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2011年11月

第33回 ルベック定期演奏会

 11月23日(祝)、サンシティー音楽院主催のギター演奏会を聴きに行った。

 とても楽しい時間を過ごせたように思う。

 子どもたち〝ルベック光の子〟による「ミッキーマウス・マーチ」、「聖者の行進」の演奏にはじまり、コンクール上位入賞者、教室の先生たち、高齢の方々、趣味で弾かれている方々等、いろんな人たちの演奏を聴くことができた。

 聴いていると、どなたの演奏からも優しい感じが伝わってくる。丁寧に、真摯に、楽しく、時にユーモアを交えて、その人の今が奏でられる。そのどれもが、一様に「優しい」と感じられる。

 それは音楽と共にあることのよろこびなのだろうと、私は想像する。音楽に込められた作曲者の思い、作曲者の傍らにありつづけた思い、それらを再現しようとする人たちのよろこびが合わさって、「優しさ」と感じられるのだろう。

 そこは静かに、そこは激しく、そこは一呼吸おいて。

 一つ一つの感情、その表れ方に、もっと寄り添い、付き合っていきたいと思った。

004

(丘を越えて♪) 

自由とは何か

 「自由」という言葉を至るところで耳にする。それで、ここに改めて記す。

 自由とは、自らの意志が自らの意志ではないと自覚されることを言う。

 それは自らの思い通りに事が運ぶというより、むしろその逆で、不測の私を生きることを言う。私などどこにも無い、その明るさを生きる。

 恩寵によると、信篤き人は言うだろうか。

 いや、「あなた」はそこにいるではないかと、人は言うだろうか。

 「その私」はここにいると、あなたには本当に見えているだろうか。

 げんに私は無いのにも拘らず。

 ここにこうしてある何かは、ただ何かとしか言えず、何かとしか言えないこの存在を、強いてそれと名付けたところで、何も生まれない。

 笑い声と、陽光の眩しさと、日々の労苦に、人は生をまっとうする。そこに共に在り、共によろこぶ何かが生命である。

 自由はここにある。どこにでも咲きほころんでいる。

009

(まぁ かわいい!)

共感とは何か

 介護技術の修得課程において、「傾聴」、「共感」という言葉に何度も出合う。その「共感」について考える。

 自分と似たような考えに接したときに、共感を抱く。それは私に宿る意思の在りかをよりよく知るための出合いであると感じる。

 それはとてもよく似たものである。あるいはまったく同じものであったとしても、私から出たものではないから、私の意思とは異質な何かである。同じ考えでも、文脈が違う。語られている場所が違う。

 だから傾聴に値する。できるかぎりそこにある何かに触れようとする。その何かは、よく見ると人間のかたちをしていない。さまざまなかたちの生命に宿る何かである。ひょっとするとそれは生命の枠を超えているかもしれない。だからこそ、それの何であるかを知ろうとする。

 一見自分の考えと相容れない考えに接した場合でも、「何か」の感触は、同じ考えのときとそう変わらないとも感じられる。

 その「何か」を知りたいからこそ、言葉を紡ぎ、あるいはなぞる(そのための介護ではある)。つまり、共感とは異質との出合いである。他者との出合いの場所、とも言える。

 「何か」と否応なく出合い続けることを、人生という。

 あるいは、自分の考えにすら、自分に理解しえない異質が潜んでいる。他者との出合いにより、その異質をふと感じる。

 「共感的関わり」とは、その「何か」を感じつづけることである。それが何かと突きとめたところで、さらに「何か」は生まれる。

 手放すことなく、「いっしょに考える」。ただ寄り添うことによって、介助の動きを通して。

Wannko

(いっしょに待つわん)

 

 

 

ろう者の世界

 木村晴美(2009).ろう者の世界.生活書院

 私は主に身体に障がいを持つ人のヘルパーをしている。この関わりのなかで、時々「健常者」という言葉を目に(耳に)する。その言葉に私は違和感を覚える。だから使わない。「障がい者」という言葉も同様である。そのように、強いて言葉で区分することに意味があるとは思えない。

 今年の4月に手話を習い始めた。9月までは入門講座で、10月から3月までは基礎講座となっている。基礎講座を終えたら手話サークルに入る予定。

 耳の不自由な人、聴覚障害者、という言葉にも違和感を覚える。本書でも言及されているように、手話を第一言語としている人(手話を使う人)という言い方のほうが分かりやすい。そも、聞こえないことを不自由と発想するのはなぜ?

