年4月

そして誰でもないきみへ

 数多の思いを

 流れる水に晒そう

 私が消え去るほどに

 純化されるよう

 

 思いは陽光を浴びて

 キラめいているけれど

 ほんとうに輝くためには

 幾つもの歳月が必要だ

 見えない光で瞬くためには

 

 そこここに生まれる動きは

 かつては何ものであったか

 往時 何ものかに成り急いでいなかったか

 頑なな寡黙を忘れがちでなかったか

 

 遥かな湖底と響き合うためには

 もっと知らない場所へ

 懐かしい時間へ赴こう

 そしてどこでもない場所へ

 誰でもないきみへ

015

(桜の木の下で)

 

 

 

のさり

 藤崎童士(2013).のさり――水俣漁師、杉本家の記憶より.新日本出版社

 のさりとは?

 

 〈――雄(たけし)と栄子が生死の崖っぷちから見いだした、救いの境地がある。

 それを〈のさり〉という。

 自分が求めなくても天の恵みを授かった、という熊本の漁師言葉であるが、現在でも、杉本家では大漁不漁という言葉は滅多矢鱈に使わない。

 海に行き、運よく大漁に恵まれれば「のさった」と言う。不漁のときには「のさらんかった」と言う。そして「明日はもっとのさろう」と己の心を奮い立たせる〉 「はじめに」より

 

 私の妻は大分県中津市の魚屋の子だったが、母親から「おまえはのさっちょん」(恵まれている)とよく言われていたらしい。

 さて、この物語は壮絶である。一家が罹った水俣病により、村の人々、同業者からいじめられ、身体的に、精神的に追い詰められていく。それでも、訴訟を続けていく。けっして諦めない。その生き方は尊い。

 村人から傷つけられ、業を煮やした栄子が父親に諭される場面がある。

 

 〈「……もう、たいがい堪えきらんとぞ。おっちゃん。あん人を殺したかッ」

 目を真っ赤にした栄子には殺気が漲っている。

 「ならん」

 「ここまでされて黙っとるとは、そこまでもうろくしてしまわれたかッ。人がよかにも限りがある。情けなか!」

 進は栄子の肩をわしづかみにし、大きな呼吸をしながら言った。

 「……その人がどげんした魂胆で言わすか、心の中まで見通せ! 見通すくらいの人に栄子がなれ! 目ば離すな! そげんすれば生き残らるっぞ! 人が言うたことは全部そん人に持って帰ってもらえ!」〉 p.132

 

 また、栄子の父親進は、こんなことも言っていた。

 

 〈病気に罹ってきつか、死んでも死にきれんほどきつか

 いいか、水俣病は〈のさり〉と思え 人のいじめは海の時化と思え

 こん時化は長かねえ だけど人は恨むなぞ 時代ば恨め わらは網元になるとじゃっで人を好きになれ そして漁師は木と水を大事にせんばんぞ

 ばってん、人にはしてはならんこつのあっと それは、こげんしたこつぞ 病んで身を絞るほど辛かこつば知っとるからこそ、こげんこつはしてはならんとぞ 母ちゃんより早よ死んじゃならんとぞ

 だっどん(誰)が悪かか、裁判が白黒つけちくる くたばらずにやれ 人をのろうてん、会社の悪口いうてん、なんもならん

 十年経ちゃ本当こつはわかる それまで家族の気持ちがばらばらにならんごつ、人に騙されてん、人を騙さんごつ……〉 p.142

 

 水俣病を〈のさり〉と思えとは、なんという思考か。しかし真理でもある。堪えて、自らの生き方をまっとうする。そうとしか生きられないし、そう生きなくてはならない。

 栄子の婿になった雄も栄子に諭される。

 

 〈「人間ばニワトリ扱いすんなッ、ならば一粒でん米ばおらたちに持って来え!」

 と怒鳴ったが、栄子が懸命にそれを制した。

 「堪えろ、父ちゃん」

 「こげんまでいわれて、なして堪えんばならんとか!」

 「いじめる人は変われないから、自分が変わっていくしかなかっぞ、堪えていこうわい。それしかなかっぞ、父ちゃん」〉 p.179

 

 いじめる人は、チッソに刃向かう者を攻撃したとアピールすることで、自分の立場を守ろうとする。そういう考え方(生き方)を、当時の雄は想像することもできなかった。

 愈々生きることに疲れてしまい、雄と栄子は、海に出て死のことを考えているとき、魚たちに救われる。

 

