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INTO ETERNITY 100,000年後の安全

 マイケル・マドセン監督作品。

 

 10万年後を想定することは可能だろうか?

 (今から10万年前は、ヨーロッパではネアンデルタール人が生きていたと言われる)

 氷河期が来て、人類は絶滅し、まったく別の生命体による文明が生まれているかもしれない。予測は不可能である。

 フィンランドに、高レベル放射能廃棄物の永久地層処分場が建設中だという。硬い岩盤を掘り進み、地下500mに廃棄物を埋め、封鎖される。それは10万年間保存されるよう設計されている。

 しかし、未来の誰かがそれを開けるかもしれない。開けないようにというメッセージは伝わるだろうか。記号や言語は理解されるだろうか。

 (私は一瞬「猿の惑星」というSF映画の情景を想起する)

 場所も特定できないように、まったく忘れ去られたらよい? 偶然に掘削される可能性は? 開けられないことを願って、計画を実行していく以外にない。

 そのように、私たちの文明は無責任で危険なのだと、感じさせられる。

 この映画自体は、多大なエネルギーを必要とする世界の是非も問うている。想像することのできない未来に危険物を捨て置く、そういうことをしない世界を創る以外に、私たちに何ができるだろう。

 いつの間にか経済システムは肥大し、物質を作り流通させるエネルギーが生産され、労働が奨励された。それは望まれた世界だったろうか。

 本当は、私たちは、何がしたいのか。

 

 洞は白い闇に包まれる。

 不可知の闇。 

 この映画は、触知しえない何かへの問いかけのように、私には感じられた。

007

(赤蜻蛉が飛びはじめました) 

 

 

 

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映画・ドラマ」カテゴリの記事

コメント

「本当は、私たちは、何がしたいのか。」
鋭い問いかけだと思います。
ひとの「欲望」とは「そのひと自身」である、という話をきいたことがあります。

つねに私たちは「何をすべきか」と、意識の前方への問いかけばかりしてきた気がします。原発にまで至った科学信仰もその底の浅い自省や自問から生まれたのではないでしょうか。

そうではなく、「何がしたいか」。自分自身の「白い闇」と向きあう時が来たのかもしれません。

この映画のさまざまなシーンを想起している時に、自然とこの言葉が出てきました。映画が、そう言っているのでしょうね。

辺見さんの引用されていたヴェイユの言葉、「低い動機には、高い動機よりも多くのエネルギーが含まれている。問題はここだ」を思い出します。
低い動機の方が行動に結びつきやすい、ということです。つづけてヴェイユは、低い動機(極端に言えば、食べるためとか)に含まれるエネルギーを高い動機にどうやって移すか? と問いを投げかけています。
そのためには、おっしゃるように、「何がしたいか」と、自分自身の闇に向き合い続けることが必要だと思います。

100,000年後。
とりあえず私が生きてないことは確実ですねえ~^^;
てかゼロがいっぱいありすぎて何年後なのか
最初読めませんでした(笑)

明日息子と一緒に見に行きます。

24日の映画もお勧めですよ。
見に行きませんか?
http://earthdayoita2.junglekouen.com/e434003.html

シネマ5で「100,000年後の安全」を観たとき、観客はわずかに5人、ちょっと驚きました。とても良い映画ですけれど。

お勧めの映画はビルマのお話しですね。
観に行きます。

見てきました!
流石に祝日だったせいか
20人はいましたよ~。

「放射性物質汚泥を肥料流通」
という恐ろしい話を聞きました。
詳細はこちら↓
http://wstxh336.junglekouen.com/e435478.html#comments

情報提供ありがとうございます。
流通させるため、稼働させるための「安全」基準。
倫理、生命よりお金もうけ、という発想ですね。

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