« 幻の詩集 西原正春の青春と詩 | トップページ | 共感とは何か »

ろう者の世界

 木村晴美(2009).ろう者の世界.生活書院

 私は主に身体に障がいを持つ人のヘルパーをしている。この関わりのなかで、時々「健常者」という言葉を目に(耳に)する。その言葉に私は違和感を覚える。だから使わない。「障がい者」という言葉も同様である。そのように、強いて言葉で区分することに意味があるとは思えない。

 今年の4月に手話を習い始めた。9月までは入門講座で、10月から3月までは基礎講座となっている。基礎講座を終えたら手話サークルに入る予定。

 耳の不自由な人、聴覚障害者、という言葉にも違和感を覚える。本書でも言及されているように、手話を第一言語としている人(手話を使う人)という言い方のほうが分かりやすい。そも、聞こえないことを不自由と発想するのはなぜ?

 社会の側が、ある枠組をあたりまえとしている。しかし、それはあたりまえではなく、枠をもうけないのがあたりまえであると、私は思っている。援助、通訳を必要とする人がいれば、それを保障するのがあたりまえの世の中である。

 本書の記述のなかでいろいろな気づきがあったが、日本人の聴者は視線をあわせることに慣れていないという指摘に、心のなかで相槌を打った。

 〈あるコーダ(CODA)の談である。小学校に入学したときに、先生から「皆さん、あいさつをするときや人とお話しするときは目をあわせましょうね」と言われたという。小学一年生の彼女は、何をいまさらあたりまえのことをわざわざ話しているのかと不思議に思ったらしい〉p.116

 本当に、あたりまえのことなのに、視線をあわせない人が多い。私などは人と話すのが苦手な方なので、目をあわせないとあいさつできない。ある診察を受けたとき、医者から背を向けたまま話しをされたときには驚いた。私は軽んじられていると、そのとき感じた。

 そういう経験を、ろうの人たちは日常的にしているのだろうと、想像する。

 手話は普及しているのだろうか? 以前より普及しているとして、そこに聴者本位の発想は広まっていないだろうか? 本書を読んで、手話とはろう者の第一言語であって、その歴史、多様性をもっと知らなくては、と思った。

 顔の表情が大切なわけ、日本語対応手話の不自然さ、コミュニケーション・ストラテジー、通じることの大切さ、指差しの大切さ、などなど、いろんなことを学ばせてもらった。

013

(数日前のきれいな三日月)

 

 

 

« 幻の詩集 西原正春の青春と詩 | トップページ | 共感とは何か »

読書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391404/42829129

この記事へのトラックバック一覧です: ろう者の世界:

« 幻の詩集 西原正春の青春と詩 | トップページ | 共感とは何か »