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救い

 〈自分の救いをのぞむのはよくないことである。利己的だからいけないというわけではない(人間は自分の意のままにエゴイストになれるわけではないから)。むしろそうすることが、魂を充溢した存在に向けず、無条件に存在する善にも向けないで、個別的で偶有的な可能性にすぎないものに向けることになるからである〉(シモーヌ・ヴェイユ著/渡辺義愛訳『重力と恩寵』春秋社p.242より

 救いをのぞむ、あるいは物事が意のままに進むことをのぞむ心性を私は理解し得ない。

 その心性が、社会における「便利さ」、「豊かさ」を生んでいるのだろうか?

 神ののぞむように生きる。それは、私がすべてに対して開かれてあることを意味する。私がのぞむのではない、神がそれを欲しているのだ、と言ったのはマザー・テレサだったか。

 私の意図は存在しない。ただ、絶対他者なる何ものかの意図が存在するばかりだ。

 それに適うように、自分を整える、その絶えざる passion の中に、生命という、奇蹟のような何かが存在しはじめる。それが、生きるということ。

 ヴェイユの言うように、私たちは不可能な善をもとめている。

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(moonlight shower)

 

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