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何よりもまず、詩人でありたい  詩人としてのシモーヌ・ヴェイユ

 現代詩手帖特集版(2011.12).シモーヌ・ヴェイユ――詩をもつこと.思潮社

 この特集版を買おうと思って大分で最も大きい2つの書店に行ったのだが、置いてなかったので、読まないままでいた。先日通販で取り寄せ、漸く読むことができた。

 この投稿タイトルの河津聖恵さんの論考を読み、とても励まされたので、ここに引用しつつ感想を記そうと思う。

          *          *          *

 私が初めてシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を読んだのは昨年の7月である(読後感をこのブログに投稿した)。そのとき、私はヴェイユの生き方(考え方)の勁さ、純粋さに強く惹かれた。

 「脱創造」「真空」「真」「善」「美」…という言葉とともに、紙背から、ヴェイユのひたむきな生が伝わってきた。考えに考えられ、言葉となった何かが息づいているようだった。

 今回河津さんの文章によって、そのときの感覚が、より具体的な考えとなって蘇ってきたように感じる。

 〈…か弱き他者のために、か弱き自身をあげて書く、そして言語の総体で他者に同苦する。または、希望を持つことが困難な時代に、ひとり絶望を、言語の次元で深く見つめた果てに、他者のためにひそかな希望を発火させる。そうした「利他性」は、いつの時代も「詩人」の定義の核にあるものではなかったか。

 私たちはときに、自分の本当の名前のように、あるいは人間の美しさそのものに感じ入るかのように、ある人々を「詩人」と呼ぶ。実体というよりもこの世の言語の支配を逃れえた、透明な影のような人々を。この世の水際で、「〈わたし〉と言いうる力」(「〈われ〉」『重力と恩寵』田辺保訳、筑摩書房)を滅ぼしつづける人々を。詩は、そのとき一瞬、空虚にかかる飛沫の虹であるだろう…〉

 〈詩とは、ヴェイユにとって、(いや誰しもにとって)世界から見すてられ声を上げられない、傷ついた他者のために書かれるものである。本物の詩の言葉は、祈るように他者の方へと注意をこらし、思考しつくした果てにつかみうる純白の高さから、降るように書かれるものだろう〉

 声なき無辜の民のために、人々の生を彩っていた、無数のちいさく煌く虹を思考するために、詩は書かれる。そのとき、私の預かり知らぬ他者が、あるいは人間の形すら纏っていない何かが、「この世の水際」から語りかけてくる。

 そのような、詩の行為を、河津さんは「非行為」と呼ぶ。

 〈「グリム」のあらましはこうだ。ひとりの妹が、白鳥に変えられた兄たちを救うために、六年間、黙ってアネモネの花からシャツを編み続ける(柔らかなアネモネから編むのはほとんど不可能である)。やがて妹は、アネモネのシャツを兄たちに投げる。すると兄たちは人間に戻り、妹もふたたび喋ることができるようになる――。この妹のけなげで困難な行為について、「この難しさのゆえに、六年の沈黙の純粋さを損ういかなる他の行動も入りこむ余地がないのだ。この世における唯一の力は純粋さである。」と少女ヴェイユは看破する。また、「無辜の女性の苦悩は、それ自体によってあがないの働きをするのだ」とも。そのような妹の行為は、まさに詩人の行為を象徴するのではないか。詩人は、詩という「無辜な苦悩」あるいは「非行為」を通し、この世の悲惨を「あがなう」存在ではないか。不器用な少女の指で、愛する他者のために柔らかな花弁から糸を紡ぎつづけるイメージは、まさに、詩を書くという、「非行為」を思い起こさせる〉

 「この世における唯一の力は純粋さである」。まさに、そう。

 ヴェイユその人の生こそ、この妹のようであったと、私も感じる。私を滅ぼす、無私である、さらに「〈わたし〉と言いうる力」さえ滅ぼそうとする純粋さに貫かれた生は。

 「何よりもまず、詩人でありたい」。しかしすでに、ずっと、彼女は詩を生きていた。

 私も、私自身がそのようでありたいと願う。それこそが私の生なのだと、漠と感じながら。

 何かしらあたたかな生命の力に促されて書かれているこの論考は、今を生きる私たちにとって、詩とは、詩人とは何かを、はっきりと指し示している。私は、次の言葉を深く心に刻もう。

 〈詩人とは誰か。それは、火を初めて使う人のように、言葉を使う人。人をつなげ、魂のゆたかさを生むために、言葉を使う人。今ここに生きる者たちの不幸を燃やし、より高い次元で艶やかな果実のように、意味と響きを輝かせる人。詩を書かない者に代わって、みずからの身を焼くようにして、愛の中ですべての言葉を焼き直してくれる人。誰しものプロメテとして、半透明な裸形で走りつづける人。そして、おびただしい死から唯一の生を生みだす人〉

004

(「みて、みて」 うちのガーベラ) 

 

 

 

 

 

 

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