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詩を読む会(19)

 今日、「詩を読みましょう(第6回)」を開いた。いつものように、発表された詩、発表される予定だった詩を紹介しよう。

 そして、これまで(第5回まで)は記さなかったが、これからは、改めて私の感想を記すことにしよう。

          *          *          * 

    負うということ

 

 わがままなのかな?

 

 あなたがわたしを愛していることも

 大切にしてくれていることも

 とてもわかっているから

 

 受け入れなければいけないのかな?

 こんなに苦しいのも

 こんなにあなたを苦しめていることも

 仕方のないことなのだと

 

 わたしのせいじゃない

 誰のせいでもないのに

 

 いつもありがとう

 これからもよろしくね

 が

 明日も笑顔で言えるように

 わたしは夜 魚になって

 ひとりのベッドを

 泣きながら

 さまようのです

  

  

   まぼろし

 

 埃っぽさと熱を帯びた空

 くっきりとした雲

 

 風に踊る麦わら帽子を

 追いかけていく

 汗ばんだ小麦色の背中

 

 錯覚させる白い砂浜が

 ぴりりとからだを焼く

 執着のない夢を抱えるかき氷を

 何気もなしにかき混ぜて

 波打ち際に揺れる

 うたかたのようなわたし

 

 世界中の喧騒も

 昨日の憂鬱も

 波音に溶けていく気がして

 足を濡らすぬるい海水が

 やけにいとおしい

 

 明日になれば

 この 焦がすような痛みも

 すべて

 夏のまぼろしと

 なるのかしら

 

 

   HORIZON

 

 生きていくことがしんどいと思えるような

 時間に追われるだけの every day

 歳を重ねるたび 経験を積むたび

 知らないうちに見えないカラーを作っている

 

 重い荷物なら この瞬間 捨ててしまおう

 面倒な人間関係も仕事も 頑張りすぎてしまう恋愛も

 くよくよ悩んだって何も始まらない

 ほら気が付けば もうすぐそこに 大好きな季節が…

 

 見上げることができぬ程の夏の太陽の輝き

 雲ひとつない青空と穏やかに微笑む海

 乱反射する horizon 風を感じながら加速をつけて坂道を下れば

 そこはいつもと違う景色 オアシスが待っている

 

 早く周囲から認めてもらいたくて 無理をして 背伸びして

 強くなることばかり追い求めていたら

 素直に泣くことも 無邪気に笑うこともできなくなっていた

 忘れる前に たまには「あの頃」思い出すのもいいんじゃない

 

 焼きつくす程の夏の太陽の輝き

 雲ひとつない青空と穏やかに微笑む海

 遠くに交わる horizon 寄せては返す波の音に心を洗いながせば

 自分がちっぽけでもいいんだっと思えてくるはず

 

 どこまでも続く horizon きっとすべてを忘れさせてくれるから

 また明日から 新しい自分で暮らしていこう

 

 

   

 

 元気なのは太陽だけ

 我が家のリビングに

 冷風が心地よく漂う

 愛犬はルーバー近く

 VIP席でヘタバリ

 街を行けば灼熱地獄

 アスファルトの鉄板

 バンパーで目玉焼き

 黒く焼けたこの肌は

 チリを振ったように

 今年もバーベキュー

 焦げた私を食べる?

 私は太陽と話せたら

 これを尋ねてみたい

          *          *          *

 いずれも若い女性の作品である。

 負うということ

 障害を持つ人の、持ったことによる内面の葛藤を描いてある。

 障害を持つことを負のこととして捉えてあるが、果たしてそうだろうか? 多くの人がそのように「負」のイメージとして捉え、げんに社会の仕組みも(ハードもソフトも)バリアとしてあるけれど、本当はそうではなく、人はだれでもあるがままのその人であるだろう。

 とはいえ、家族や友人、恋人に、負担をかけていると感じるのもまた、ごく当たり前の感情なのだと思う。

 目に見える障害を持つと、自分の存在が顕著に意識されるかもしれない。でも、目に見える障害を持っていない人もまた、その人なりの苦悩を抱えている。抱えていないと言う人もいるかもしれないが、それは自覚されていないだけのことである。

 げんに感じている自分の内面の葛藤を、もっと見つめて、詩としての完成度を高めていくのは、とても大切なことだと思う。言葉とともに、人は生きていくのだから。

 まぼろし

 五感に感じられるものが現実であるか? 感じられたこと、そのことが現実があると、私は思う。同時に、当然のように五感に感じられない現実もある。誰かのことを思うこと、その人そのものを感じること、私の夢に寄り添う意思、など。

 だから、この詩のように、感じられた夏は、現実であり、作者である。くっきりとした雲も、小麦色の背中も、錯覚させる白い砂浜も、ぬるい海水も、夏のまぼろしと/なるのかしらと感じられた夏も、すべて。

 感じられた現実を描くのもまた、詩であるだろう。それをどのように読者に伝えるのか。もう少し、感じられた現実を共有できる言葉が欲しい。

 HORIZON

 多くの人に共感される詩かもしれない。その感覚はよくわかる、と。それで励まされる人もいると思う。

 horizon とは、いまここの私を省みさせてくれる鏡、海の上でならどこまで行っても続く果てしないもの、岸辺からなら毎日異なる風景の中にあって唯一変わらないもの。

 だから、それを見る毎に、私はさまざまな思いを想起し、時に笑い、泣き、また勇気づけられる。

 インパクトが無いので、もう少し言葉を凝縮しては、とも思うが、作者の表現スタイルとしてはこれで良いのかもしれない。

 

 一気に読ませてくれる。明るい詩。笑いがある。日常のちょっとした手触り感が伝わってくる。ああ、こんな感じ方もあるんだ、といった具合に。

 焦げた私を食べる? という表現には驚かされた。太陽と話せたら/これを尋ねてみたい、という感覚も面白い。

004

(夏の朝) 

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