« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月

今を生きるための現代詩

 渡邊十絲子(2013.7).今を生きるための現代詩.講談社現代新書

 〈教科書は、詩というものを、作者の感動や思想を伝達する媒体としか見ていないようだった。だから教室では、その詩に出てくるむずかしいことばを辞書でしらべ、修辞的な技巧を説明し、「この詩で作者が言いたかったこと」を言い当てることを目標とする。国語の授業においては、詩を読む人はいつも、作者のこころのなかを言い当て、それにじょうずに共感することを求められている。

 そんなことが大事だとはどうしても思えなかった。あらかじめ作者のこころのなかに用意されていた考えを、決められた約束事にしたがって手際よく解読することなどに魅力はない。わたしはもっとスリルのある、もっとなまなましい、もっと人間的な詩をもとめていた〉p.40

 そのように、作者の中学生の頃の体験から書きはじめられる。教科書の詩はつまらなかったこと、でもある詩に出合い、こころをうたれたこと、それらを筆写し続けたこと、など。

 〈絶望。死。腐敗。

 こわさを感じさせることばで構成されていたひとつひとつの詩に、それぞれの衝撃をわたしはおぼえたのだが、わたしはこわがってたというよりはむしろ解放されていた。そこにあったどの詩も、自然の美ややさしい情緒なんかうたってはいなかった。「人間らしいこの感情はあなたにもおぼえがあるでしょう」といって、おぼえのないわたしを仲間はずれにするようなこともしなかった。そのことにわたしの気持ちははげまされた。

 こういう詩なら、だれもわたしに「作者の伝えたいこと」なんか問わない。作者の感動がどこにあるか発見させて、その気持ちに共感するように強制もしない〉p.50

 私も、「詩のことはよくわからない」と言われることが多い。そのとき、「わからない」という言葉に何かしら否定的なニュアンスが感じられる。でも、と感じる、わからなくてもいいではないかと。

 作者は、現代詩を抽象絵画にたとえる。見て、何かしらこころを動かされる、それで十分ではないか。絵画ならそれでよしとされるのに、詩はわからないからと敬遠される。

 出合いがなかったからではないか。作者は中学生の頃こころを動かされる詩に出合った。その詩の意味はわからなかったけれど、とても魅力的な言葉たちだった。そういう出合いの幸福を体験したかどうか。体験するには、素直な感性があればいい。

 詩は、書いている本人にもわかられていない場合が多い。伝えたいことがわかっているなら、詩を書く必要はなく、説明文で十分である。わからないからこそ、その「何か」につき動かされて書くのである。

 だから、読者は、わからないけれど魅力的な言葉の展開に身を委ね、その感触を記憶する。作者の言うように、その「わからなさ」を記憶し続けることが大切で、いつかわかる日が来るのかもしれない。印象を記憶できないのなら、その詩はその時のあなたにとって大切な何かではなかったからだろう。

 この本には、「わからないけれど魅力的な」詩句との出合いが、丁寧に書かれている。そこがいいと思う。わからないけれど魅力的な言葉は、どこからか不意にやってくる。その言葉に出合うことで、人は生き方を変えるかもしれない。昨日までとはまったくちがった世界が見えてくるかもしれない。

 新しい言葉との出合い、世界との出合い、それが生きるということで、それを可能にする「詩」の体験とは、なんて愉しいものなのだろう。

002

(何が見える?)

 

 

 

うまれる

 今受けた印象を

 おさなごのように

 くりかえし心にきざむ

 忘れないように というより

 そこにあるものに

 ふれたくて

 

 いつも意想外にやってきて

 きり果てのない扉をひらくもの

 わたしというここで

 

 また見つけたよ

 だれかがささやいた

 海はわらいさざめき

 つぎつぎに夢が生まれた

 

 向こうの壁に映る琥珀の光に

 世界のよろこびがあり

 今ここの鼓動に

 あたらしい時がながれはじめる

 記憶は幾重にもかさなり

 またうまれる時を待っている

008

(どこいこうか) 

 

  

詩を読む会(35)

 8月31日(土)開催、詩を読みましょう(第13回)

 読まれた詩文の一部を紹介しよう。

          *          *          *

   木の実

                                茨木 のり子

 高い梢に

 青い大きな果実が ひとつ

 現地の若者は するする登り

 手を伸ばそうとして転り落ちた

 木の実と見えたのは

 苔むした一個の髑髏である

 

 ミンダナオ島

 二十六年の歳月

 ジャングルのちっぽけな木の実は

 戦死した日本兵のどくろを

 はずみで ちょいと引掛けて

 それが眼窩であったか 鼻腔であったかはしらず

 若く逞しい一本の木に

 ぐんぐん成長していったのだ

 

 生前

 この頭を

 かけがえなく いとおしいものとして

 掻抱いた女が きっと居たに違いない

 

 小さなこめかみのひよめきを

 じっと視ていたのはどんな母

 この髪に指からませて

 やさしく引き寄せたのは どんな女(ひと)

 もし それが わたしだったら・・・・・・

 

 絶句し そのまま一年の歳月は流れた

 ふたたび草稿をとり出して

 嵌めるべき終行 見出せず

 さらに幾年かが 逝く

 

 もし それが わたしだったら

 に続く一行を 遂に立たせられないまま

 

 

 

   花

                          槇 さわ子

 生まれ変わるとしたら

 何にになりたい?

 そんな他愛いないはなし。

 

 そういへば

 花に見つめられたことがある。

 話しかけられたこともある。

 お地蔵さまのあしもと。

 農家の物置小屋の裏手。

 沼のほとり。

 

 どれもみな

  花!

 声をあげずにいられないほど

 みずみずしく咲いていた。

 

 生きているときに

 よほど強く

 花になりたいと願った人なのか。

 生きているときに

 自分の持っている根の毒が

 しみじみと

 やりきれなかった人達なのか。

 

 美しければ美しいほど

 根に

 こころ奪われる

 花。

027

(美しいほどに)

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