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2013年4月

三月三十一日

 ガラス格子のこちらでは

 ギターがやさしく時を超える

 かつて見た

 滑らかに動くいきものの絵が閃く

 ララルー ララルー

 同郷の音がする

 

 向こうでは風が車を連れている

 砂塵も

 日の翳りも

 おおぜいの花びらをも

 演奏会のあと道に出ると

 世界は思っていた以上にやわらかかった

 

 風はゆっくりとし

 人や動物の声は笑っていた

 桜の木の下に寄ると

 日はさらにやわらいだ

 毎年のように

 今年は より念入りに絵筆がおかれた

 とき

 にわかに 時がまたたいた

 

 演奏家の選んだ時がここにあり

 桜の花がそれによりそう

 correspondance

 ありとあるものの

 

 花はみち

 過去もまたあふれ

 時空におさまるを知らない

 しずかに

 またしずかに

 光は毎年のように微笑む

009

(桜にかこまれて)

詩を読む会(32)

 戦争の頃の名もない人々の生を語り継ごうと、文を書かれている方が、その物語を読んでくださった。とても良いお話しだった。その文章も紹介したいけれど、まだ手書き原稿のようだったので、完成を待つことにしよう。

 詩は技巧ではない、その人の生き方そのものであると、今日改めて感じた。

 次回は6月29日(土)同じ場所で、同じ時間に開催予定。

 最後は征矢泰子詩集より

          *          *          *

   マザー・テレサに

 

 ひと目みたときから

 あなたは空っぽだった

 あなたはそこ テレビジョンの中にいて話しつづけ

 ときどき あたたかく微笑しさえしたが

 なおまぎれもなく

 あなたは空っぽだった

 なくしたのでなくこわしたのでなくあきらめたのでなく

 樹木が育っていくような果実が熟れていくような

 そのすこやかな空っぽの

 あなたのなかにもうあなたはいなかったので

 いつでもだれでもが

 あなたのなかにはいることができるのだった

 どうやって

 あなたと他者ひとを区別できよう

 あなたをみたしているのは

 いつもいっぱいの他者であるときに

 あなたははやあなたのものでなく

 あなたをもとめる他人々々ひとびとこそが

 あなただったので

 ひと目みたときから

 あなたは空っぽだった

 完璧な至福のように

 

 

   いちご

 

 なんという捨て鉢な天真爛漫であろう

 花から実へ実から果実へ

 みごもり熟れていくおのれの身かばうために

 薄い紙一重の果皮さえももたぬとは

 地にふれれば地のなりに

 葉におされればおされたなりに

 おのががかちさえあなたまかせの

 おまえの放恣にやわらかい果肉は

 初夏はつなつの午下り濃緑の葉かげ

 いつもたった今いきなりみつかった

 無防備なさみしさの身の赤さ

 

 

   空蝉

 

 たったいままで

 あのひとはわたしのなかにいた

 ひっそりとやわらかくあたたかくいきづいて

 あのひとはわたしをみたしていた

 あんまりぴったり

 あのひとはわたしのなかにいたので

 わたしにはあのひととじぶんとを

 くべつすることがきなかった

 けれど あのひとはふいに

 わたしのなかでみもだえた

 わたしを とじこめるおりのようにいおしのけた

 あれほどながいあいだわたしのなかで

 しずかにつつましくやすらいでいたことが

 まるでゆるしがたいかしつであるかのように

 あのひとはわたしを ひきさいた

 あっけなくわれたわたしの背に

 あつくまぶしい夏の光がふりそそぎ

 あのひとはゆっくりと

 わたしをぬぎすてていった

 わたしはもうみえずもうきこえない

 わたしのなかにいた

 あのひとこそがわたしだったのだと

 いまさらきづいてもおそいのだ

 わたしのなかを

 いま ぐんじょうの夏の風がふきぬける

 からっぽで いきてもいず かといって

 まだ しんでもいない

 わたしはだれ?

          *          *          *

 マザー・テレサに・・私は私の意思により行動しているのではないと、マザー・テレサは言っていた。神の意思に添うているだけなのだと。無私である、それが「空っぽ」ということである。「心の貧しい人は幸いである」という言葉も、同じ意味である。無私であること、まさに至福である。

 いちご・・一行目から引きこまれる。自身を庇う皮さえ持たずに生きている、そのことへの憧憬が描かれている。最後の「さみしさ」という言葉がとくに印象的である。

 空蝉・・空蝉の私が語っている。空っぽであることへの羨望がある。そうでなくてはいけないという切実な気持ちがある。私の中で何かが生まれる、それは私が空っぽであるからこそ。生みだす私とは何か?

