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十一月三日(雨ニモマケズ)

   十一月三日(雨ニモマケズ)

                        宮澤賢治

 

 雨ニモマケズ

 風ニモマケズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

 丈夫ナカラダヲモチ

 慾ハナク

 決シテ瞋ラズ

 イツモシヅカニワラツテヰル

 一日ニ玄米四合ト

 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

 アラユルコトヲ

 ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

 ヨクミキキシワカリ

 ソシテワスレズ

 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

 東ニ病氣ノコドモアレバ

 行ツテ看病シテヤリ

 西ニツカレタ母アレバ

 行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ

 南ニ死ニサウナ人アレバ

 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

 ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ヒドリノトキハナミダヲナガシ

 サムサノナツハオロオロアルキ

 ミンナニデクノボートヨバレ

 ホメラレモセズ

 クニモサレズ

 サウイフモノニ

 ワタシハ

 ナリタイ

      *      *      *

 初めて読んだのが小学生の時だったか中学生の時だったか覚えていないが、共感したことだけは覚えている。とくに「ミンナニ……クニモサレズ」辺り。

 詩ではなく、ただのメモ書きであるが、よく知られているのは、やはり共感する人が多いからだろう。

 私はここに、一つの静かな境地を見る。「人は何のために生きるか」と問われ、賢治は「何のために生きるかを考えるために生きる」と答えたそうだが、たしかにそうとしか答えられないと、私も思う。

 「私」とは、確かな存在ではなく、この世に在り、せめて人々に寄り添う者でありたいという、願いのようなもの。

 人を支えるものは何か?

 例えばこの私は、何かに支えられていると感じることが時々ある。それは何か? 過去に生きた人々、現に生きている人々の思い、人でなくとも、動物や木や空気の思いかもしれないと思う。その「思い」とは何か? この宇宙に明滅するあらゆる思い、不意に甦り、瞬時に消え、また生まれては死ぬ、未熟な、あるいは成熟した、怒りとも優しさとも区別できない、色んなものが入り混じった思い、それらに触れて、人は生きることができるのだろう。

 詩人とは、それらの思いでありたいと願う人のことを言うのではないだろうか。ただひたすら「思い」に同化し、思いを自分なりに洗練し、言葉に紡ごうとする人のことを。

 そのことを自覚しているが故の、一つの静かな境地、であろう。

004

(小さな花です)

 

 

 

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コメント

>サウイフモノニ

 ワタシハ

 ナリタイ


なかなかなれないですけどね。

 賢治とは、他者の思いに寄り添おうとする願いである、と感じます。
 なれたかどうかは、自分ではわからないことですね。また自分でわかるレベルのことではないとも感じます。

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