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高山辰雄

 昨日NHK「日曜美術館」を見た。

 新聞のテレビ欄には「命とは何かを探究した日本画の巨匠」とあった。

 彼の描きたかったのは個々の事物と宇宙との一体感だと、番組を見ていて感じた。

 人物や動物と周囲との境界がぼやけてゆく。画くほどに、年を経る毎に。

 生きるとは宇宙に溶け入ることであると、言っているようだ。すべてと交感することであると。

 生を愛しむかのように高山は画きつづける。それが彼なりの交感である。

 分子生物学者の福岡伸一氏は、そこに時間の流れを見ていた。画の中に、過去と現在と未来が同時に現されていると。それは福岡氏ならではの見方なのだろう。

 私は、私ではない私を想起する。

 画かれた犬は、もはや犬ではなく、そこにある何かである。そこに思考している物である。黄色い服の少女も、すでに少女ではなく、何か(something)である。そのような無名の何かとして私たちはある。やがては水や炭素に還元されてしまう何物かとして。

 しかしそれは思考する。見、聞き、感じ、どこまでも思考しようとし、思考を生き、人知れぬ崖の端に咲く花のように、不意にある場所に自らを見出す。

 風景に溶け入ろうとし、芯のように定位する物は、じっと何かを感じ考えつづけている。

 それは、何か?

 私たちは、それに促され、寄り添い、対峙し、またそれなしに生きる。

 高山もまた、その「何か」を感じていたに違いない。

 高山辰雄展は、2月3日まで、大分市美術館で開かれているらしい。

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(大分市東浜にて)

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