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2013年8月

Everything and Nothing

 J.L.ボスヘス作/鼓直訳.創造者.岩波文庫

 〈彼のなかには何者も存在しなかった……ただ、わずかな冷気のようなもの、だれにも夢みられたことのない夢しか存在しなかった。最初、彼はすべての人間が自分と同じなのだと信じたが、この空白感をふと口にしたとき相手の顔に浮かんだ怪訝そうな表情を見て、思い違いをしていたことを悟り、個は種から逸れてはならぬという思いを深くした〉p.76

 〈わたしもまた、わたしではない……お前がその作品を夢みたように、わたしも世界を夢みた。わたしの夢に現われるさまざまな形象のなかに、確かにお前もある。お前はわたしと同様、多くの人間でありながら何者でもないのだ〉p.81

 私は何者でもない。だからこそ、創造に参与しうる。

 創造とは?

 私の意思とは無関係に(というより私の意思が存在しないのだが)存在しようとする、宇宙のあり方そのもの。いたるところに生まれる小さな意思は、奔流を待ち、遭遇し得ず、なお生まれつづける、そのあり方そのもの。

 微かに穿ちつづける。穿ちつづけることが生きるということで、生かされている意味で、何者でもない私たちは、そのように夢をみる。

 だれにも夢みられたことのない夢をみようとして。

037

(Kailua)

 

小さな町

 小山清(1954/2006).小さな町.みすず書房

 心地よい夢を見た。内容は忘れたが、ある種の幸福感、優しさに包まれたような感じがした。なぜそのような夢を見たのか、しばらく考えて、その出所が分かった。最近読んだ小山清の作品である。

 読んでいるときに感じれられる何かが、夢のそれと似ていた。それは、人の心理に寄り添う作者の私が初めから持っている優しさのような気がする。

 人へのまなざし。とくに、弱い人、小さい人へのまなざしに、共感が込められている。そのやわらかさ、あたたかさには、しかし、大人社会への批判が隠されている。

 映画『道』に閃くジェルソミーナへの親愛のようなもの。対象を見つめ、そこにある純真な心情を、愛しみ、そこに同化しようとする心性がある。

 その心性は、おそらく、私たちが幸福と呼ぶ何かに、ぴったりと寄り添っているようだ。不意に人が失ってしまうものを掬いとろうとする、掌の中で、なおそれはぬくもりを発し、知らぬ間に人の心に浸透し、優しい気持ちを植え付ける。

 読む人を幸せにする、とてもいい作品集である。

033

(small waterbird)

 

つながり合う時

 ある人の死の刻に

 その人の夢を見る

 私が感じとったのか

 その人がやって来たのか

 

 2年前の3月 私は

 原因不明の高熱を続けた

 桜が散るころになっても

 それで 遠くの沿岸部へ出かけてみた

 

 いまここの私は

 見知らぬなにかの

 閃きなのかもしれない

 

 心を澄まそう

 無数の層から生まれる声を

 聞きわけるために

 

 切り刻み

 飾りつける

 続く日々の向こうまでも

 

 道なき山中の木立にて

 突如現れた鹿と目が合う

 呼んだのは私か

 

 思念をととのえる

 生命そのものによりそおうとして

 このつながり合う時に

017

(ノースショアにて)

 

 

 

 

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