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2011年10月

詩を読む会(8)

 読まれた詩を続けて紹介… (「詩を読む会」第3回は、12月24日午後に開催します)

 

 高校工業科のクラスの生徒たちのことを思って書かれた詩。先生と生徒との関係性が見えてきます。

 

      35のピース

                               木村 永遠

     東日本で大津波が人々を襲って

  思い出のアルバムも流されてしまったとき

      おれたちはそんなことも知らず

         大分川の土手を走っていた

 

     一緒に走ることも出来ない位悩んだ君が

          いつのまにかいなくなったとき

         おれたちはそんなことも知らず

         部活やバイトに汗を流していた

           35人になったことも知らず

 

              3Me2が始まった日

    おれたちは桜舞うグランドに集まった

 久し振りにおれを見つめるあいつの笑顔に

          2倍の笑顔で返したものだ

 

                  35のピース

                35の欠片たち

            35の未熟なおれたち

 

                 35のピース

                  35の平和

         35の平和を愛するおれたち

 

   ガサツで自分勝手な野郎ばかりの3Me2

 ひとつのパズルさえ出来上がることが無かった

                35の欠片たち

 

      絆というパズルだけは完成させたい

  「一緒に卒業しよう」と誓い合ったクラス目標

 

                 35のピース

      *      *      *

 猫との出会い、それからの愛情を辿った詩。だれかにとってだれかはなぜ大切なのかと考えさせられます。 

   猫がいれば

                              みえみえ

 さむくて 風がつめたい夜

 君は 突然僕のなかに飛び込んできた

 僕は君を抱き上げ、胸に包んだ

 あの日 救いを求めていたのは

 実は 僕のほうだったのかもしれない

 

 君の体はつめたくて、お腹も空かせていたけれど

 ふたりで寄り添いあえば

 ごはんを分け合えば

 こんなにも あたたかい

 

 小さいけど あたたかい部屋がある

 本もあるし 音楽もある

 ただ それだけでいいと思っていたけど

 

 本を読む傍らで 君は僕の体にぴったりと

 くっつけてきて 寝息をたてる

 時間を共有すること こんなにも愛おしいなんて!

 

 大事な本を 爪でボロボロにされた!

 君のわがまま やんちゃぶり

 不思議と おこる気にもなれないんだ!

 ゆるせる自分を発見したよ

 

 小さいけれど あたたかい部屋がある

 ぜいたくはできないけど

 その日 なんとか暮らしていけるだけの糧はある

 本も 音楽もある

 あとは

 猫がいれば いい!

 

 あの日、救いを求めていたのは

 実は 僕のほうだったのかも しれない

 僕はもう 君なしでは生きられない

 

 君は時おり

 うらめしそうに 窓の外を眺めるけど

 まさか 一人の自由に戻りたいなんて 思ってるの?

 今まで 一人で自由に生きてきたんだもんね

 こんな さむい中でも 一人で・・

 

 みゃあ~

 ごはんをくれと 君は大声で鳴く

 やっぱり 必要だよね? 僕のこと!

 お腹いっぱいになると

 君は 僕の着ていないセーターの上で

 しあわせそうに眠っていた。

 

 いつまでも この寝顔をみれますように・・

 なにもいらないけれど

 猫の笑顔があれば それで いい!

 あの日 出会ってくれて ありがとう

5

(大分川土手の香雲)

詩を読む会(7)

 持ち寄り、読まれた作品の紹介の続き…

 

 20代女性の作品。とても自由で、素直な詩で、読む人の心に自然に入ってくる。

 

   マジ恋

                              前田 一美

 君が笑えるその日迄

 この恋心が消える迄

 君の居場所で居たい

 無理なんてしてないし

 意地なんかでもない

 ただ又会いたいんだ

 楽しそうに笑う君に

 根拠のない希望でも

 君は戻ると信じてる

 そう思えたその瞬間

 私はマジ恋してるよ

      *      *      *

 頸椎を損傷され、4年の病院生活を経て、自宅で詩をつくるようになった方の作品。若く、ストレートな表現。心が心に入り込んでくる。

 

   落ちこぼれ

                              河野 龍児

 昔 誰かが言っていた

 障害〔車椅子〕を克服した人は

 その椅子に乗ったまま

 木に登ったり

 水中を泳いだりする夢を見ると

 

 そう 僕は落ちこぼれ

 残念ながら

 そんな不気味な夢は一度も見たことがない

 

 そう僕は落ちこぼれ

 夢の中では足を引摺ってでも

 地面を這い傷付き泥だらけになってでも

 自分の力で泳いでいる

 

 もしも…

 君が言うことが事実であるなら

 そう 僕は完全な落ちこぼれさ

 

 だけど僕は構わない

 たとえ君に軽蔑されたとしても

 たとえ困難に足蹴にされたとしても

 何もかも諦め見捨ててしまうくらいなら

 いつまでも

 落ちこぼれのままで這い続けて行くよ

      *      *      *

 詩人、河津聖恵さんの作品。今年の7月に、東北朝鮮初中級学校を訪ね、子どもたちと詩を朗読された後、石巻の瓦礫の原を歩き、深く感じられたことを綴られた詩。誠実な思考と、柔らかい感性にみちています。詩は河津さんのブログに掲載されていますので、そちらをご覧ください。

