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重力と恩寵(2)

 シモーヌ・ヴェーユ(渡辺義愛訳).重力と恩寵.春秋社(2009)

 

 〈われわれは自分が放棄するものしか所有しない。放棄しないものは手から逸れていく〉 (脱創造)

 想起する。それは私が思いついたのではなく、考え(言葉)が事象の側からやって来たに過ぎない。

 それは対話のためにここに来た、一つの他者である。

 〈不可能性は超本性(超自然)的なるものへの扉である。人はそれを叩くことしかできない。あけるのは他の存在である〉 (不可能なこと)

 不可能な選択を余儀なくされる時、選ぶのは私ではない。形式上「私が決める」時、ほんとうに決めるのは超自然な何かである。

 ある作品に内在するもの。それは心に浸透し、あるいは何かを穿ち、超自然のほうへと私たちを促す。

 〈神への信仰のなかに自分の生命を置く人は、信仰を失うことがありうる。しかし、神自身のうちに生命を置く人は、けっして生命を失わないであろう。どうしても触れることのできないもののなかに生命を置くこと。それは不可能なことである。必要なのはそのことだ〉 (愛すべきものは不在である)

 清宮質文は「絵は描く人それぞれのオバケ」と言った。モナリザはダ・ヴィンチのオバケである、私もオバケを描こうとしていると。 (このブログの「美術」カテゴリーを参照)

 表現し、なお私の手から零れ落ちるもの。その表現しえない何かを描こうとすることが、何より必要なことである。

 〈神が私に存在を与えたのは、私がそれを神に返すためである〉 (消え去ること)

 何が見、何が感じ、何が考えるのか――私ではない何か。

 私は絶えず私を神に返そうとする。そうしなければ、存在できない気がするから。返そうとするのは、「真空」でありたいと願う私の生命だろう。

 「真空」による「恩寵」を、生命は欲している。望みさえせずに、しかし生の糧として。

006

(いっしょだといいね)

 

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