« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月

生命そのもの

 河津聖恵さんの詩集『ハッキョへの坂』を読み、とても共感するものがあったので、ブログ「詩空間」にコメントをさせていただいた。そのご返答も、詩同様に、とても適切で丁寧だった。それで、その内容に関して、少し考えたことを記してみる。

 詩空間 http://reliance.blog.eonet.jp/ (とても良いブログです)

 数多の思いを感受したくて私たちは生きている。

 なぜ私たちは他者へと向かうのか。共感したいからだけではなく、そこで未知に出会い、違和を感じ、翻弄されたいから。おそらくはそれが生きることだから。

 私は私が私でないと感じられる瞬間にたしかなよろこびを感じる。そのときに出会っているのは「生命そのもの」(プルーストの小説に出てきた言葉 : la vie elle-même)と感じられる。

 河津さんは同じプルーストの言葉「無意志的記憶」を思い出され、その瞬間を「無意志的状態」とおっしゃった。その受動を経て、私たちにひらかれるのは「生命そのもの」とも呼ぶべきもの、とも。

 私が私でないとは、まさに「無意志的状態」である。その受動を経て、私たちに「生命そのもの」はひらかれる、そのように私も実感する。

 私は私でないと感じるのは、そのように感じたいから、そのように感じたいのは、私は他者でありたいと願うから、かもしれない(私は私ではない=私はすべてである)。

 「一粒の麦が地に落ちて、死ななければそのままだが、死ねば多くの実をもたらすだろう」という聖書の一節も、同じことを言っている。私の死とは、私が私でないすべてになることを言う。

 JE est un autre.(私とは一つの他者である) という A.ランボーの言葉も、同じ様なことを言っている。それは西田幾多郎の「主客合一」とはどう違うか。

 あるキリスト者は「自己中心性から少しでも解放されるために祈る」と言った。「死とは生である」という言い方も同様である。

 『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)に出てくるゾシマ長老の兄マルケールの少年の頃のエピソード(死の直前の悟り)にも、同じ考えが感じとられる。

 私が私でないと感じられる、それがよろこびであるのは、そのように、私はすべてであると感じられるからである。

 「生命そのもの」とは、そのように生きる(思考する)私たちを、そのように生かそうとしている何かである。

 私は、それを言葉で表現したい。

002

(鶴見岳と日矢)

 

 

 

蝶の舌 La Lengua de las Meriposas

 1999年スペイン映画、ホセ・ルイス・クエルダ監督作品。

 主人公の少年モンチョの父親は共和派(人民戦線)を支持していたが、対立する勢力(フランコ将軍の右派)が町を占領すると(スペイン内戦の始まり)、主義より身を守ろうとする妻に同調し、共和派ではないふりをする。町の多くの人々と同じように。

 モンチョの大好きだった先生グレゴリオは、共和派ゆえに捉えられ、トラックに載せられる。広場を歩かされる共和派の虜囚に対し、民衆は「アテオ(不信心者)」「ロッソ(アカ)」「裏切り者」と罵声を浴びせる。モンチョの母親も(強く)、父親も(悲しげに)。自らの意に反して叫ぶ人の心はどれだけ引き裂かれただろう。モンチョも、母親から「あなたも言うのよ」と促され、先生の目を見て「アテオ」「ロッソ」と大きく叫ぶ。先生は何も言わずに見つめる。トラックが広場を出る。出るときに門の石積を崩すと、その石を拾った子どもたちが、やはり「アテオ」「ロッソ」と叫びながらトラックの虜囚たちに石を投げる。モンチョも、「アテオ」「ロッソ」、そして「ティロノリンコ(先生が教えてくれた求愛に蘭の花を運ぶ鳥の名)」「蝶の舌(先生に教えてもらった、顕微鏡で見るはずだった蝶の舌)」と叫ぶ。おそらく、「本当はあなたが好きなのだ」と心の中で叫びながら。(そこで映画は終わる)

 知ることのよろこび、考えることの大切さ、感情表現の素晴らしさを、先生は教えてくれた。先生は引退の日に、子どもたちに「自由に飛び立ちなさい」と言った。何かに縛られることなく、人は自由に生きるものだと。ある日、「人が死ぬとどうなるの?」と聞くモンチョに、先生は「あの世に地獄はない。地獄は人間が作り出すもの」と言った。「これは誰にも言ってはいけないよ」とも。

 その地獄に先生は巻き込まれる。しかし自由である。

 人の優しさ、悲しみを鮮明に画いている。光織り成す美しい映像がそっと寄り添う。いつまでも心に残る映画である。

028_2

(蝶たち来ないかな) 

 

 

