« 嘆きのピエタ | トップページ | 詩を読む会(28) »

詩を読む会(27)

 今日、詩を読みましょう(第10回)を開いた。いつものように、読まれた詩の一部を紹介しよう。

 先ずは天野忠さんの作品から

 

 

  夫婦

 

 四十五歳のお前が

 空を見ていた

 頬杖ついて

 ぽかんと

 空を見ていた

 空には

 鳥もなく

 虹もなかった

 空には

 空色だけがあった

 

 ぽかんと

 お前は

 空を見ていた

 頬杖ついて

 それを

 私が見ていた。

 

 

  テスト

 

 鉛筆を指して

 ――これは何ですか と医者がたずねている。

 ――エンピツです。

 見るからに気の良さそうな

 七十八歳の老人が答える。

 掌の上に煙草をのせて 

 ――では、

    これは何ですか ときく。

 花咲爺さんみたいな顔をして

 しばらく思案してから

 呆け老人は答える。

 ――エンピツです。

 

 さっき見たテレビの医者そっくりの口調で

 ――これは何ですか と女房がたずねる。

 ――これは私の愛用の湯呑です。

 ――では、と自分の顔を指して

    この人は誰ですか ときく。

 花咲爺さんみたいな顔をして

 しばらく思案してからハイ、と私が答える。

 ――それは私の愛用のおばあさんです……。

 

 

  糊

 

 だれでも

 あんまり年をとると

 ぼんやりする。

 お釈迦様でも

 キリストのような

 人間であって人間でないような

 そんなでっかく偉大な存在であっても

 あんまり年をとれば

 やっぱり

 ぼんやりしただろうと思う。

 何故ぼんやりするか

 (世間ではそれを呆けるというが)

 水は物質で

 火は現象であるというふうに

 人間が物質と現象とから出来ていて

 それがどちらかに分離していくために

 分離しながら

 どちらもすりきれすりきれして薄く弱くなっていくために

 人という人は

 年をとるにしたがって

 ぼんやりしていくのではないか

 と、このごろ

 ぼんやり

 私は考えるのである。

 それにしても

 物質と現象とを

 しっかりくっつけていた

 糊のようなものは

 あれはいったい何であったのか

 と

 考えると

 そこから そのへんから

 もっともっと

 私は

 ぼんやりしていくようである。

 

 天野忠さんの詩は、どれも年をとることを楽しんでいるような趣がある。若い人にはないユーモア、感性に溢れている。それはどこから来るのか? ではぼんやりしていくことを肯定的にとらえている。頭で考えるのではなく、身体全体、あるいは身体を超えで感じとる。そこがいい。その感じ方が、天野さんの生き方であり、詩作である。

019

(ぼんやりと空を見る) 

« 嘆きのピエタ | トップページ | 詩を読む会(28) »

詩を読む」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391404/49601229

この記事へのトラックバック一覧です: 詩を読む会(27):

« 嘆きのピエタ | トップページ | 詩を読む会(28) »