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Na Putu サラエボ、希望の街角

 「サラエボ、希望の街角」2010年、ヤスミラ・ジュバニッチ監督作品。

 (原題 Na Putu は、~の途中、という意味だそうです)

 主人公の女性ルナの愛は、世俗的で、家族、子どもを大事にする。一方、恋人アマルの愛は? 戦争の精神的傷から立ち直れないでいるためか、飲酒が原因で停職処分になった後、かつての戦友のイスラム原理主義者たちのキャンプ(平和で友愛に満ちているが、形式には厳格)に参加することになり、信仰を深くすることになる。愛以前に、精神的な支えが必要だったのだろう。その彼をルナは理解しようとするが、どうしても違和を感じる。だから、人工授精してまで彼の子を産みたいと思っていたのに、それはやめることにした。子どもは自然にできたけれど、彼とは別れる、彼女がそう決意したところで映画は終わる。

 彼女の愛も、彼の精神も、途上なのだ、そしておそらくこの地における一切が、再生への道の。

 その道を辿ること、再生への過程を、彼女なりに、彼なりになぞることが大切なのだと、映画は言っている。

 宗教(イスラム原理主義)がどうというのではなく、西洋的生き方が良いと言うのでもなく、その人なりの感じ方があり、今はその感じ方を大切にする、それが戦争の傷を癒すことであり、自らを再創造することである。敵対することも、強いて寛容になる必要もない、現に目の前にある感情や風景と向き合えばよい。

 かつて住んでいた家を訪れること、そこで涙し、見知らぬ少女の頭をなでること、踊り賑わう人々の横を静かに車滑らせること、女友達とふざけ語りあうこと、離着陸の時に赤い屋根のサラエボの町の優しさを胸に刻むこと。良い人間になりたいと願い、指導者の言葉をかみしめ、自分の内面を見つめること、見つめることで自分のなかに生まれる感情につき合うこと。

 行ったことはないが、サラエボは美しい町なのだろう。笑いに満ち、楽しい町なのだろう。風景や街の雰囲気を通して、そういうことも感じさせてくれる、とても良い映画だった。

004

(こちらは日本の紫陽花)

 

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