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詩を読む会(31)

 詩を読む会の参加者の、年配の方の話を聴くのは愉しい。昔の別府のこと、別府駅には桜の木があったこと、土筆が生えていたこと、また別の土地のお話し等、私の知らないことばかりで、興味が湧いてくる。

 つづけて、今度はよく知られている詩人の作品から。

          *          *          *

   田螺たにしのうた

                               室生犀星

 たんぼの川に

 田螺のうちがある。

 どろでつくられたうちの中で、

 春になると

 田螺もうつらうつらして

 ゆめを見る。

 晩になると

 ころころ泣いている。

 田螺はゆめを見て

 川底にころがり落ちる。

 落ちても

 まだ田螺はないている。

 

 

   無題

                              八木重吉

 夢の中の自分の顔と言ふものを始めて見た

 発熱がいく日もつ ゞ いた夜

 私はキリストを念じてねむった

 一つの顔がああらわれた

 それはもちろん

 現在私の顔でもなく

 幼ない時の自分の顔でもなく

 いつも心にゑがいてゐる

 最も気高い天使の顔でもなかった

 それよりももっとすぐれた顔であった

 それが自分の顔であるといふことはおのづから分つた

 

 顔のまわりは金色をおびた暗黒であった

 翌朝眼が冷めたとき

 別段熱は下がってゐなかった

 しかし不思議に私の心は平らかだった

          *          *          *

 田螺のうた・・昔懐かしい風景が蘇る。蛇行する川のゆるやかさ、他の生き物たちの生態など。あぁ田螺もゆめを見るんだ。ころころなくんだ。他にも室生犀星の詩には「水鮎のうた」「うじのうた」「なめくじのうた」など、生きものをうたったものがたくさんある。いずれも、生命への愛おしさが感じられる。

 無題・・八木重吉は29歳で病没している。キリスト者である。夢は心を癒す、たとえ悪夢であっても。夢はつねに意想外である、だから心を癒す。夢で自分の顔を見るというのは特異なことだろう。印象に残る詩である。

023

(鯉もゆめを見る)

 

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