雫の夢

 大きな流線型の水そうのゆかに眩しい光がふりそそぐ

 さきほどの白い蛇のような魚はどこへいったか

 苔を生やしていた割にはおよぎの速い

 透明な空間は向こうまでガラスの切片が煌めき

 ありとあるかがやきに満ちようとしている

 雫の水そうは世界を感じ映し出そうとしている

 光をうちへうちへと 折りたたみまた折りたたみ

 ひろがるより もの思うもの

 散逸するスクリーンたちは木目に当たる冬の日の光のように

 無数の細部を夢見つづける

 私たちは底へ降り 徒労のようにやさしくゆかを磨く

 雫のかなしみはいつのまにこんなに大きくなったのだろう

 白い魚はどの闇へと消えたか

 また大いなるよろこびを与えてくれるか

 流れるものはささやきさやぎ

 たたまれた記憶をしずかにひらこうとする

 あるいはいつまでも祈りのように光を浴びる

 

                      ――あけ方に見た夢より――

723

(朝の光)

 

 

 

 

Marley & Me マーリー

 2008年アメリカ、デヴィッド・フランケル監督作品。

 人にとって、犬にとって幸せとは何かを、考えさせられた。それは個性を認められるということ、個性を認め合うということ。

 ジョン・グローガンの勤めはじめた新聞社の上司は、彼の初コラムを読んで個性を見抜き、ずっと書いてくれと請う。エネルギーたっぷりのはちゃめちゃなわんこマーリー(ラブラドール・レトリーバー)のことを書いたおかげでもあるが、本当は彼の文才と人柄によるだろう。

 矯正できないマーリーを、だめな犬と突き放すのでなく、むしろその個性に惹き込まれていく。何事に対しても引き込まれる才能がある。

 ジェーンも、ジョンに似合いの愛情豊かな女性である。他の誰でもない、その二人に巡り合えて、マーリーは幸せだった。マーリーが選んだのかもしれないが。

 人の言葉をよく覚え、理解力に富み、命令をよく聞き、というのが犬にとっての幸せであると書いた文章を読んだことがあるが、そういう犬ばかりではないだろう。人の役に立つおりこうな犬より、やんちゃな犬の方がかわいく見えてきた。

 何が大切か。愛と信頼、そして自由(個性)。

 Bob Marley とはどういう人だったのだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=cp-6g_CdpJs&feature=related

006

(梅雨の晴れ間に)

詩を読みましょう

 告知

 2011年8月27日土曜日 13時30分~15時

 別府市ふれあい広場「サザンクロス」4F第1研修室(別府市千代町1-8)にて

 ☆詩を読みましょう(第1回) を開きます(参加費無料)

 参加者は自分の好きな詩を1つ持って来てください(自作可)

 内容です:

 1人ずつ詩を読みます。その詩の感想をみんなで語り合います。

 詩はどのようなものでも構いません。よく知られている、谷川俊太郎さん、、金子みすずさん、茨木のり子さん、星野富弘さん、相田みつをさんのような詩でも、現代詩でも、散文小説の一節でも、絵手紙、絵本でも、聖書でも、歌詞、短歌、俳句でも。

 詩を通して、あれこれ、色んなことを、いっしょにお話ししましょう。手話も少しできます。どなたでもご自由に参加してください。

 この日のために、詩を読む会(仮称)を作りました。第2回、第3回・・・へと継続できたら、と考えています。

      *      *      *

 p.s. 先日、○○回目の誕生日をお祝いしました。

http://www.youtube.com/watch?v=oJQM5xBaRXI

001

(キャンドルは一息で消しました ^^v )

 

手話サロン

 5月~9月 毎月第3火曜日の13時から15時まで、大分県聴覚障害者センターにて「手話サロン」が開かれている。対象は入門手話講座の受講生、参加費は100円(お菓子代)。

 今日(6月21日)初めて参加した。

 ろうあ者、受講生、全部で17名くらいが、2つのテーブルに分かれてお喋りをした。

 あっという間の2時間だった。手話を交えて、分らないところは教えてもらい、何とか通じたかな? という感じ。名前の自己紹介、住んでいるところ、生まれはどこ、趣味は何、そしてあれこれいろんなお話し。

 県聴覚障害者センター主催の手話講座は、毎年度4月~9月が入門編、10月~3月が基礎編となっている。それぞれ24回の講座で、6月の現時点で10回受けている。だから、まだまだ、うまく会話にならないが、それでも顔の表情、ジェスチャー、指文字、筆談を交えれば通じる。

 手話講座で教えてもらったのは、①顔の表情がとても大切、②ジェスチャーでも良い、③口も動かし声も出す、④指文字は誰にでも通じる訳ではないので補足的に使う、⑤筆談も生まれつきのろうあの方には通じないかもしれない(日本語教育を受けていない場合)、⑥手話表現は人によっても地域によっても違う(個性、習慣、方言)、⑦日本語ではなく絵で表現する、など。そういうことが分っているだけでも、コミュニケーションの補助となった。

 まだまだ知らないことが多くあり、もっと機会を見つけて、習得しようと思う。

018_2   

(「津波のあとに咲いたかわいい鈴蘭」はどう表現する?)

