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環境問題考

 小さい頃水俣病の報道を見ていたせいかもしれない。『銀色らっこのなみだ』等の動物や環境に関する物語を読んでいたせいかもしれない。それ以前に、自然の中で育ったせいかもしれない。環境破壊に苦痛を覚えていた。ガソリンや排ガスのことを考え、43歳までは車の免許を取らなかった。

 高校生の頃は生態学(エコロジー)の方へ進もうとも考えた。だが、環境問題とは人の考え方の問題なのだと考え、考えるとは何かを考えるようになった。

 原発は要らないだろう。それなしで人は生きて来たのだから。

 なぜ人は便利さへと靡き、大量に物を作り、消費するのだろう。これは本当に不思議なことだ。自ら工夫すること、考えること、その愉しみをなぜ享受しようとしないのだろう。

 例えば、私の子どもの頃、紙と竹ひごで作られた凧が売られていた。私は、自分で作って飛ばしていた。その方がたのしかった。そしてある時から、ビニールで出来たゲイラカイトという凧が流行るようになった。丈夫だから、よく上がるから、そういうことではないだろう。それからはもう凧上げがつまらなくなった。

 塾で子どもに算数・数学を教えていた頃、子どもたちが点数を気にするのが不思議だった。「先生、90点取ったでぇー」「良かったねぇ」でも本当は、点数などはどうでも良い。大切なのは、分からないことが分かるようになるまであれこれ考えてみることだろう。「いっしょに考える」ために、私は存在していた。

 人がどのような学歴を辿り、どのような職業を選び、いくら稼ぐか、そういうことになぜ価値がおかれるのだろう。今ここに在り、自分の知っている人との関係を大切にし、心を注ぐ、そしてやらなくてはならないことをやる。やることはそれだけで、でもそのことはすごく楽しいはずである。自分の知人友人が「かしこい」人ならうれしいだろうか? おそらくそういうことは「関係ない」だろう。職業も、稼ぎも、どうでもいいだろう。

 自分と周囲を大切にすること、結果ではなく過程を大切にすること。つまり考えること、生きること。そういう営みの中で、環境問題は生まれるだろうか?

 そういうことを忘れるところに、環境問題は生まれてくるはずである。そのシンボルとして、例えば原発は存在しているのだと、私は理解している。

 生きるとは何かということを、人はもっと考えて良いと、私は思う。

007

(なにを考えてる?)

 

 

 

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コメント

今日知人がネットで検索していたのを
読ませてもらいました。
記事は
『「水俣病」って水俣市全域で
 と思っていたけど違っていた。
 発病したのは所得の少ない人たちだった。
 なぜならば彼らはお金がないので
 毎日海に行って魚を採って食べていたから。
 (中略)
 環境問題と一口に言っても
 福祉など様々な問題と絡み合っていて
 一筋縄ではいかない。」
といった内容でした。

水俣病は、天草でも起きていました。
環境問題は、人々の生活、社会のかたち、つまりは(行政や企業などの)考え方の問題だと思っています。被害を受けるのはつねに弱者です。

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