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2013年6月

詩を読む会(34)

 つづけて、ボードレール『小散文詩集』より

 

 芸術家の〈告白の祈り〉

 

 秋の日々の夕暮れは、なんと心に泌みることだろう! ああ、心に泌み入って、痛みを覚えさせるほど! なぜなら、漠としていることが決して強烈さの妨げとはならない、そういう類いの心地よい感覚というものがあるからだ。そして、〈無限〉の切先にもまして鋭い切先はない。

 大いなる快楽である、空と海の無限の広大さの中に視線を溺らせる快楽こそは! 孤独、静寂、青空の比類ない貞潔さよ! 水平線上に揺らめき、その小さく孤独な姿によって、私の癒しがたい実存を模倣している一艘の小さな帆船、波の単調な旋律、こうしたものはすべて、私を通して思考する、あるいは、私がこれらを通して思考する(なぜなら、夢想の高まりの中では、自我はすみやかに消え失せてしまうから!)それらのものは思考する、といったが、それは音楽的に絵画的に、理屈も三段論法も演繹法もなしに、思考するのだ。

 とはいえ、それらの思考は、私から発するにせよ、事物から発するにせよ、間もなくあまりに強烈なものになってしまう。悦楽の中にある活力は、不快さと、はっきりした苦痛を作り出す。緊張しすぎた私の神経は、もはや甲高く悲痛に打ち震えるのみだ。

 そして今や、空の深さが私を威圧する。その透明さが私を苛立たせる。海の非情さ、この風景の不変性が私を憤激せる……ああ、永久に苦しまなければならないのか、それとも永久に美から遁れなければならないのか? 〈自然〉よ、仮借なく魅惑するものよ、常に勝ちほこる競争相手よ、私を放してくれ! 私の欲望と矜恃をそそのかすことをやめよ! 美の追究とは決闘であって、そこで芸術家は恐怖の叫びをあげ、敗北を喫するのである。

                                           (山田兼士訳)

          *          *          *

 「こうしたものはすべて、私を通して思考する、あるいは、私がこれらを通して思考する」という認識を生きること、それが詩を書くことだと思う。

 そこをきわめることが、私の使命かもしれない。

024 

(Hale O Lono Heiau)

詩を読む会(33)

 今日、いつものように、詩を読む会(第12回)を開いた。12回なので、2年が経ったことになる。

 詩を読む、詩を書くことの尊さが、今回も感じられた。

          *          *          *

 一行詩

 

 20年余り

 17文字の一行詩に

 思いを込めてきた

 

 あるとき なぜか

 こころの奥に沈殿したものを

 思い切り吐き出したくなった

 

 17文字には

 表せなかった様々な思い

 それを

 犇めき合う澱のなかから

 少しずつ引き出していくと

 混沌の中身が

 次第に整理整頓されていく

 

 視界不能な濁りが

 透明になって

 自分の内側が見るようになるまで

 17文字を超えて

 思いを吐き出してみる

 

 

 あした

 

 ねむれない夜のしじまに

 漆喰の夜道をたどるとき

 それはいつも

 幼い日に母とたどった草深い小路

 

 どんなに ねむれなくても

 どんなに つらくても

 どんなに あわれでも

 窓の外にしらじらとあける

 あしたとゆう日が

 

 

 旅人

 

 先を急ぐ孤独な旅人の

 足を止めたのは

 温かい 君が心

 

 先を急ぐ孤独な旅人が

 涙こぼれたは

 美しいものを見たから

 

 先を急ぐ孤独な旅人の

 胸を過ぎゆく

 思い出の風

 

 

 

 てのひらに蛍愛でつつ清らかなたましひという語を思ひをり (筒井宏之)

          *          *          *

一行詩・・ギターの先生の詩。とても素直に気持ちが表白されていて、共感できる。透明になるまで、思いを吐き出す。それはなかなかできることではなく、すごいことだと思う。先生の豊かな内面を見る思いがする。

あした・・この方の詩にはいつも元気づけられる。言葉に芯があるのは、生き方に芯があるからだと思う。言葉は、生き方である。

旅人・・少ない言葉の中に、たくさんの思いが凝縮されている。含羞がある。作者の優しい人柄が感じられる。

てのひらに・・筒井さんこそが、清らかなたましひである。蛍を、見たくなった。

011

(ブーゲンビリア 白く小さいのが花)

オパール

 買った後で調べてみると、オパールは非常に明るいエネルギ―を持つ石であるらしい。

 「人生の暗闇に希望をもたらすような明るさに満ちた石であり、……今ある人生をより楽しむ為に必要な心の持ちかたを教えてくれる教師のような役割を果たす石」とのこと。

 お店でオパールのブレスレットを見せてもらった時、何より明るさ(親しみのある)を感じたのは、何の一致か。

 それを買って、帰って、妻に手渡すと(誕生日祝い)、偶然昼(オパール購入時)に古いブレスレットが切れたのだと言う。どちらが先か。同時か。

 昨夜は満月だったが、空は曇っていた。間接的に月光を浴びせる。

 近頃いろいろな一致が身の回りで起こっている。

 敏感になっているのか?

 あらゆる事象への配慮が、今の私には必要なのかもしれない。

 時を、人を、万物を大切に。

034

(会えてよかった)

鎌田實さん

 6月2日~7日、クラブツーリズムの「鎌田實先生と行くドリームフェスティバルinハワイ」に参加してきた。

 どんな人なんだろう?

 鎌田さんの印象は、ひとことで言えばあったかい人だった。

 具体的にどういう場面でというのではなく、存在から直に感じられる何かが、とてもあたたかい。やさしい。いい先生だな~。

 奥さんの今日の調子はどう?

 人なつっこくて、いつも気配りをされている。

 6日夜、「さよならパーティー」でご本を頂いた。

 鎌田實(2007).幸せな仕事~命を守る人たちへ~.PHP研究所

 長い間医療や介護にかかわって来られて、そこから大切な言葉を紡いでこられた。

 それらのほんの少しでも、引き継げたらと思う。

 また参加したい。

 あるいはまた別な場所でお会いしたい。

040

(えがお えがお えがお)

 

 

天空に

 子供たちが触ってツルツルになった

 木造校舎のとある手摺に

 今太陽の光が照りつける

 冬なればこそ

 輝きはあたたかく

 そこだけが熱を帯びたよう

 

 そこには光を抱いた少年がいた

 とある日に彼は記憶となり

 人なつこい小さな王子のように

 身すぎにつまづく心を支えた

 

 時に晒されるにしたがい

 思いは純化される

 粘り気のようなものは

 サラサラの粉になり

 天空に満ちわたる

018

(サラサラの砂の上で)

Ron Artis Family Band

 2013.6.3 in Haleiwa

 10人位で音楽活動、絵描きをやっているハワイ・ハレイワの家族を訪れ、演奏を聴かせてもらった。

 声も、音も、踊りも素晴らしい。何より笑顔がいい、みんなの性格がいい。

 ずっと聴いていたいと感じた。声が心に沁み込んできた。

 なんていい家族なんだろう!

 プロとしての音楽活動はしないのだと言う。

 もったいない気もするが、それで良いのだろう。

 演奏中、下の男の子(緑のジーンズの子)が踊っている傍から2匹の雛がピイピイと加わってきた。雛たちもメンバー?

 お姉さんの絵も、感性豊かで素晴らしい。対象を瞬時に絵で理解する才能を感じた。

 http://www.youtube.com/watch?v=JIcEAftYkfY

015

(みんな笑顔で)

 

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