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死者とは何か

 「わたしの考えでは、死ぬっていうのはかえって近づけてくれることだと思うわ……そう、生きているうちに離れていたものを、近づけてくれることだと思うわ」(ジッド『狭き門』より、アリサの言葉)

 「そうなりゃァ、そんなこたァなんでもなくなるのさ。そうなりゃァ、おれァ暗やみのなかのどこにでもいることになるのさ。おれァいたるところにいることになるんだ――おっかあが見るどんなところにでもな」(スタインベック『怒りの葡萄』より、トム・ジョードの言葉)

 「そうだ、主人はいつも一緒にいるんだ、もう病気のことも、一人で留守させることも心配しなくてもいいんだ。あなたは私の心に、いつも住んでいるんだから」(千葉県八千代市72歳女性)

          *          *          *

 これらの感じはよくわかる。死者はいつも一緒にいる。心にというより、げんにここに。

 両の掌を近づけると互いの温もりが感じられるように、死者の存在を意識するとその温もりが感じられる。

 かつて受けとった言葉は、年を重ねるごとに、さまざまな色合いを帯びてくる。意識を傾ければ傾けるほど。

 それらを「私」の内外に保持すること。宇宙の歩みの、刹那に、刻んでみること。

 苦しみにこそ救われる感覚がある。苦悩を掬うことにより、魂は純化されるのかもしれない。篩を水に晒すことで、さまざまなものが美しく変わるように。生とは、そのように、私に付置されていた言葉を拾い集めていく作業なのかもしれない。年ふりたるものたちに促されて。

 そのとき、私はすべてである。

 私はどこにでもいる。

 同時に、ここにはだれかの私(たち)が充ちている。

 ――さて、死者とは何か?

 私によりそっているもののすべて、生を生たらしめようとする力、である。

 創造の根柢にあるもの。それへの移行を「脱創造」とも言う。生きていながら、死の側にあること。そこに触れていること。

 夢から現実を見ること、高山辰雄の言う「アミーバの心」、清宮質文の言う「オバケ」、森崎東の言う「記憶」、イチローの言う「8千回の悔しい思い」……

 そこにあることが生(創造)である。

 言葉とは、生と死の間にある梯だろう。汲み尽せぬ海に現われては消える。それを育むために、私たちはここにある。

 この世にあることの意味はそれに尽きる。

023

(聖なる場所)

 

 

 

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