   石巻(二)     河津 聖恵

 http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/10/post-27be.html

064

(朝の松島 2011.6.5)

詩を読む会(6)

 今日、詩を読む会(第2回)を開いた。1つずつの詩に時間をかけて話し合い、参加者のいろんな考えを知ることができた。

 詩と言うと、人はどうもある枠を想像し、その枠に対して「私には詩というものは分からない」「詩は苦手で」という考えを持たれるらしい。しかし、本来詩はどういうものでもいい。

 「これが私の詩です」、と言って日記を指しても、一枚の写真を見せてもいい。それがその人の言葉、心であるなら、それはその人の生き方である。

 優しい人のそれは優しく、暖かな人のそれは暖かだ。

 だから、誰もが自然に対話できる場をもうけようと、「詩を読む会」を開くことにした。

 今回も、読まれた作品を紹介しよう。

      *      *      *

   あなたへ

                              大野 悠

 「きれいね」と言われたと

 いとけない喜びを伝えるあなた

 夕映えの窓辺の紅葉が揺れている

 

 傘寿を過ぎた体はほっそりと

 痛みに満ちたベッドの日々を

 野に燃える陽炎のように

 優しい笑顔で越えて来たあなた

 

 若い日の豊かな夢は

 こもごもの思いを置いて薄れて行き

 今はただ和やかな仏のようにと

 残された思いにすがっている

 

 長い旅、辛い旅だったけれど

 突然の輝く海の恩寵に

 涙して祈ったこともあったよな

 

 これまで巡った旅路のように

 これからも手を取り合って歩いて行けば

 きっとまた美しい日に出会うだろう

 

 その日まで

 私はあなたのそばにいる

 私はあなたのそばにいる

009

(朝の海)

 

スロー ストローク

えいっ

上へ 遠くへ

時を超えて――

 

声を聞きたいから

ずっと聞いていたいから

夕餉の匂いのするそれを

 

時が止まる

すべての思いたちにあいさつするために

星々をめぐるミツバチのように

光の角度を知りつくした彫像のように

静かに温もりつづけるために

 

そこここで笑いがうまれ

緑の海がたゆたう

 

えいっ

芯の熱を感じていたいから

006

(仄紅い夕刻)

禅に学ぶ

 昨日、視覚障がいの方の支援にて、「別府南無の会」に同行した。

 十月の講師は臨済宗妙心寺派法泉寺住職の上野浩道氏。演題は「禅に学ぶ」。

 ご自身の修行体験を話された。

 その中の言葉を紹介しておこう。

      *      *      *

 〈岩もあり木の根もあれどさらさらと たださらさらと水の流るる

 大空を雲はしずかに流れゆく しずかにわれも生くべかりけり〉 雲水「行雲流水」

 〈なぜあの人がなくなって私はなぜ生きているのか。その究極の偶然性を受けいれるほかない。その偶然性において人びとはよりそって生きていくしかないのだ〉 山折哲雄

 〈人の世にあるとき求める所意のごとくならず〉 源信

 〈地しんは信(まこと)に大変に候

 野僧草 庵は何事もなく

 親るい中死人もなくめで度存じ候

 うちつけにしなばしなずにながらえて

 かかるうきめを見るがはびしさ

 しかし災難に逢時節には災難に遭うがよく候

 死ぬ時節には死ぬがよく候

 是はこれ災難をのがるる妙法にて候

                 かしこ

                 良寛〉 良寛和尚・三条地震見舞状

      *      *      *

 吾唯足知という、小欲少悩という、simple elegance という。

 思うに、この世にあること、そこで精いっぱい生きることそのものが修行なのであって、お寺に入って禅を学ぶというのは、ひどく遠回りな感じがする。

 とはいえ、しずかに考え、耐えた先人の生に、私たちは畏敬を持って触れる。吾ことのように。

 すべてを受けいれる、いまここの境遇を生きる以外に、私たちは何をなしえよう。

006_2

(みんな元気です)

傍らに

 波に消えたのは遥かな時空に潜むため

 私はたちまちに拡がったのだ

 風の吹く家々の空洞や

 芽生えた草木の裡にだけでなく

 島のように積み上げられた物たちの影にも

 透明な大気の渦の中にも

 ま新しい住まいのわずかな庇にも

 おまえを見守るためでなく

 おまえと共に在るために

 ああ そうだ 無くなったのではない

 私は与えられた生に在るのではない

 人々が言うように心の中に生きているのでもない

 おまえに見えようと見えまいと

 げんにこの日差しの中に輪舞しているのだ

 未来や希望を想うおまえの言葉の先にも

 畑を流れる水の層にも

 おまえよ どうか私の傍らに居ておくれ

007

(農作業倉庫)

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