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今を生きるための現代詩

 渡邊十絲子(2013.7).今を生きるための現代詩.講談社現代新書

 〈教科書は、詩というものを、作者の感動や思想を伝達する媒体としか見ていないようだった。だから教室では、その詩に出てくるむずかしいことばを辞書でしらべ、修辞的な技巧を説明し、「この詩で作者が言いたかったこと」を言い当てることを目標とする。国語の授業においては、詩を読む人はいつも、作者のこころのなかを言い当て、それにじょうずに共感することを求められている。

 そんなことが大事だとはどうしても思えなかった。あらかじめ作者のこころのなかに用意されていた考えを、決められた約束事にしたがって手際よく解読することなどに魅力はない。わたしはもっとスリルのある、もっとなまなましい、もっと人間的な詩をもとめていた〉p.40

 そのように、作者の中学生の頃の体験から書きはじめられる。教科書の詩はつまらなかったこと、でもある詩に出合い、こころをうたれたこと、それらを筆写し続けたこと、など。

 〈絶望。死。腐敗。

 こわさを感じさせることばで構成されていたひとつひとつの詩に、それぞれの衝撃をわたしはおぼえたのだが、わたしはこわがってたというよりはむしろ解放されていた。そこにあったどの詩も、自然の美ややさしい情緒なんかうたってはいなかった。「人間らしいこの感情はあなたにもおぼえがあるでしょう」といって、おぼえのないわたしを仲間はずれにするようなこともしなかった。そのことにわたしの気持ちははげまされた。

 こういう詩なら、だれもわたしに「作者の伝えたいこと」なんか問わない。作者の感動がどこにあるか発見させて、その気持ちに共感するように強制もしない〉p.50

 私も、「詩のことはよくわからない」と言われることが多い。そのとき、「わからない」という言葉に何かしら否定的なニュアンスが感じられる。でも、と感じる、わからなくてもいいではないかと。

 作者は、現代詩を抽象絵画にたとえる。見て、何かしらこころを動かされる、それで十分ではないか。絵画ならそれでよしとされるのに、詩はわからないからと敬遠される。

 出合いがなかったからではないか。作者は中学生の頃こころを動かされる詩に出合った。その詩の意味はわからなかったけれど、とても魅力的な言葉たちだった。そういう出合いの幸福を体験したかどうか。体験するには、素直な感性があればいい。

 詩は、書いている本人にもわかられていない場合が多い。伝えたいことがわかっているなら、詩を書く必要はなく、説明文で十分である。わからないからこそ、その「何か」につき動かされて書くのである。

 だから、読者は、わからないけれど魅力的な言葉の展開に身を委ね、その感触を記憶する。作者の言うように、その「わからなさ」を記憶し続けることが大切で、いつかわかる日が来るのかもしれない。印象を記憶できないのなら、その詩はその時のあなたにとって大切な何かではなかったからだろう。

 この本には、「わからないけれど魅力的な」詩句との出合いが、丁寧に書かれている。そこがいいと思う。わからないけれど魅力的な言葉は、どこからか不意にやってくる。その言葉に出合うことで、人は生き方を変えるかもしれない。昨日までとはまったくちがった世界が見えてくるかもしれない。

 新しい言葉との出合い、世界との出合い、それが生きるということで、それを可能にする「詩」の体験とは、なんて愉しいものなのだろう。

002

(何が見える?)

 

 

 

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