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詩を読む会(34)

 つづけて、ボードレール『小散文詩集』より

 

 芸術家の〈告白の祈り〉

 

 秋の日々の夕暮れは、なんと心に泌みることだろう! ああ、心に泌み入って、痛みを覚えさせるほど! なぜなら、漠としていることが決して強烈さの妨げとはならない、そういう類いの心地よい感覚というものがあるからだ。そして、〈無限〉の切先にもまして鋭い切先はない。

 大いなる快楽である、空と海の無限の広大さの中に視線を溺らせる快楽こそは! 孤独、静寂、青空の比類ない貞潔さよ! 水平線上に揺らめき、その小さく孤独な姿によって、私の癒しがたい実存を模倣している一艘の小さな帆船、波の単調な旋律、こうしたものはすべて、私を通して思考する、あるいは、私がこれらを通して思考する(なぜなら、夢想の高まりの中では、自我はすみやかに消え失せてしまうから!)それらのものは思考する、といったが、それは音楽的に絵画的に、理屈も三段論法も演繹法もなしに、思考するのだ。

 とはいえ、それらの思考は、私から発するにせよ、事物から発するにせよ、間もなくあまりに強烈なものになってしまう。悦楽の中にある活力は、不快さと、はっきりした苦痛を作り出す。緊張しすぎた私の神経は、もはや甲高く悲痛に打ち震えるのみだ。

 そして今や、空の深さが私を威圧する。その透明さが私を苛立たせる。海の非情さ、この風景の不変性が私を憤激せる……ああ、永久に苦しまなければならないのか、それとも永久に美から遁れなければならないのか? 〈自然〉よ、仮借なく魅惑するものよ、常に勝ちほこる競争相手よ、私を放してくれ! 私の欲望と矜恃をそそのかすことをやめよ! 美の追究とは決闘であって、そこで芸術家は恐怖の叫びをあげ、敗北を喫するのである。

                                           (山田兼士訳)

          *          *          *

 「こうしたものはすべて、私を通して思考する、あるいは、私がこれらを通して思考する」という認識を生きること、それが詩を書くことだと思う。

 そこをきわめることが、私の使命かもしれない。

024 

(Hale O Lono Heiau)

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