 社会の側が、ある枠組をあたりまえとしている。しかし、それはあたりまえではなく、枠をもうけないのがあたりまえであると、私は思っている。援助、通訳を必要とする人がいれば、それを保障するのがあたりまえの世の中である。

 本書の記述のなかでいろいろな気づきがあったが、日本人の聴者は視線をあわせることに慣れていないという指摘に、心のなかで相槌を打った。

 〈あるコーダ(CODA)の談である。小学校に入学したときに、先生から「皆さん、あいさつをするときや人とお話しするときは目をあわせましょうね」と言われたという。小学一年生の彼女は、何をいまさらあたりまえのことをわざわざ話しているのかと不思議に思ったらしい〉p.116

 本当に、あたりまえのことなのに、視線をあわせない人が多い。私などは人と話すのが苦手な方なので、目をあわせないとあいさつできない。ある診察を受けたとき、医者から背を向けたまま話しをされたときには驚いた。私は軽んじられていると、そのとき感じた。

 そういう経験を、ろうの人たちは日常的にしているのだろうと、想像する。

 手話は普及しているのだろうか? 以前より普及しているとして、そこに聴者本位の発想は広まっていないだろうか? 本書を読んで、手話とはろう者の第一言語であって、その歴史、多様性をもっと知らなくては、と思った。

 顔の表情が大切なわけ、日本語対応手話の不自然さ、コミュニケーション・ストラテジー、通じることの大切さ、指差しの大切さ、などなど、いろんなことを学ばせてもらった。

013

(数日前のきれいな三日月)

 

 

 

幻の詩集 西原正春の青春と詩

 草倉哲夫(2011).幻の詩集 西原正春の青春と詩.朝倉書林 p.122-125 を引用する。

 このような、詩の言葉を流れている何かしらあたたかなものを、私は大切にしたい。

      *      *      *

 ついに正春に召集令が来た。京都の第一芸文社より第一詩集『朝の歌』を上梓しようと入稿までした春のことであった「神々の供えに」のなかでは、自分の生涯を無為であったと表現しているが、私にはそうは思われない。詩集の表題作になるはずだった、この詩にも正春の一生を通じ流れていたあたたかいものが溢れている。プロレタリア文学運動は瓦解したが、その底流は、まさにマグマとして流れているのある。彼は、どんなに貧しく、苦しい生活のなかにあっても、弱い人のことを忘れることはなかった。彼がプロレタリア文学運動に入ったのも、テロに屈しなかったのも、単なるイデオロギーの問題ではない。その底に流れている心根があったからである。

 

 朝の歌

 

 霜の厳しい朝。

 

 いつもの露地を折れて又いくつか折れて

 踏切を越へ橋を渡つて私は勤めにゆく

 

 途に鼻緒の切れた女の兒の下駄が棄ててあつた

 

 盲啞学校の前を通るとき

 貧しいみなりに汚れた一團の少年たちと逢つた

 少年たちは跣足だつた

 (如何にして少年たちは跣足なのであつたらう)

 少年たちはいちやうに呻きに似た聲で

 喜悦を交はしてゐた

 少年たちは

 天を指し

 今翔けすぎた鵬翼のあとを追ひ

 崇高な魂の叫びを

 あげてゐるのだつた

 金属の鳥の

 いさましい羽音が少年たちに聞へるのだろうか

 

 うつむいてくらした私の少年の

 貧しい日がかへつて来たやうに

 

 彼等少年のよろこびが胸に觸れて来た

 

 虹をくぐれ啞の少年たち

 虹をくぐれ盲の少年たち

 しやわせになるやうに

 

 私は切なく胸につゝんだ感動の痛さに

 美しい日本の空を

 仰ぐのであつた

 

 こんな眼で少年たちを見ていたおとながどれだけ当時の日本にいたであろうか。当時、彼らは非国民であった。お国の役に立たないからというのである。

007

(黄色い薔薇と花瓶)

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