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シモーヌ・ヴェイユ

 フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ/上野直子訳(2009).シモーヌ・ヴェイユ.岩波書店

 今年の6月に詩集『ハッキョへの坂』を読み、それまで名前しか知らなかったシモーヌ・ヴェイユへの興味を掻き立てられた。それから訳書『シモーヌ・ヴェイユの哲学』、さらにヴェイユの『重力と恩寵』(訳書と原書)を読み、その考え方に共感を覚えた。

 そして、今回ヴェイユの生き方を辿った書を読み、共感が深まった。

 『重力と恩寵』に表された言葉は、ヴェイユの生き方そのものであった。

 彼女は自分の考えをそのまま実行に移す人だった。その結果がどうなるかを予測することなく、善いと感じることを行う。善いこととは、貧しい人々、労働する人々と共にあること、そこから社会を変えていくことである。理屈ではなく、そうせざるを得ないからそうした。

 純粋であることが、無私である。

 そして自らを砕き、苛みつづける。

 神は自ら退くことでこの世を創造した、あるいは、不在の神を愛する、という考え方はわかりやすい。実感として理解できる。

 私は伝記を読むことはほとんどない。だれがどこで何をしたというのが、あまり頭に入って来ないから。だが、本書は割とスムーズに読むことができた。

 ヴェイユの生き方に励まされる。

 境遇はまったく違うけれど、私も彼女のようでありたい。私は私の考えを生きたい。

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(近所の花)

 

 

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コメント

お久しぶりです。
私は未読なのでぜひ読んでみたいと思います。
無私を目ざすというのは、人間がより人間的になることだと思います。

お久しぶりです。
本書にもちょっと登場しますが、ヴェイユの同級生のシモーヌ・ペトルマンの『詳伝シモーヌ・ヴェイユ』も良いそうですね。(未読です)
本当に、「無私を目ざすというのは、人間がより人間的になること」ですね。私は、そうであると感じられる時に、心がより開放されると感じます。また、いろんな詩を読みながら、そのことをもっともっと見極めてみたいと思っています。言葉に宿る意思とは、本当はだれの(何ものの)意思なのか、と感じつつ。

詩は、「言葉に宿る意思が、本当はだれの(何ものの)意思なのか」に分け入る行為なのかもしれない、とvase jauneさんのコメントを読み、また一つ詩についての考えが深まりました。

ペトルマンの評伝は読んでいます。二巻本ですが、大変参考になりました。ヴェイユが「何よりも詩人でありたい」と語っていたことを知り、感動しました。

私はまだ自分なりの詩が書けていないのですが、言葉に宿る意思のありかを感じようとするところから、詩の言葉を見つけていこうと思っています。生命をもった言葉が訪れるまで。

ペトルマンの評伝も、読んでみたいと思います。

いつも丁寧なコメントをありがとうございます。

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