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行人 夏目漱石

 夏目漱石(1913).行人.新潮文庫

 今からちょうど100年前に書かれた小説。

 最後の、長野二郎の兄一郎について書かれたHさんの手紙が最も印象に残った。その手紙は、二郎の一郎に対する認識に変化を与えただろう。

 一郎は理性によりどこまでも問い詰める人であった。だから、妻の性情のわからなさに懐疑し、弟に対しても不信の念を抱く。自分の感情に対してさえも。

 多くの人はそこを適当にごまかして生きているのだが(二郎のように)、彼にはそれが出来ない、だから苦しい、生きにくい。もっと鷹揚であったらいいのだろうが、それは彼の生ではない。彼は彼のようしにか生きられない。

 Hさんの手紙は、それでいいのだと、言っている。だから、あなた(二郎)はそんな彼を愛してあげなさいと。これは人間理解に対する一つの真理である。他から見て、著しく不器用に生きている人でも、その生き方はその人にとっての真実である。だから、まわりはその生き方を尊重してあげるのがいい。それで何の不都合があろう、むしろ、そのような人を慈しむことこそが大切ではないだろうか。互いにとって。

 ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』で、若くして死んだ主人公に対して、ある親方が「私たちはあの子に対してもっとしてあげるべきことがあったのではないでしょうか」と言うくだりがある。それがこのHさんの手紙に重なる。私たちは、彼をもっと愛してあげたらいいのではないでしょうか、と。

 夏目漱石の小説は、そのように、人間理解の視点に光をあててくれる。考えの足りない人、考えすぎて苦悩する人、慣習によってのみ生きる人。でも、いずれも愛すべき人たちである。作者は、だから同じように、彼らに等しく光をあてつづける。それでいいのだと。

 はじめはさまざまな人間模様に寄り添い、行きつ戻りつ、そうして次第に焦点を明確にしつつ、主題へと変調していく。その緊張感が漱石の小説の特徴である。

 後半に行き着く処は広い野原のよう。あとの解釈は読者に委ねる。だから、読んでいてある種の開放感を味わうことができる。味わい深く、心に一つの芯のようなものを与えてくれる小説である。

008

(どうぞよろしく!)

 

 

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