想いを 仙台七夕まつりへ

 私たちにできること ~鶴を折る~

 少しでも、1羽でも、被災地の人々の心に届くように。

 

 8月6日(土)~8日(月)に開催される仙台七夕まつりの期間中、JR仙台駅をはじめとする仙台市中心部の主要会場に折り鶴をつなげたディスプレイが展示される。

 河北新報社が、宮城県民230万人と全国の方々に、その「鶴」を募集している。

 

 6月12日(日)、16日(木)河北新報・朝刊より

 「全国の主要地方新聞社に協力をいただき、被災地・被災者に対する「励まし」や「祈り」の想いが込められた折り鶴と短冊を募集します。

 募集要項

 ○折り鶴は紙面内にある折り紙をご使用ください。

 ○市販の折り紙(15センチ×15センチ)をご使用いただいても結構です。

  その場合[赤・水色・黄・黄緑・白]の5色から使用してください。

 ○短冊はメッセージをご記入の上お送りください。

 ○作られた折り鶴・短冊は封書にてお送りください。

 ○折り紙、短冊は下記ホームページからもダウンロードできますのでご利用ください。

 http://www.kahoku.co.jp/omoio   「河北 想いを」(検索)

 宛先

 〒980-8799 郵便事業株式会社 仙台支店留め

 河北新報社 折り鶴 係

 締切 ・・・ 平成23年7月20日(水)

 

 3.11大震災。私たちのふるさと宮城は大きな被害を受けました。

 多くの人が大切な家族や生まれ育ったふるさとの風景を失い、

 厳しすぎる現実と大きな悲しみに包まれました。

 

 しかし、全国の方々から頂いた温かい励ましや支援、

 地域の人たちの支えや繋がりから、人の心の温かさを知り、

 あきらめることなく一歩一歩前に進む力を得たのではないでしょうか。

 

 昔から仙台の人たちは、さまざまな不幸な出来事に出会うたび、

 乗り越えようと七夕の隆盛に熱意を傾けてきました。

 今年も宮城・仙台では「復興と鎮魂」をテーマに

 仙台七夕まつりが開催されます。

 

 河北新報社では、宮城県民約230万人と、

 仙台七夕祭りに訪れる約230万人の人たちの想いが結びつき、

 ひとつになることがあしたに進む力になると信じ、

 3.11大震災復興キャンペーン「想いをひとつに」を展開してまいります。

 

 復興への道のりは長く、そして困難なものとなるでしょう。

 しかし、想いをひとつに強い絆を力に進んでゆけば

 決して乗り越えられない道ではありません。

 

 『想いをひとつに』――

 前を向いてそれぞれの一歩を踏み出すために。」

006_2

(新聞紙を切り抜いて折りました)

福島原発メルトダウン

 広瀬隆(2011.5).福島原発メルトダウン.朝日新書

 警鐘を聴く。

 今回の大震災のマグニチュードについて、気象庁が8.4から8.8へ、さらに9.0に修正した時、私は何かおかしいと感じた。そのように巨大な地震であったとした方が、何かと言い訳できるからではないかと。そして本書を読み、そういうことなのかと、腑に落ちた。

 政府や東京電力、メディアは何を隠そうとし、それは何のためであるか、考えるのにとても参考になった。基準値の恣意性についても、考えさせられる。原発の仕組み、その効率性、放射能のこと、内部被爆のこと、感受性の個人差、ホットスポットのこと、学者のこと、原発の立地条件のこと、プレートテクトニクスや日本の断層のこと、代替エネルギーでも電力はまかなえることなど、どれも、私たち国民に必要な知識が提示してある。

 とても親切な、良い本だと思う。

 

 参考までに、今日6月19日の毎日新聞の記事。

 「被ばく量調査 今月下旬から 飯館の住民ら

 東京電力福島第1原発事故を受けて全県民の健康調査を実施する福島県は18日、計画的避難区域の飯館村と川俣町山木屋地区、同区域と警戒区域となっている浪江町の住民約2万8000人を対象に、被ばくした線量の推計と内部被ばく調査を6月下旬から始めることを決めた。