012

(やわらかな光を浴びて)

 

詩を読む会(31)

 詩を読む会の参加者の、年配の方の話を聴くのは愉しい。昔の別府のこと、別府駅には桜の木があったこと、土筆が生えていたこと、また別の土地のお話し等、私の知らないことばかりで、興味が湧いてくる。

 つづけて、今度はよく知られている詩人の作品から。

          *          *          *

   田螺たにしのうた

                               室生犀星

 たんぼの川に

 田螺のうちがある。

 どろでつくられたうちの中で、

 春になると

 田螺もうつらうつらして

 ゆめを見る。

 晩になると

 ころころ泣いている。

 田螺はゆめを見て

 川底にころがり落ちる。

 落ちても

 まだ田螺はないている。

 

 

   無題

                              八木重吉

 夢の中の自分の顔と言ふものを始めて見た

 発熱がいく日もつ ゞ いた夜

 私はキリストを念じてねむった

 一つの顔がああらわれた

 それはもちろん

 現在私の顔でもなく

 幼ない時の自分の顔でもなく

 いつも心にゑがいてゐる

 最も気高い天使の顔でもなかった

 それよりももっとすぐれた顔であった

 それが自分の顔であるといふことはおのづから分つた

 

 顔のまわりは金色をおびた暗黒であった

 翌朝眼が冷めたとき

 別段熱は下がってゐなかった

 しかし不思議に私の心は平らかだった

          *          *          *

 田螺のうた・・昔懐かしい風景が蘇る。蛇行する川のゆるやかさ、他の生き物たちの生態など。あぁ田螺もゆめを見るんだ。ころころなくんだ。他にも室生犀星の詩には「水鮎のうた」「うじのうた」「なめくじのうた」など、生きものをうたったものがたくさんある。いずれも、生命への愛おしさが感じられる。

 無題・・八木重吉は29歳で病没している。キリスト者である。夢は心を癒す、たとえ悪夢であっても。夢はつねに意想外である、だから心を癒す。夢で自分の顔を見るというのは特異なことだろう。印象に残る詩である。

023

(鯉もゆめを見る)

 

詩を読む会(30)

 4月27日(土)午後1時半から時まで、「詩を読みましょう(第11回)」を開いた。

 いつものように、持参された詩を読み合い、感想を述べ合う、話はいろんな処へ拡がり、愉しいひと時を過ごした。今回も、読まれた詩を紹介しよう。先ずは自作の詩から。

          *          *          *

   

 

 過ぎたことは終わったこと

 終わったことは消えたこと

 それは走り去る窓外に見える

 風景に似ている

 風景は現れては飛ぶように消えてゆく

 今 目の前を過ぎてゆく景色こそ

 今と私との触れ合い

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 だから 過ぎ去ったものに

 いつまでも思いは残すまい

 それはもう

 取り返しのつかない事なのだ

 取り返しのつかないことなら

 みんな 忘却の水に沈めていこう

 過ぎた事は 終わったこと

 終わったことは

 消えてしまったことだから

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 若し どうしても残したいないら

 懐かしい思い出だけを一掴み

 心の隅に

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 汽車は走る

 ひた走りに走る

 銀河鉄道

 乗客は一人

 

 

   

 

 果てしない 大海原に

 ときはなたれた夢

 たゆとう波にゆられてゆられて

 ゆるやかに

 それは楽しい時と時を

 つなぐ未来であったはず

 

 目覚めて想ういまわの時

 夢は夢まぼろしで

 それはそれで

 己を創って来た

 夢を追った日々の

 なんと懐かしいことか

          *          *          *

 ・・何か心の中の出来事があり、過去を過ぎ去ったものとして忘れようとする。今がすべてなのだから。しかし、どうしても残したい何かがある。作者は自らの死を意識したのかもしれない。ひた走りに走るそれのために、取り返しのつかない旅路を意識したのかもしれない。詩を書くことで、心の整理がなされている気がする。

 ・・良い夢だったのだと思う。作者の人柄からそう想う。夢は大海原にときはなたれ、作者の人を創ってきた。夢が人を創るという認識がいい。良い詩だと思う。

010

(子供の頃の居場所の一つ)

アサーション・トレーニング2

 以前、平木典子(2009).アサーション・トレーニング.日本精神技術研究所 を読み、その感想を書いた。http://fleurs-au-vase-jaune.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-6bc7.html

 今回は、職員研修を行うにあたり、他にもいろんな本を読み、アサーションに関する理解を深めることができた(読んだ本を下に挙げる)。

 だが、実際に研修を行ってみると、言い足りないことが山ほどあることに気づかされた。

 今回の研修内容とは(1時間)

 1.導入として、アサーティブの説明(歴史など)

