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2012年9月

ラビット・ホール Rabbit Hole

 2010年アメリカ映画。

 人は絶えず誰かと心を共有したがっている。喜びも、悲しみも。

 その思いは、手さぐりで掘り進められる兎の穴のよう。時に錯綜し、すれ違い、別の空を見上げる。

 それらの生はまた、「並行宇宙」の生として、あると信じられる人に開かれている。げんに無限を生きているのだから(宇宙は無限だから)、私たちには幾つもの別の生があるだろう。今ここの私は悲しみに領されていても、別の宇宙の私たちは喜びに満ちているだろう。

 悲しみは消えさることはなくても、ある程度小さくなり、共存できるようになる。それが私を形づくり、今と未来を静かに涵養している。

 突発的な感情に対してでさえ、それは対処の手立てとして、庇護的に作用するだろう。人は強くなる必要などないだろうが、自らを護るほどにはしなやかになれるだろう。

 どこかにあるラビット・ホールが、おそらく、私たちの心を優しく、豊かにしてくれる。これは、希望の在り処を指し示している映画である。 

http://www.youtube.com/watch?v=Qozr89eB5Dw

016

(光の無限)

八月の鯨 The Whales of August

 1987年、アメリカ映画。

 老いた白髪のリビーはメーン州の島の岬の一軒家に妹セーラと一緒に住んでいる。目が見えないので、セーラの世話になっている。プライドが高く(感受性が強く)、娘の世話にはなりたくないと言う。セーラは元看護師で、夫に先立たれている。

 その岬からは、八月に鯨を見ることができると言う。若い頃姉妹とティシャの三人で見た時の映像が冒頭で映し出される。

 八月の庭には白と赤のバラが咲き乱れている。セーラはそれぞれを一本ずつ摘み、ガラスの小瓶に生ける。他にも、岬までの小径には色とりどりの花木が群生している。年下の友人ティシャはブルーベリーの実を摘んでくる。

 リビーは希望を持てないでいる。死が間近いと口にもし、友人の修理工が海側の壁に大きな見晴らし窓を取り付けてはともちかけても、相手にしない。見晴らし窓はセーラの提案だった。

 知り合いの老紳士が近くの海辺で魚を釣ってくれた。彼はディナーの客として呼ばれ、昔日のことや未来の希望を語ってくれるが、その意図が、リビーには見え透いていた。

 その日はセーラの結婚記念日だった。薔薇は記念写真の前におかれ、紳士が帰った後、セーラは一人で故人を偲ぶ。

 夜、姉妹の思いは交錯する。

 翌日、ティシャが不動産業者を連れてくる。以前にも家を売らないかとセーラに持ちかけていたのだ。業者が二階に上がろうとすると、セーラは家を売るつもりのないことを、強い調子で言う。

 不動産業者とティシャが帰ると、部屋から出てきたリビーは、忘れ物を取りに来た修理工に、見晴らし窓の取り付けを依頼する。セーラと二人で決めたのだと。

 底意のない修理工の振舞を見て、決心がついたのかもしれない。寄り添うセーラの真意に影響されたのかもしれない。物語はそこで静かに終わる。

 二人の心の襞が丁寧になぞられ、島の鮮やかな映像がそれに重ねられる。

 いつまでも心に残る、とても美しい映画である。

http://www.youtube.com/watch?v=-_qejjOKaHo

003

(別府の八月の海)

 

 

 

ウィンターズ・ボーン Winter's Bone

 2010年、アメリカ映画。

 舞台はミズーリ州の山村。

 そうするしか、他に方法がないから、17歳のリーは父を探し求める。死んだのなら、遺体が必要だから、それを求める。

 しかし彼女は、ある勇気を持つ。直感と、論理力も。

 結果として彼女の親類、村の共同体の保身を崩すことになるなら、それを回避する。大切なのは、弟、妹、母親の幸福である。そのための犠牲は厭わない。

 冷たい湖水に手を突っ込み、父の遺体(一部)を引っぱり上げる。親類の女も協力してくれる。そこに、僅かに心が通いはじめる。

 父の兄ティアドロップに対しても、少しの信頼を持ちはじめる。

 彼女の存在は、物語を見る者に力を与える。この世に生きていくのに必要な力は何かを教えてくれる。

 それは、屈しない力、自ら動く力、すなわち生命力である。そこに優しさが宿る。おそらくそれらはいつも切り離されることなく共にある。

 静かに、どこか奥の方から、力が湧いてくる映画である。

http://www.youtube.com/watch?v=uMoVZ6s5Z3A

010

(別府 扇山の空に)

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