 問診票に3月11日以降の行動を記入してもらい、線量を推計。100人程度は尿検査とホールボディーカウンターを使って、内部被ばく量を計る。

 検査対象者は職業や年齢層を考慮して抽出するが、屋外で作業していた住民や若年層が中心となる見込み」

 「静岡産緑茶 仏で基準越超

 【パリ福原直樹】フランス当局は17日、パリのドゴール空港で、日本から送られた静岡産の緑茶(162㌔)から、欧州連合(EU)の基準を2倍以上上回る放射性セシウムを検出した。すべて廃棄処分にされる。福島第1原発事故以来、仏で基準を超える日本産輸入品が見つかったのは初めて。AFP通信が報じた。1㌔あたり500ベクレルのEU基準を超える1038ベクレルを検出した。

      ◇

 静岡県の川勝平太知事は18日「飲用茶にすれば本県の調査によると100分の1程度になり、10ベクレル程度となる。飲んでも全く問題ないものと考えている」と述べた。

 県は4月から、EUに輸出する食品を対象に、県内で収穫したか、加工した食品であることを示す産地証明をしている。証明がなければEUに輸出できないが、放射能の測定はEUが求めておらず、県も証明項目に入れていないという。県茶業農産課は「証明したものなら産地・加工地が特定できるはずだ。すぐに作業を進めたい」としている」

055

(仙台市東部の海岸にて 6.4)

 

Na Putu サラエボ、希望の街角

 「サラエボ、希望の街角」2010年、ヤスミラ・ジュバニッチ監督作品。

 (原題 Na Putu は、~の途中、という意味だそうです)

 主人公の女性ルナの愛は、世俗的で、家族、子どもを大事にする。一方、恋人アマルの愛は? 戦争の精神的傷から立ち直れないでいるためか、飲酒が原因で停職処分になった後、かつての戦友のイスラム原理主義者たちのキャンプ(平和で友愛に満ちているが、形式には厳格)に参加することになり、信仰を深くすることになる。愛以前に、精神的な支えが必要だったのだろう。その彼をルナは理解しようとするが、どうしても違和を感じる。だから、人工授精してまで彼の子を産みたいと思っていたのに、それはやめることにした。子どもは自然にできたけれど、彼とは別れる、彼女がそう決意したところで映画は終わる。

 彼女の愛も、彼の精神も、途上なのだ、そしておそらくこの地における一切が、再生への道の。

 その道を辿ること、再生への過程を、彼女なりに、彼なりになぞることが大切なのだと、映画は言っている。

 宗教(イスラム原理主義)がどうというのではなく、西洋的生き方が良いと言うのでもなく、その人なりの感じ方があり、今はその感じ方を大切にする、それが戦争の傷を癒すことであり、自らを再創造することである。敵対することも、強いて寛容になる必要もない、現に目の前にある感情や風景と向き合えばよい。

 かつて住んでいた家を訪れること、そこで涙し、見知らぬ少女の頭をなでること、踊り賑わう人々の横を静かに車滑らせること、女友達とふざけ語りあうこと、離着陸の時に赤い屋根のサラエボの町の優しさを胸に刻むこと。良い人間になりたいと願い、指導者の言葉をかみしめ、自分の内面を見つめること、見つめることで自分のなかに生まれる感情につき合うこと。

 行ったことはないが、サラエボは美しい町なのだろう。笑いに満ち、楽しい町なのだろう。風景や街の雰囲気を通して、そういうことも感じさせてくれる、とても良い映画だった。

004

(こちらは日本の紫陽花)

 

被災松林県境越え支援

 6月14日(火)の河北新報・朝刊25面、「被災松林(仙台東部)県境越え支援」全文。

 

 東日本大震災の津波でほぼ壊滅した仙台市東部沿岸地域の松林をよみがえらせようと、新庄市など山形県最上地方の民間有志が、地元でクロマツの苗を育てて仙台沿岸に移植する「松ノ木支援プロジェクト」を始動させる。県境を越えた地で取り組む壮大な移植プロジェクトに、関係者は「何とか成功させたい」と強い決意を見せる。

            ◇

 最上地方の企業や個人でつくるプロジェクト実行委員会が1口1000円で寄付を募り、クロマツの苗(1本400~500円)を購入。新庄市や最上町、鮭川村、大蔵村などの里山に植える。17日に新庄市内に事務所を構え寄付とともに植える場所の提供を広く呼び掛ける。

 当面の目標は2万本で、2~4年育てた後、仙台市が策定する復興計画などを踏まえ、現地に移植する。

 仙台市宮城野、若林両区にまたがる東部沿岸地域は「浜辺の森」と呼ばれる松林が南北7㌔にわたって続き、防風や防潮の役目を果たしてきたが、ほとんどの木がなぎ倒され風景は一変した。

