« 手で話す魅力 | トップページ | 詩を読む会(10) »

詩を読む会(9)

 12月24日(土)午後1時半から4時まで、詩を読みましょう(第3回) を開いた。参加者は9名。自作の詩、好きな詩を持ち寄り、読み、感想を述べ合った。

 3回目となると、だいぶ要領がつかめて来たように思う。発表者は、持ってきた作品を読み、その感想や作品にかかわるエピソードを話す。発表者が話し終わってすぐは、「誰から話を切り出すのかな」という感じでちょっと間があるのだが、話し合っていくうちにそれぞれの感じ方、価値観が表れ、それが相互に浸透していくのが分かる。

 詩の朗読会、詩の勉強会というより、詩を通しての語らいの場になってきているように思う。互いの感じ方、考え方、詩作について、もっと深く知りたいという雰囲気が出てきている。その雰囲気を大切にしたいと思う。

 今回も、数回に分けて、寄せられた詩と感想を紹介する。

      *      *      *

  「きく」

 よろこびが集ったよりも

 悲しみが集った方が

 しあわせに近いような気がする

 

 強いものが集ったよりも

 弱いものが集った方が

 真実に近いような気がする

 

 しあわせが集ったよりも

 ふしあわせが集った方が

 愛に近いような気がする

                 (星野富弘 風の旅)

 

 

  あきらめるよりも

  信じることにかけてみる思いを

  抱きしめていたい

               T‐BORAN【離したくない】

 別れることを決めたのに

 このフレーズを聞いたら涙が出た

 結局別れられないんだから、仕方ないね

 

 感想・・中学生の頃、星野富弘さんのこの詩を読んで、とても感銘を受けた。この詩にある感覚を大切にしたい。障害を持つことになって、この内容がより実感されるようになった。下の詩は自作。想いの断片。

 

  クリスマスの贈り物

 樹に巻かれたコード

 にぶら下がる

 幾つもの電球は

 「奇妙な果実」

 のようだ

 

 新緑のコードの色は

 ビリー・ホリデイの

 押し殺した声に

 よく呼応している

 ぶら下がる電球は

 どれもちっぽけで

 ひとつひとつは

 取るに足りない

 フィラメントが切れても

 すぐホームセンターで買い足せる

 高いものでもない

 

 ツリーを前に

 おまえはどこを歩いてきたのか

 おれはどこを歩いているのか

 

 見る側はいつも見る側だから

 目に焼きつけ

 写真をとり

 思い出にし

 描き

 口ずさむばかりだ

 手をくだしたのは

 おれじゃない

 と歌詞をつけたブルースを

 

 ひとつひとつの電球もさることながら

 電球とコードの総和もまた

 樹を縛り首にしている

 おれたちはそれを

 見ているだけだ

 そうだろ?

 クリスマスのシャンパンに酔い

 電球のひとつひとつが名付けられるのを

 拒んでいる

 

 汝の名

 「ホリデイ」は

 心穏やかなる安息日か

 

 点滅しはじめる電球を

 下の此岸から眺見上げ

 おれたちはうそぶき

 やがては通り過ぎてゆく

 

 首の朽ちた樹の枝が

 追いかけるように

 伸びてこないか 

 その不安を

 おれたちは

 決して口に出さない

 

  ※ リンチされた黒人の死体が、木に吊り下げられた様子を歌ったビリー・ホリデイの『奇妙な果実』は、一九三九年に発表された。

                (河野 俊一)

 

 感想・・私もイルミネーションが好きではない。美しいと感じない。自然のままの美しさが良い。「おれはどこを歩いているのか」、自らの生き方を問いかけている。

029

(中津の八面山)

« 手で話す魅力 | トップページ | 詩を読む会(10) »

詩を読む」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391404/43501545

この記事へのトラックバック一覧です: 詩を読む会(9):

« 手で話す魅力 | トップページ | 詩を読む会(10) »