 〈チッチッ

 鈴のように微かな響きを奏でているのは舟魂だ。"海の神" が発する声に誘われるように雄は舵をゆるゆると切る。

 チッチッ

 二人はじっと耳を海に傾けていた。

 これほどまでに大きい舟魂が聞こえたことはかつて一度もない。それほど、今の自分たちは死に向かって進んでいるのかもしれない、とも思う。

 雄は栄子の決心が定まるのを待っていた。栄子が海に向かって身を翻したとき、同時に自分も飛び込むつもりであった。

 そのとき、船腹がコツコツと鳴る音がした。

 「――父ちゃん、音がすっと」

 「そう言う栄子に雄は大きくかぶりを振って言った。

 「――聞こえん」

 向こうの海の一部に波立っている場所がある。それは幻影ではなかった。魚影である。栄子がまた言った。

 「……飛び込めん」

 みるみるうちにそれは大きく膨らんでいく。波間をうねり、一直線に船に押し寄せている。すべて銀鱗である。

 「わー、父ちゃん、イリコぞ。見えるか?」

 この年初めて目にするイリコの大群だった。やがてそれは渦になって船を取り巻いた。

 「見えん! 気にせんでよかが!」

 雄は頭を何度も横に振った。……このまま生き延びて何の意味があろう。たとえこのまま陸にも戻ったとしても、どうせまた無間地獄の娑婆生活が待っているのだ。

 「父ちゃんにはこん魚どんが見えんとか? こっでもわからんとか?」

 「見えんッ、魚なんかおらんとやっで、余計なこと考えるなとやっで!」

 「うんにゃ、魚どんたちが迎えに来らっとじゃ。私に獲ってくれろち言うとらすもん!」

 「もうよかッ、死に神に連れて行かれるのももう時間の問題じゃッ」

 「父ちゃん、イリコば獲るぞッ、獲らんとじゃ!」

 海の上で二人の意見が会わないのは初めてだ。だが、なにかに憑かれたように栄子は身を乗り出し、大手を広げて船べりをバンバンと叩いている。

 あれよあれよと海はひしめきあっていく。

 ついには沸騰するように大きく船が旋回しながら盛り上がったとき、栄子は体勢を崩し、ゴロンと倒れた。その身体を抱き起したとき、雄はぞくっとした。栄子の瞳に燃えるような生命力が宿っていたからだった。

 「……死んじゃならんとじゃ。おっどんたちは漁師たい。イリコば獲るんじゃ」

 それは落ち着いた声であった。

 「……よし、獲ろう」

 雄は小さく頷いた。これは運命(さだめ)なのだ、と思った〉 p.184-186

 

 2人は海に生かされて来た。このときもまた、海に生かされた。それも〈のさり〉である。

 身体の自由が利かなくなってから、栄子は語り部となる。

 〈茂道弁丸出しの語り口調、漁師ならではの気っ風のよさと飾らないユーモア、壮絶ないじめ体験、そこからいかにして這い上がってきたかを切々と語る栄子の言葉の迫力は、その場にいた聴衆の心を大きく揺さぶった。

 この頃から、栄子は、「お金があるのものさり、ないのものさり、病気ものさり、のさりとは自分が求めずして与えられたもの」と、ことあるごとに〈のさり〉という、哲学にも似た心境を語り出したと、雄は記憶している〉 p.257

 

 「自分が求めずして与えられたもの」。生きて今ここにあることも、のさりである。それを自覚して生きていけるのは、強い。体験からそれをつかんだ人の言葉には、優しい力がある。

 栄子が語っているとき、語っているのは栄子ではなく、魚であり、海である。恵みを受けた尊い生がここにある。

 

 〈今生きとる者ば大切にする そは一番たい

 じゃばってん 昔生きとった者んも思い出してくれんな!/

 人は人 魚は魚ち思うとらす者もいっぱいおらすばってん そるがほんなこつじゃろか?/

 みんな目にみえん小まんかもんから とてつもなか太かもんまで

 お互いに 生かし生かされながら みんな繋がっとっとばい〉 p.260

044

(太陽と溶け合った海!)

 

 

 

 

 

4回目の記念日

 さて、何でお祝いしよう。

 県立劇場横のフランス菓子屋さん「カトルズ・ジュイエ」でアントルメを買う。

 「これからもよろしく♬」と、書いてもらった。

 ひと月前に別府市から熊本市に引っ越し、慌しい毎日だった。

 妻は5つの介護事業所のお世話になっている。新しい生活環境に馴れるまで、まだまだ時間がかかるようだ。それでも、ゆっくり、ひとつひとつの出会いを大切にしていきたいと言っている。

 私も、4月から市内の介護事業所で働くことになり、利用者との新たな出会いをくりかえしている。こちらもまだまだ。事業所自体も設立して2年に満たない。これから、である。

 4年前の2010年4月15日に入籍した。その日は別府湾の畔のレストランで、2人でお祝いをした。小雨の降る日。毎年、この日は大切な日である。

 カトルズ・ジュイエにしたのは、熊本に来て初めてケーキを買ったお店だったから。

 アントルメ entre mets とは、間に置く、という意味(メインディッシュとデザートの間に出す)。毎年のこの日は2人の通過点だから、間に置く。これから、の意味を重ねる。