 実行委の結成は、新庄市の仕出し業「ヤマゲンフーズ」常務の斎藤敏美さん(44)が若林区の避難所に救援物資を届けた際、住民から松林の惨状を聞いたのがきっかけ。現地を目の当たりにした斎藤さんが支援策を提案すると、企業などに賛同の輪が広がった。

 実行委員長に就いた新庄郵便局長の堀江敏幸さん(53)は若林区二木に自宅があったが、津波で全壊した。「長年親しんだ松林が失われた風景は悲しく、怖かった。原風景の再生は、住民にとって復興の精神的な象徴になると思う」とプロジェクトに全力を注ぐ。

 仙台市側は「斬新な発想、視点での支援に心から感謝したい」(若林区災害対策本部)と歓迎の意向を示している。

 クロマツの苗を育てる場所は今後、最上地方以外にも広げたい考え。実行委事務所の連絡先は0233(23)0393。

      *      *      *

 連絡をとり、プロジェクトのパンフレットを送っていただいた。

 〔協賛〕1口1000円

  ・事務所に現金でお届けいただくか又は郵便振替で払込みください。

  郵便振替口座(番号) 02250-4-133922

           (名称) 防風林再生プロジェクト

 〔使途〕 協賛金はクロマツの苗木代・育成管理費・移植費・運搬費・事務所運営費などプロジェクト経費全般に充てられます。

 〔連絡先〕松ノ木支援実行委員会(代表:新庄郵便局長 堀江敏幸)

       事務所 新庄市沖の町2-28第一ビル1階(新庄駅前)

       Tel 0233-23-0393(FAX兼用)

       受付:月~金曜日の午前10時から午後5時まで

059

(若林区沿岸のなぎ倒された松林の中の芽生え 6.4)  

孤立防止へ継続支援

 6月4日(土)の河北新報・朝刊18面、「助け合う力大震災とボランティア(21)」。

 被災者障がい者センターみやぎ代表、及川智さんへのインタヴュー記事・全文

 

 ―被災した障害者の支援活動に取り組んでいる。設立の経緯は。

 人手なく危機感

 「地域の支援拠点だったグループホームなどの施設やケースワーカー、ヘルパーら支援者も多くが被災した。このままでは障害者が孤立し、支援や復旧の輪の中から取り残されると思い、、現状の把握と支援の両面から取り組むため4月に開設した」

 ―震災後、福祉避難所の状況はどうだったか。

 「物資が不十分で人手も足りなかった。1日1度、手足と顔をタオルで拭いてもらうだけという人もおり、何とかしなければと危機感ばかりが募った」

 ―支援の現状は。

 「紙おむつや食料品などの物資提供や移動介助といった支援を行っている。障害者手帳の有無にかかわらず、介護や介助が必要な人には支援をしている」

 ―県内全域で福祉施設や障害者を対象にした実態調査を行っている。

 見守る体制大事

 「支援の前提として、障害者がどんな状況に置かれているのかを調べる必要があった。自宅や入所していた施設が被災し、各地にばらばらになっていた。全国から駆けつけたボランティアの手を借り、沿岸各市町の避難所や福祉施設を回り、どこに障害者がいるか把握する作業から始まった」

 「最も苦労したのは、震災前からの在宅障害者の確認だった。知人のつてをたどったり避難所にチラシを張ったりしたが、調査を始めたばかりのころは、たどり着くだけでも大変だった」

 ―活動の中で見えてきた障害者支援の課題は

 「人によって障害の種類、程度が異なるため、さまざまなニーズに対応しなければならない。小規模作業所などでは施設の復旧作業もあり、多額の資金確保が課題だ。仙台市などの都市部は普段から地域のつながりが薄い。常に地域や周囲の人々との関係性を高め、見守っていく体制が大事だ」

 ―自身も車いす生活中で被災している。

 特化した対応を

 「一度は避難所に避難したが、車いす用トイレの数が少なかったり、狭くて横になれなかったりしたので、団体の事務所に戻ってきた。避難場所を確保するだけではなく、介護などの専門知識がある人を配置することも重要だ」

 ―行政との連携などは考えているか。

 「今後は避難所から仮設住宅や民間のアパートに移動する人も増えるだろう。だが、仮設住宅は車いすで生活するには狭く、細かい段差もあり、障害者にとって何かと不便な点もある。行政には地域の実態を把握し、障害者に特化した支援体制を早急に整備してほしい。民間の力と合わせ、ニーズを一つ一つ拾いながら継続して支援し続けることが欠かせない」

                                      (聞き手は山形聡子)