 2.具体例を挙げて解説(非主張的、攻撃的、アサーティブ、の違い~アサーション権)

 3.参考図書(引用文)の読み合わせを行い、解説(なぜ非主張的なのか~非合理的思い込みについて)

 4.簡単なロールプレイ(話し手と聞き手)

 本来は、もっと時間が必要なこと、また私自身が十分にアサーティブではないことをお断りしたうえで、上記内容を実施した。

 解説では、「なぜ非主張的(ノンアサーティブ)なのか」に的を絞った。

 自分が断ったら相手に悪いかもしれないとか、主張したら迷惑かもしれない、というのはあくまでも「私」の思いに過ぎず、本当はそうではないかもしれないし、結局は「私」の考えを押しつけているだけなのかもしれない。そういうことを話した。非合理的思い込みがコミュニケーションを不自由にしているとも語った。

 ロールプレイでは、ペアになってもらい、一方には最近印象に残ったことを話してもらい、他方は聴き、「それは○○ということですね」と返し、話の感想を述べてもらった。主張的(アサーティブ)であるとは、良く聴くことであるということを話した。

 研修として、まだまだ不十分であると感じる。司会が、もっと研鑽をつまなくてはと思う。

 また行おうと考えている。

 

参考図書:

土沼雅子(2012).自分らしい感情表現.日本精神技術研究所

森川早苗(2010).深く聴くための本.日本精神技術研究所

C.アンドレ著/高野優訳(2008).自己評価メソッド.紀伊国屋書店

菅沼憲治(2008).セルフアサーショントレーニング はじめの一歩.東京図書

菅沼憲治(2008).セルフアサーショントレーニング エクササイズ集.東京図書

小柳しげ子ら(2008).アサーティブトレーニングBOOK.新水社

大串亜由美(2007).アサーティブ――「自己主張」の技術.PHPビジネス新書

野末聖香ら(2002).ナースのためのアサーション.金子書房

002

(葉っぱの上はきもちいいわん)

いけちゃんとぼく

 2009年公開、原作:西原理恵子。

 私も、ときどき誰かに護られている感じがする。

 誰か、ではなく、何か、かもしれない。偶然の出会いとか、偶然の救いとか、etc.

 いけちゃんは少年の「ぼく」に会いたかった。

 会いたかったから、願ったから、叶ったのだけれど、本当は、いつから会いたかったのだろう。ずっと前から、かもしれない。

 いけちゃん自身にさえ意識されていなくて、そしてそれは「いけちゃん」になる以前だったかもしれず。

 いけちゃんがずっと思っていた、ずっと大切にしてきた何かは、「ぼく」に出会い、「ぼく」を大切にし、「ぼく」に思慮と勇気を与える、そういう「何か」だった。

 子どもが成長の過程で出会うものはなんだろう? 人のあたたかさ、愛情、そしてあるときふと出会ってしまう「何か」。

 それは見知らぬものかもしれず、親しみのあるものかもしれず。それはたぶん人によってちがう。

 とても良い映画だった。いけちゃんの声も良かった。

http://www.youtube.com/watch?v=xYO78FH5_Eg

007

(ふとした出会い)

桜吹雪

 3月31日(日)、久しぶりにコンサートを聴きに行った。

 演奏は竹内幸一さん、鉄輪のライブハウス「竹の里」にて。

 沖縄の音楽と、ディズニーの音楽、そしてギター二重奏。

 童神~天の子守唄、安里屋ユンタ、黄金の花、涙そうそう、島人ぬ宝、ハイ・ホー、愛を感じて、ララルー、美女と野獣、ベベディ・バビディ・ブー、対話風小二重奏曲第2番作品34-2、アンクラージュマン作品34。

 2年前の5月にも、同じ場所で、同じ演奏家の音楽を聴いた。

 優しい演奏だと感じる。一つ一つの音が心に届いてくる。強風の舞う外の世界とは違い、和やかな雰囲気の中で、時が穏やかに過ぎていく。

 演奏会が終わり、外に出た。満開の桜がそこここを明るく染めている。舞う花びらたちに惹かれて、木の下へ。観光客らに交じって、写真を撮る。

 今日、演奏会を開いてくれたから、いまここの風花に出会えた、その偶然、邂逅に不思議な縁を感じる。

 synchronicity 共時性の贈り物。

 constellation 星のような、花びらの運行。

 いまここの僥倖。

 日が翳り、風は冷たさを運んでくるけれど、あたたかな感覚がいつまでも内外にに浮遊する。

 この記憶はいつまでも残るだろう。

 いくつもの時を超えて。

https://www.youtube.com/watch?v=cD0R2w1GU9o

005

(鉄輪の空の下で) 

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