 アントルメのように、2人とも、たくさんの人の間で生きていくことになる。私の両親の近くで。素朴な、優しい人たちに囲まれて。過去と未来に囲まれて。

 さて、これから何が生まれるだろう。

001

(今を大切に)

 

 

 

 

心に響く「何か」

 人と人との関係においては、ノン‐バーバル・コミュニケーションが大切である。2人の間にながれはじめる「何か」、それを感じ、いっしょに育てる。

 音楽を聴くときも、旋律、ハーモニー、音色だけではなく、感じられる「何か」が大切である。

 指揮者と演奏家の間、演奏家同士の間に生まれる呼吸、信頼のようなもの。

 一方が言わんとしていることを、他方が汲みとり、合わせようとすること、あるいは意想外の「何か」を生むこと。

 さらに言えば、演奏家たちの心、である。それが素直であると感じられるまでに洗練されていること。

 日々の音楽経験を通して、柔らかく、洗練されていること。

 それが響いて来る。

 それは、その場で響き合うだけでなく、どこか遠い、無限の場所へといざなってくれる。その場所は、いままで出合ったことのない場所のようで、どこか懐かしい感じのする場所でもある。

 出合ったことがないからこそ、懐かしいと感じられるのかもしれない。

 私たちはそれと触れ合うために存在している。

 いわゆる音楽だけでなく、何をしていても、どこにいても。

  https://www.youtube.com/watch?v=j_pmjAtVON4

002

(藤色が咲きはじめました)

みずうみ

 先日、岩波文庫から『茨木のり子詩集』が出されたので、買って読んでみた。

 茨木のり子さんの詩は、とてもわかりやすく、心にのこる詩が多いように感じられる。

 その中の一つ。

          *          *          *

     みずうみ

 

  〈だいたいお母さんてものはさ

  しいん

  としたとこがなくちゃいけないんだ〉

 

 名台詞を聴くものかな!

 

 ふりかえると

 お下げとお河童と

 二つのランドセルがゆれてゆく

 落葉の道

 

 お母さんだけとはかぎらない

 人間は誰でも心の底に

 しいんと静かな湖を持つべきなのだ

 

 田沢湖のように深く青い湖を

 かくし持っているひとは

 話すとわかる 二言 三言で

 

 それこそ しいんと落ちついて

 容易に増えも減りもしない自分の湖

 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

 

 教養や学歴とはなんの関係もないらしい

 人間の魅力とは

 たぶんその湖のあたりから

 発する霧だ

 

 早くもそのことに

 気づいたらしい

 小さな

 二人の

 娘たち

          *          *          *

 これを読んで、救われる、と感じるのはなぜだろう?

 「田沢湖のように深く青い湖を/かくし持っているひと」でありたいと希うひとに、水やりをしてくれているのかもしれない。

 そこは「さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖」であり、容易にはうかがい知ることのできない深淵。だからこそ、心を寄せることができる。

 また、「教養や学歴とはなんの関係もないらしい」という言葉は、人と接する際のかた苦しい感じをとりのぞいてくれる。

 茨木さんの詩は、やさしいまなざしに満ちている。そう感じるのは、言葉から感じられる芯のやわらかさによるのかもしれない。

004

(よりそって)

 

あなたの心を与えなさい

 4月から働かせてもらうことになった介護事業所の壁に、次の文章がさりげなく架けてあった。

 

 〈親切で慈しみ深くありなさい

 あなたに出会った人が誰でも

 前よりも、もっと気持ちよく

 明るくなって帰るようにしなさい

 親切があなたの表情に

 まなざしに、微笑みに

 暖かく声をかける言葉にあらわれるように

 子供にも貧しい人にも

 苦しんでいる孤独な人すべてに

 いつでも喜びにあふれた笑顔を向けなさい

 世話するのでなく

 あなたの心を与えなさい

                                           マザー・テレサ〉

 

 すべてがよい言葉だと感じられるのだが、とくに最後の2行にハッとさせられた。

 世話をするのではないということ。してあげているのではなく、させてもらっているということ。その感謝の気持ちを相手に伝えなさいということだと、私には感じられる。

 相手に、伝えきれないこともあると思う。そのせいで、うまくいかないと感じられることもあると思う。それでも、伝わることを信じて、伝えなさいということだと思う。

 そうして、心をよりそわせること。

 私のすべてを尽くして。私を超えて。私を無くしてしまって。

 いまここがすべての、この時に、この場所で。

 何があっても、想いつづけ、信じつづけること。

 それだけのために、身体を使い、生きている気がする。

 相手がいなくなったとしても、それでも相手への感謝の気持ちは変わらないと、私は思う。

 たぶん、私たちは永遠に生きているのだ。

020

(熊本に来て初めて咲いた、うちのガーベラ)

 

 

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