      *      *      *

 障がいの種類や程度はひとりひとり違う。日頃から地域の人々とつながりを持っていることが、障がいのない人以上に大事になる。

 少しでも多くの人が、障がいを持つ人のことを知ることが、何より大事だと思う。そのためには、他者に配慮する人がそこここに存在すること。そういうインクルーシブな世になればと思う。

049

(2011.6.4 若林区種次にて)

      

ハッキョへの坂

 河津聖恵(2011.4).ハッキョへの坂.土曜美術社出版販売

 「虜囚の記憶」はどう人に読まれているのだろうと、検索しようとし、最初に出合ったのがブログ「詩空間」。幾つかの文を興味深く読ませて頂いた。

 詩集を出されたとあり、購入し読んだ。言葉が真摯で、イメージが豊か、透明である。より強く意識されているのは「他者」で、親近感を覚えた。20の詩篇のどれも良いと思う。

 その中の1篇。

      *      *      *

  ひとは一つの詩とともに生まれてくる

 

 ひとは一つの詩とともに生まれてくる

 燃えるたった一つの詩に照らされながら

 怒った真っ赤な顔で産まれてくる

 (でも星座のように読むことができるのはそのときだけだ)

 永遠に読むことのできない詩のために

 私たちはいやがおうでも生かされていく

 詩の権能者ではなく 孤独な書き手でもなく

 むさぼりのためではなく 口実ではなく

 自身の牢獄を磨いて見せることもなく

 ただ詩とともにあるということで生きる・生かされる(私たち詩の囚人か、ともがらか)

 あかあかと詩の尽きるとき一閃で消える(祝祭か、とむらいか)

 私たちが去れば宇宙のグラスに揺れ動くワインのようにゆったりと燃え拡がるはずだ

 世界は初めて美しいよこがおを虹色に染めるだろう

 詩は千年をかけて夜の鳥たちのように

 遥かな空無へ他者へ燃え渡されていく

 (私たちがいなくなったならば誰かがまた歓喜と苦悩の油を絞る)

 よりよく燃えるために私たちは生きる・書く

 風は葉を揺らし花は香りを放ちながら・書く

 ふいに敗北したように空気はかたわらでくぼみ句点が打たれ

 いつしかけもののように他者のために祈りつづけ世界は輝く白紙となり

 ただ証すための一篇にいとおしく焼き尽くされるため

 この今を抱くように生きている

2

(朝の海と空)

 

 

   

虜囚の記憶

 野田正彰(2009).虜囚の記憶.みすず書房

 5月の初めに毎日新聞のインタヴュー記事を読んで以来(このブログの「社会のあり方」を参照)、野田さんの本を数冊読んだ。「背後にある思考」「共感する力」「なぜ怒らないのか」(いずれもみすず書房発行)。私のこれまで知らなかったことが多く書かれてあり、とても参考になった。

 戦争時に、日本人が中国人に何をしてきたのか、私たちはもっと知らなければならない。それは、今を生きるこの国の人間としてのつとめではないかと感じた。

 私は、中学・高校の歴史の授業では、現代史はほとんど習わなかった。「時間がないので」という理由だった。真実は、「触れない方が無難だから」ではないだろうか。過去を正しく知るための努力を傍らに置いておいて、私たちに未来は開けるだろうか。

 幾つかの文を引用する。

 〈一三歳で虜囚にされた李良傑さんは八〇歳近くになった。約三百人の田川鉱での労工は、彼を残して皆死んでしまった。過ぎ去ろうとしない記憶は、老いてさらに鮮明になっていく。今生きている日本人に、そして中国人に、中日戦争で、何が起こったか、民衆はいかに苦しんだか、知ってもらうために記憶は生きつづけている〉p.44-45

 〈花岡蜂起後の地域住民の言動については、当時国民学校五年生だった野添憲治さんの痛恨があるぐらいで、事件前に中国人労工をどう見ていたか、何も分らない。中国人労工について、当時の住民は戦後堅く沈黙してきた。加害者の釈放運動は行っても、自らの過去とは対決してこなかった。その後の世代は、労工の遺骨返還や慰霊を行ったが、父母とその世代に、あなたたちは何をしていたのか、どう思っていたのか、何も感じることはなかったのか、問うていない。ひいては、自分たちを育てた上の世代の人間性、対人関係のあり方、文化がどのように自分たちに継承されているのか、自らの人格の基底にいかにつながっているか、問うていない。

 この問いは、被害者からは絶えず発せられているにもかかわらずである。例えば第一章で、李良傑さんは「日本人は分らない。片手に剣、片手にさくら、仏様、神様を持っている。暴力とやさしさ、両面を持っている、どうして?」と問うている。外の文化からの問いはいつも発せられているのに、私たちには聞こえない。自らに問いのない者は、外の問いを認知しない。勿論、日本全体になると、花岡事件を知っている人さえ少なく、過去との対決の内面化はほど遠い〉p.92-93

