« INTO ETERNITY 100,000年後の安全 | トップページ | 重力と恩寵 »

シモーヌ・ヴェイユの哲学(2)

 ミクロス・ヴェトー著/今村純子訳『シモーヌ・ヴェイユの哲学』(慶應義塾大学出版会)を読みながら。

 〈注意するとは、開かれてあることであり、柔軟であることである。「何も探し求めてはならない。ただ、思考のうちに入り込んでくる対象を、その赤裸々な真理において受け入れる準備ができていなければならない」〉p.93

 私はどうなってもかまわない。ただ私を過る思念に寄り添い、そこに生来する何かとともにある。

 〈注意の本質は、注意によってわれわれが何かを獲得することではなく、精神から自我の諸目標を取り除くことで、われわれを外側へ向かわせる作用であることにある〉p.95

 私が私ではないこと、無であること、必然によって考える(生きる)こと、自由であること、他者の苦しみに応答すること。

 〈欲望を「絶対善」へ向かわせるために、「偽りの善」から欲望を引き離すことを語っている箇所ほど、シモーヌ・ヴェイユの表現が美しく印象深いところはない。だが「絶対善」とは、いったい何なのだろうか。そのようなものは存在するのであろうか。

  「だが、そのような善が存在するのかと問う人があるかもしれない。かまわないではないか。この世の事物は存在する。だが、それらは善ではない。善が現存在しようとしまいと、善 以外に善はないのである。また、この善とは何なのか。……善とは、ただその名をじっと考え るならば、その名だけで、この世のものが善ではないという確信をわたくしに与えてくれるも のなのだ。……存在しないかもしれないもののために、存在するものを捨てるのは無意味な ことではないだろうか。いや、そんなことは全くない。存在するものが善ではなく、存在しない かもしれないものが善である場合には」〉 p.110

 存在しないかもしれないもののために生きる。それは無意味なのではなく、ある呼びかけに促されてある、充溢である。

 〈彼女はこう言うであろう。われわれは行為の動機を自分の外に移さなければならない。つまり、神への従順を唯一の「動機」として採択しなければならない。それが「行為を永遠へと運ぶ」のである。この文脈において、動機という概念の構造そのものが逆転される。動機は未来へ向かう熱望、つまり自我の目標へ向かう熱望ではなく、過去、つまり神の意志との一致となるのである〉p.143

 私が動機をもつのではない。事象に私が出合うのである。どちらが先というのでもない、真の間主観性による。

 〈美は、不幸と同じく、揺るがない何ものかに人間を直面させる。「美しいもの――たとえば、海や空など――のうちには、身体の苦痛と同様にどうにも揺るがないものがある。同様に、どうにも揺るがないもの。知性が浸透しえないもの。わたくしとは別のものであって現実に存在するもの」〉p.219

 どうにも揺るがないもの。そこにある何かとは何か。私たちは、それに魅入られ、また照射され、日々を営む。

 

 河津聖恵さんの詩を読み、感じるものがあったので、シモーヌ・ヴェイユを読んでみようと図書館へ。そこで偶然出合ったのがこの本で、頁を開いてすぐ、言葉を身近に感じた。読んだ限りで、シモーヌ・ヴェイユとは美しい魂であると想像された。

 今この時代に、人はどうあるべきなのかを、考えさせられる本でもある。

 シモーヌ・ヴェイユを、私はまだ読んだことがない。

 いっしょに数冊借りてきたので、これから読もう。

031

(霧の向こう側が海 旧北上川 2011.6.3 17:00)

 

 

 

 

 

« INTO ETERNITY 100,000年後の安全 | トップページ | 重力と恩寵 »

読書」カテゴリの記事

コメント

シモーヌ・ヴェイユを読まれているところなんですね。私の詩集がきっかけとなったなんて、すごく光栄です。ミクロス・ヴェトーの本は、手に入れたのですが、未読です。今度読んでみます。引用された箇所は、すべて美しいはりつめた精神を感じさせ、ヴェイユからヴェトー、そしてvasa jauneとの魂の共鳴、「善」への志向の精神の引き継ぎを、とても嬉しく思いました。「善の底の知れない深さ」「悪のうすっぺらさ」というヴェイユの言葉を思い出しました。つねに立ち戻るべき思想家だとあらためて感じます。

シモーヌ・ヴェイユは名前だけ知っていたのですが、実際に読んでみると、思考の素直さ、深さに励まされるものを感じます。理解できないところもあり、ゆっくりと読み進めています。

心の貧しい人は幸いである、とだれかが言っていたような…。ヴェイユは「真空」と呼んでいますね。「注意するとは、開かれてあること」というヴェトーの言葉には説得力があります。

河津さんの詩集に出合って、私などもこうやって、また他の深い感性に出合うことができたわけで、とても感謝しています。

私の詩集がきっかけになって、ヴェイユに出会われたなんて、本当に嬉しいです!!

ありがとうございます。
いま、『神を待ちのぞむ』と『重力と恩寵』を読んでいます。
訳文ですが、息づかいが伝わってきて、言葉が魂であると、感じられます。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391404/40715216

この記事へのトラックバック一覧です: シモーヌ・ヴェイユの哲学(2):

« INTO ETERNITY 100,000年後の安全 | トップページ | 重力と恩寵 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