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ヤコブへの手紙 Postia Pappi Jaakobille

 2009年、フィンランド映画。

 おそらく、何度も繰り返し見ても、飽きるどころか、ヤコブ・リューベ牧師の心情に打たれ、深き思いに心は益々満たされるだろう。

 終身刑のレイラ・ステーンは恩赦を受けて、牧師館に赴き、盲目の牧師ヤコブへの手紙を読み、返事を代筆することになる。

 ヤコブ牧師は自宛てに届けられた手紙を読み、差出人のために祈り、返事を書くことを日課としていた。次の自覚のもとに。

 「私はただ人の願いを伝える道具にすぎない」

 しかし、信仰無きレイラはヤコブの仕事を無意味と感じた。

 ある瞬間、ヤコブはレイラに置き去りにされた教会で悟る。

 「人のために祈るのが私の使命だと信じてきた」が、救われているのは、寧ろ自分で、神は自分に役割を与えてくれていたのだと。

 「貧しい人のために全財産を使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ私に何の益もない」。自問と自責。

 ヤコブが教会から戻ってきた瞬間、レイラは首つりを思いとどまる。その間に、彼女にはどれほどの葛藤があったことだろう。

 手紙文に仮託して、レイラは終身刑となったいきさつを、夏草の生い茂る庭でヤコブに語る。彼女は姉リーサの暴力夫への怒りから、その夫を死に至らしめたのだった。

 「私は許されますか」

 その問いを聞いて、ヤコブは恩赦が姉リーサの願いであったことを、リーサからの手紙を渡して伝える。レイラの眼から涙が止まることなく溢れ続ける。

 その直後、コーヒーを入れに室内に戻ったヤコブは倒れて死ぬ。

 レイラの心を潤し、その生を回復させるのがヤコブの最後の役目であったかのように。

 ヤコブの自覚と、レイラの無垢な心情が全編に浸透し、二人の心はいつしか融合し、かつて触れあった人々とまだ見ぬ人々との交感を予感しながら、静かに流れる音楽と共鳴しながら、希望が奏でられる。愛が、すべてなのだと。

 私の最も好きな映画の一つになりそうである。

http://www.youtube.com/watch?v=ylBGumYqaws

011

(花屋の庭先に咲く花たち)

 

 

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