 〈草を食べること、拾ったものを口にすることに、何故ここまで激昂して、労工をいたぶるのか。食物を与えず、殺しているのは日本人職員である。にもかかわらず、彼らが飢えさせた労工たちが、飢えて草を食べることを激しく憤る。何を憤っているのか。命令のままに静かに殺されていかないから、憤っているのか。草を食べることに日本人職員への反抗を感じているのか。自分たち強者の思い、勝者日本人の思いが傷つけられたと感じているのか〉p.97

 〈帰国後、夜中に怯えて目を醒すことが何度かあった。結婚してから、妻がよく体を揺さ振って起こしてくれた。うなされ、叫んでいたと言われた。そんな時は、いつも棒で日本人に打ちのめされている悪夢を見ていた。段々と少なくなっていったが、今なお奥むで飛び起きる。

 「この胸の苦しさを外に出したい。これは一体、何なんだ。なんとか分りたい、説明してほしい」、邢念芳さんはうめくように言う〉p.184

 私は、この私を超え、過去にも未来にも行き亘る思念である。

 あるいは、記憶とは触れ、見つめられ、真実にいたる風景である。

 問いがある以上、それは共有され、共感され、正しく認識されなくてはならない。そういうことを想起させてくれる。共感する力によって、冷静な思考によって書かれている。

 ずっと精神や肉体の障害に苦しむ、日本に囚われた中国人労工、死に至る性暴力を受けた中国人女性に対して、私には何ができるだろう。

 知ること、そして可能な限り共感すること。そこがスタートである。

 この本が多くの人に読まれればと願う。

034

(津波の跡に咲いたよ)

浦霞禅

 普段酒は飲まないのだけれど、これは美味しいと感じた。

 宮城県は松島の酒店で購入した。海岸を歩き、瑞巌寺を見た後、仙石線の松島海岸駅に戻る途中、営業を再開したばかりと思しき、がらんとした店内に、2、3種類の酒が売られていた。その一つがこの〈浦霞禅〉。

 〈銘酒浦霞禅は、日本古来の酒造りの手法を其儘受継ぎ丹精込めた手づくりで醸造致しました。特にその芳醇な香りと素晴らしい味わいは真の日本酒の代表です。酒名の「浦霞」及び「禅」の書は、松島瑞巌寺百二十八世の住職加藤隆芳老師(五雲軒と号す)にお願いし画は禅画の淡川康一先生の作です〉 (箱の説明書きより)

 優しく静かな味わい。キレがある。画も良い。

 たまには酩酊も良い。

002

(三日月と笑顔)

日めくりカレンダー

 めくってはあるけれど、ある日から剥ぎ取られていないカレンダーがある。

 どのような思いで、剥ぎ取られないであるのか。

 農業倉庫の前には、いろんな物が積み上げられている。農機具、苗床のパレット、机、古いレコード、幾多の置き物、火鉢、などなど。

 「車に乗っていて流されて、屋根によじ上り、電柱から伸びている線に掴まって助かった」と語ってくれた人もいる。

 「波が来そうなので、車いすのおばあさんを避難所につれて行き、戻ってきたら波が来た。それでそこの玄関の前の松の木に上って助かった。流れて来る人を何人か助けたけれど、届かずに助けられない人もいた」と語る人も。

 壁には波の痕が数本の線となって残っている。上の線は大人の背丈くらい。波が退き、床下には塩混じりの泥が溜まり、樹木が流れ着き、ビニールハウスは潰され、小屋は傾き、車は流され、田畑は勿論、何もかもが使い物にならなくなった。人も亡くなった。

 途方にくれた日から3か月近く。兆しはまだ見えず、記憶が逆巻いている。

 この辺り(若林区二木)は、市が公表した復興ビジョンによると「集団移転や居住地の集約化などにより防災対策を図る地区」とされ、家は流されていなくても住めなくなる可能性が高い。だからこうやって一緒に片付けをしても、改修には踏み出せないでいる。

 人柄の良い、他者を優しく気遣う農家の主は、別れる時、いつまでも手を振ってくれた。

 この農作地の再興の見通しが生まれ、あるいは自らの意思が熟するまで、静かに「時」を待つ。日めくりが剥ぎ取られないのは、その意思の表れではないかと、私には思えた。

015

(2011.6.1 若林区の農家にて)

石巻の中学校にて

 避難所となっている高台の中学校の体育館の1階と2階に、多くの人が寝泊りをしていた。階段の壁には、アメリカの人々や関東の生徒からのメッセージが貼られていた。

 衛生状態はどうなのだろう。匂いも少なく、トイレも清潔だった。布団にはダニ等は発生していないのだろうか。電気は使用不可と聞く。電子ジャー、冷蔵庫等も無い。トイレ横の水道では衣類をもみ洗いする女性。

