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これからも私らしく生きたいの

 NHK「ある少女の選択~18歳”いのち”のメール」(再放送 2011.7.22. 午後10時)

 

 「命は長さではないと思うのよ。どう生きていくかが問題だと思う」

 「どう生きていくか」、つまり華子さんは生きようとしていた。しかし、死を受け入れざるを得なかった。ここで大切なことは、死を選択していないということ。

 延命を選択しなかった、と番組は言っているが、彼女は「ふつうにかぞく三人でくらす」としか言っていない。それは結果として人工透析による延命を拒否したことであるけれど、本人は「延命しません」とは口にしていない(番組を視るかぎり)。死は、選択できないのだ。必然的に。

 自殺に近いように見える。でも決して死を望んでいない。

 彼女の言う「生きていく」とは何か。

 番組の冒頭。「死は怖くないの?」と問われて、

 「天国はおつかれ様のばしょでもあるから。おわりだけどおわりじゃない。こころがあるからこわくないんです」と答える。

 「生きていく」とは。この身体の継続ではなく、もう少し広いところで考えられている。「おわりだけどおわりじゃない」、身体としてはおわりだけれど、こころとしてはおわりじゃない。こころはつながっている。支えてくれた人たちと、野口先生と、お父さんやお母さんと、まだ見ぬだれかと。

 「私は自分で決めたのだから」

 「自分で決めた」というより、そうするしかないと、彼女には感じられたのだと思う。

 「私の価値観を入れちゃいけないと思うんで。なので3人で決めていただきたい」と医師は言う。

 翌日の夜。「生きていると、きっとなんかいいこともあるって」「死んだら終わりだよ」と言うお父さんに、「これからも私らしく生きたいの」と答える。

 「私らしく生きたい」

 彼女は、これからも生きつづける。

 ただ、お父さんは物わかりが良すぎるように映った。たとえば、「お父さんは、おまえに生きていてほしい。だから、私のために、もう少し生きてくれないか」とは言えなかっただろうか。

 あるいは、彼女にとっては、「まわりの人の思いのために生きる」という選択はなかっただろうか。

 人の生死は、医療技術に左右されている。どうじに、人は自己選択をせまられる。

 とても難しい選択だ。自分で決めても、まわりに気を遣って選ぶこともあるだろう。気兼ねは誤解、ということもあるだろう。

 7歳で亡くなった野口先生の娘さん(ようこさん)は、野口先生の中で生きつづけているという。ようこさんの絵、花にかこまれた少女。その交流の世界にはげまされる。

 生きていく、これからも私らしく。

010

(雲の向こうの光)

 

 

 

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