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2013年3月

The Turin Horse ニーチェの馬

 The Turin Horse ニーチェの馬.2011年.ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ合作

 北イタリアの寒村に住む父と娘と馬の6日間。ずっと強風が吹いている。

 父は強風の中を馬とともに帰る。食するのは茹でたジャガイモだけ。塩を少しかける。土埃の中、枯葉が吹き荒れる。

 翌日、馬は働こうとしない、秣も食べなくなる。一人の男がやって来て世界の終焉を語る。2頭立ての馬車に乗った数人の旅人が井戸の水を飲みに立ち寄り、父はそれらを追い払う。

 井戸の水が枯れる。飲み水を求め、父娘と馬は旅立とうとするが、やがて引き返してくる。相変わらず強風が吹き荒れている。

 ランプの灯が消える。点けようとするが、なぜか点かなくなる。火種もなくなり、ジャガイモも生で食べようとする。

 馬はどうなっただろう?

 このような貧しい生活を、あたり前のように私は感じた。歓楽からは遠く、最小限の物を食し、静かに生きる。水を汲み、繕い、耕し、食す、それだけで十分に豊かであるのに、多くの人は更なる何事かを付与しようとする、それが不思議なことと感じられる。

 夜が朝になり、嵐が止めば、父娘はまた土地との交感を始めるだろう。すでに始めてはいるのだが。

 感じとり、生きること、貴い暮らしである。

http://www.youtube.com/watch?v=tmhKEuxssgw

006

(春来たるらし)

わたしを離さないで Never Let Me Go

 カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳(2005/06).わたしを離さないで.早川書房

 はじめに映画を見た。とても良い映画だったので、本を読んでみた。

 物語の背後で問われているのは臓器提供の倫理であるが、主人公の語りは特にそのことに触れる訳ではなく、育った環境と登場人物たちの心模様が描かれる。

 舞台はイギリス。へールシャムという名の寄宿学校で、「保護」されて、子どもたちは育つ。そこで彼らは将来「提供者」になるための教育を受ける。

 そのエピソードの数々。

 彼らは絵を描くことを奨励され、その目的は秘されるのだが、目的を明かされないことにより、さまざまな憶測の下で葛藤が生じる。「保護官」たちはそのことを知らない。

 善意により学校は運営されるが、その意図は世間に浸透し得ず、やがてへールシャムは閉鎖される。

 さまざまな憶測の一つ。本当に愛し合っているカップルは、「提供」を猶予されるという噂が卒業生の間で静かに広がりつづける。トミーは、絵を描くことが奨励されたのは、カップルの「愛」を確かめるためではないかと考えるが、そうではなかった。

 主人公キャシーは、「提供者」を猶予された「介護人」であった。彼女は親愛なるトミーや、友人ルースの思考を丁寧に語る。

 適切な観察と描写は優秀な「介護人」ならではのことだろうが、それは生来の性質であった。

 世間から隔離され、ある倫理を身につけ、それでも誰かを愛することを願う。噂は彼らの内から生じた、否応のない叫びだったのかもしれない。

 キャシーは「わたしを離さないで」という歌に魅かれる。なぜ魅かれるのか分からないとくり返すが、それも、愛し愛されることへの切望から生まれた感情だったのだろう。

 ありとある存在は愛を求めている。どのような境遇に生まれ、どのような立場に置かれても。

 主人公に語られる毎に、頁がめくられる毎に、アルバムの中の無数の写真のように、さまざまな人間情景が映し出される。一枚毎の裏にも、折り畳まれた絵が現われる。幾重にも、幾重にも。それは無限につづいている。

 この物語は、私たちの心の原風景を映し出しているようだ。それはかつて見たことがあるようで、本当は初めて見るような、魅力的な何かである。

http://www.youtube.com/watch?v=LE9ny5VDt1c

013

(ジャングルジムのある風景)

 

Jane Eyre ジェーン・エア

 Jane Eyre(2011).イギリス-=アメリカ

 高貴な魂の物語である。

 決して媚びることのない性質。自らの考えをまっすぐに述べる。それは素直な感性と厳しい境遇に裏打ちされたもの。

 ジェーンは、家庭教師先で、その屋敷の主人ロチェスター氏に出会う。二人はその瞬間に互いの魂の類似を見てとった。だからこそ、はじめから率直に(対等に)語り合う。相手を批判もするが、語り合いは喜びであった。また、ロチェスターの結婚相手になるかもしれないイングラム嬢が現われたとき、苦しみもする。

 自分が愛するのはイングラム嬢ではなく、あなたなのだと、ロチェスターから求婚され、そして教会で誓い合おうとした時、彼に妻がいることが露見し、ジェーンは絶望する。何かに祈ることもなく、悲しみに打ちひしがれる。

 絶望した彼女を救ってくれた牧師のジョンの世話で、教師の職を得、日々を送るが、そのジョンから求婚された時、彼女に聞こえてきたのは、ロチェスターの叫びだった。

 ジョンはジェーンに対して魂の同質を口にする。しかし、それは違うと、彼女には分かっていた。分かっていたのは理性からというより、はっきりと感じられていたのだった。

 ロチェスターは、精紳を病んだ妻が引き起こした火災のために、目が見えなくなっていた。盲目の彼は、ずっとジェーンを求めていた。その心の声が彼女に聞こえた。

 求め合い、巡り合う、それは人の心の本質なのだと、作品は語っている。だからこそ、私たちは自らの心に素直になり、時にはあえてそれを超えて、より真実なる何かを求めて生きようとする。

 深く心に残りつづける物語である。

http://www.youtube.com/watch?v=Fn5sO7s8Ly8

011

(戸畑の公園にて)

 

 

 

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