 校内を廻った。体育館だけではなく、調理実習室、理科実験室にも、人が寝泊りしていた。教室では授業が行われている。静かだ。隣の教室で行われている授業の妨げにならないように、気を遣って生活されているのだろうか。下の階では小学生も授業を受けていた。

 運動場では、中学生の1クラスがみんなで踊りを学び、小学生の1クラスがベースボールをしている。その向こうにはたくさんの車。

 昼になり、炊き出しの豚汁を運ぶ。廊下に零れた汁をティッシュで拭いていると、先生が出てきて一緒に拭いてくれる。「あとは生徒たちがやりますからいいですよ」。逆に気を遣って下さった。ここでは自然と、互いを思い遣っている、そんな印象を受ける。

 「こんにちは」「こんにちは」すれ違う中学生たちはごく自然に優しい挨拶をしてくれる。

 今日の午後2時からは化粧品の無料配布があるとのこと。女性たちが次々と体育館に足を運んでいた。「大阪からタコ焼きのボランティアもあったよ、元気をもらったので、お手紙を出したよ」と言う、杖をついた年配の女性が丁寧にお辞儀をされる。

 体育館の入口には2匹の犬が見慣れない人に向かって吠えていた。「吠えたらダメよ」と、避難所の人。少し離れたところにも、1匹の犬が蹲っていた。尻尾を巻いて、何かに脅えている様子。人の出入りが多いせいかもしれない。見知っている人に与えられた豚汁はきれいに食べていた。

 校舎の横には、テントの中に仮設のお風呂。「今日は女湯、5時から8時まで」。横には洗濯物が靡いてる、校舎と体育館の間にも。

 学校が終わると明るい表情をした子どもたちが帰って行く。「この前までここで暮らしてた」と言う子も。体育館横の空きスペースでは、サッカーのうまい子が、ボランティアのアメリカの青年たちとボールを蹴り合っていつまでも遊んでいた。同じスペース内の少し離れたところでは、紙コップを使って砂の円すい台をたくさん作っている小さな子どもたちと母親。

 仮設住宅への入居が抽選で決まり、避難所の人は少しずつ減っているのだと言う。来週には教室内の避難所は閉鎖されるらしい。でも仮設住宅に移ったら、炊き出しの支援は受けられるのだろうか?

 高台を下りると、一面が瓦礫の野原になっている。黒焦げの家も。夕方になって来ると冷たい風が海の方から吹いてくる。

 多くの人の助け合いの輪が、この地では、もっともっと必要な気がした。

025

(2011.6.3)

 

波打ち際

 靄が田園の辺り一面を覆う。日は照っているのだが遠くが見えない。蒸気がたちこめているのだろう、海からの風が冷たい。

 空の色のような、太平洋の灰色の波が二段、三段と折り重なって打ち寄せる。

 堤防のところどころに白詰草が群生し咲きほこっている。

 断層が見える。堤防のこちら側では赤い水が小さく流れる。松や桜のほとんどがなぎ倒されている。

 海岸線の遠くの方に微かに島のようなものが見えるのは、瓦礫の堆積なのだと言う。近くでは空洞の家が疎らに立っている。

 向こうの大きな建物は荒浜小学校。こちらは残されるらしい。

 波が時を刻む。

 次から次に、数多の生命が生まれ続ける。

 いつまでも、どこかの場所に記憶されようとして。

056

(2011.6.4 若林区の海辺にて)

芽生え

 宮城県仙台市若林区、海岸から1.5kmの農家に辿り着いた桜の流木。

 その桜の幹から小さな芽が幾つか生えていた。

 津波から83日目。敷地内外をよく見ると、砂地からは竹の芽、庭先の枯れた躑躅や倒された柿の木からも新芽が出ている。鈴蘭、蒲公英も花を咲かせ始めている。

 海岸のなぎ倒された防風林の隙間からも、新しい木の芽が出ている。樹液に蟻も集まってきている。蟻たちはどうやって生命をつないだのだろう。

 辺り一帯にはまだ車や瓦礫が放置されている。田圃は塩の混じった泥水で覆われている。家は疎らに建っている。高速道路より山側に比べ、海側は荒れ方が違う。その中でも、そうやって小さな命たちが芽吹いている。

 夜になるとまだ寒い。ときどき余震もある。一つずつ、できるところから再開発されていくのだろうが、見通しは立っていない。農家の主は「何年かかるかなぁ」。

 がんばって下さいと、心の中で唱える。

024

(2011.6.2 仙台市若林区にて)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