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差別とは何か

 1年前に『差別感情の哲学』という本を取り上げた。

 もう一度、差別とは何かについて。

 数日前の投稿「善人と悪人」で述べたことをもう少し詳しく。

 「計算する生き方というのは生ではない」「自己肯定が先にあるのは生ではない」と書いた。

 先に観念があり、それに合うように生き(考え)ようとする態度は、何かしら不自由に感じる。おそらく、それが差別の根っこだ。

 不自由なのは、思考が不自由なのだ(思考とは生である)。

 思考(考える)とは、対象に即し、対象を感じ、よりそい、その本質をつかむことであり、ケアすることである。

 介護で言えば、たとえば認知症の方を理解しようとする日々の努力である。演奏で言えば、私の内外に生まれる音の拡がりに身を委ねることである。

 対象(他者)の無限に即し、私(自己)の矮小は翻弄され、それでも振り落とされぬようしがみつくことである。

 生とは、思考とはそのようなもの。

 先の例は、その無限の可能性を、予め何らかの枠に当て嵌めようとすることである。初めから可能性が閉ざされている。

 差別とは、それを他者に押しつける行為である。

 合理的配慮とは、観念を他者に押し付けないようにすること。個別(個性)に配慮すること。つまりすべての存在に配慮することである。

 それが生きることである。

 それが、私たちが存在する意味である。

 だから、差別がなくなることは、私たちの成長であり、その成長の記録を私たちは生きているということを忘れてはいけない。

004 

(春の日差しに触れて)

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