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よろこび

 少々長いが、今朝の毎日新聞20面「幸せのかたち」より引用する。

          *          *          *

  〈「私たちの生きがいは、淳ちゃん美和ちゃんば1日でん長生きさすっことやけん。やけん、こん人たちが長生きするほど父ちゃん母ちゃんも長生きすっと。支えとるごたるばってん、こっどんから支えられとるとよ。ねっ。朝頭ん痛くても、面倒みるとにうろうろしよるうち忘れてね。風邪薬一服飲むとよおなってから。風邪も引かんしねえ。あははははは」

 そう言って豪快に笑うキヌエさんに「幸せとは?」と尋ねてみた。

 「幸せちゃ条件じゃないけん。お金があって、健康で、美人で、なんもかんもそろうとっても、幸せて感じ取りきらんやったら幸せやないもん。うちのごと貧乏たれで、障害児が2人おっても、幸せやなあと感謝して生きていけたら幸せやなかろうか。ねっ。やけん結局、生きとることが幸せよ。淳ちゃん美和ちゃんが生きとるけん幸せたもん。明日のこた分からん。そるけん、今、生きとるとが幸せよ。ねっ」

 2日後、キヌエさんから届いた手紙にはこう記されていた。

 《(腸捻転の手術前)白頭巾をかぶった淳一に母ちゃんはここにいるよといいますと、ニコッと笑いました。この子はどんなに熱があっても痛くても笑ってみせるのですよといいますと、ナースさん達が涙ぐまれました。苦い薬をのみながら、いいたいこともいえず、行きたい所にも行けず、笑顔をみせている二人。一所懸命生きています。二人を見習って私共夫婦も笑顔で生きてゆこうと子等に感謝です。私は二人の子等と一緒にいるのが一等幸せたいといいますが、姉たちは妹が強がりいいよる、かわいそうと思っていたそうです。でも近頃は口をそろえて、あんたが一番幸せたいねといいます》

 つないだ手の温もりただ感じること。気の許せる人と時を共にしたわいないおしゃべりに興じること。日の光を浴び、季節の風を感じること。子供たちの笑顔につられて笑うこと。私たちはそんなことどもの中に、実は生きる喜びを感じている。しかし競争社会で結果を追い求めて生きるうちいつしかそれを忘れてしまったのではないか。ただ、大きな不運に打ちのめされた時、心を支え、生きる意欲をとり戻させてくれるのは、そうした喜びの経験であり、その記憶である。

 人口が減少し、本来の豊かさや繁栄を人生の目標にできた時代が過ぎた今、虚しさや自暴自棄に陥ることなく充実した生を送るために私たちが拠り所とすべきものも、きっとそこにある〉

          *          *          *

 淳ちゃん美和ちゃんがキヌエさん夫婦に感じさせてくれる喜びは、ほんとうに、何ものにもかえがたいあたたかさに満ちていると思う。

 無辜の、あるいは無垢な人の持つ純粋であたたかなもの。生命から直にあふれてくるもの。それに触れる経験。

 そのよろこびの経験、記憶が私たちに生きる力を与え続けている。そしてだれもがそれを求めて生きている。芸術も、詩も、それを表現したがっている。

 キヌエさんには、そのよろこびがはっきりと自覚されている。

 「私は二人の子等と一緒にいるのが一等幸せたい」

 そのよろこび、経験の記憶を大切にしたいと、私はただただ思う。

005

(春の光り)

  

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